「幸せとは何か。」←ww
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10月13日水曜日。時刻は午後3時。
ふう・・・。(今日は会社休みです)
幸せについて語るのだけれど、それについてはこのブログで幾度も述べていて、おそらくその内容と被ることが多いと思うけれど、とりあえず今日思った幸せとは何かについて述べたいと思う。
僕が思う幸せ、それは失敗しても、やり直せる環境が整っていること、だと今日、思う。
結局、僕たちにとって最大の敵というか、難敵は「時間」だと僕は思っている。
それはどういうことかというと、「生きなくちゃいけない」ということ、一度生まれてしまったら。
僕の「生死観」もこのブログで述べているけれど、また最近流行りだと「反出生主義(生まれたくなかった、生んだ親が憎い的な)」もあるけれど、生きてしまった以上、僕たちは生きなくてはいけないという、面倒な、問題があって、僕たちの幸不幸はそんな「生きている上での問題」から成り立っていると言える。
生きてしまった以上、生きないといけない。
その生きるとは何かを考えると、それは結局「毎日を生きる」ということになる。
つまり、「一日の繰り返し」を幾度も繰り返す、ということになる。
そういう意味でだから、「最高の一日」を作るのは、僕はあまり意味がないと思う。
今日が最高の一日でも、また明日も僕たちは生きないといけないから、今日を最高の一日にするよりも、明日が最低ではない一日にする方が、やはりいいと思う。
そうして、だから結局幸せとは何かを考えた場合、最低ではない一日が続く状態、その最低ではない一日が続く状態とは何かというと、今日が落ち込んだり、絶望したり生きたくないと思った時に、「休憩できる時間やスペース」がある状態を、僕は最低限度の幸せであり最高の幸せだと思っている。
その最低限度の幸せを維持するのは、やはりまずはこの資本主義社会では「お金」であったりまた「土地」であったりする。
お金と土地さえあれば、最低限、衣食住を満たすことが出来る。
まずこれがあれば、自分の幸せが満たせることを、考えるべきで、それを最低限手に入れるためにはどう行動すればいいか、を考えるべきである、と。
幸せは既にあって、その幸せを維持するためにどういった行動をしていけばいいか、それを考えるのが大切。
何もやらなかったり、安らかに休憩できる状態にあることがとても幸せであり、さらにそれ以上を望んだとしても、もしそれが失敗した時に、最低限お金と土地がある状態を作っておいた方がいい。
僕たちは何ででも飛べる。←ww
それは、落ちた時、休める状態を作っておいてのみ。
飛ぶために、時により幸せな状態に触れるために、最低限の幸せを保つため、お金と土地(休む場所)が必要、ということ。
幸せとはつまり、休める状態にあること。
まずは休め、死ぬまで休むのも、ある意味最低限度の幸せであり、休むってだから、奥深いなと思った。(安直な感想。)
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