8月15日「弱い。」

「何のために生きるかについての再考。~長期休暇?によせて~」

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8月15日日曜日。時刻は午後7時。

ああ、今回の長期休暇、と言ってもたった4連休なのだが、が、ほぼ寝たきり状態で終わってしまった。

長期休暇のたびに毎回言っていることなのだけれど、僕という人間はこうして働かなくていい状態になってしまうと、本当に、何も出来ないというか、それはつまり圧倒的に「社会から孤立」した状態になるんだなと、改めて感じた。

だから、今の僕の安定的精神が保たれているのはやはり、今の仕事が出来ているからだなあと・・・。

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ぶっちゃけ、親が死んだらどうなるのかなと改めて思った。

おそらく親が死んでも、僕は働かなくても親の遺産で生きていけるだろう。

しかし親が死んだら、僕は本当に一人ぼっちであり、社会的に誰とも関係がない感じになってしまう。

僕は親が死んだら、何をして生きていくのだろう・何を求めて生きていくのだろう。

僕は、何がしたいのだろう・・・。

結局、僕が何もしたくないというのが、良い意味でも悪い意味でも僕を孤立させていく。

(今は部活を一応しているけれど。)

生きるということは、何かを求めないといけない。

そう考えるとやはり、ただ生きている人だけでも、何か、ちょっとした凄さというか、死なない勇気?みたいなのを感じて、へえ~~って思う。←ww

だから、僕は、親が二人とも亡くなってしまう前に、この生きるということの中で何か、「何か」を探すべきだなと思う。

(まあぶっちゃけ、その何かというのはある程度自分の中では一つか二つは気づいているのだけれど、それはこのブログでは書かない。←ww)

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親が亡くなってしまうと、僕はおそらく働かないだろうな。(しばらくは)

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ああ・・・・。

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死んではいないけど、長期休暇のたびに僕は、僕のしょうもなさ・孤立を一層感じてしまって、焦りはあるのだけれど、また平日が始まればある程度働くし、それがいつまでか、だよな。

ちゃんと、未来を考えて、今を生きないとな。

どうなるのだろう・・・・。

分からないけど、まあ、自分が出来る今やること(今で言うと主にトレーニングと部活)をやれているから、まあ、いいか。

不安ではない。

不安というより・・・・、不安を感じたとしても、僕は、ある程度、自分を流してしか、生きることが出来ないのだろう。

ああ。

ああ。

ああ・・・・・。

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ざっこ・・・・。

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