12月31日「ああ」

まだ上手く言語化出来ていないのだけれど・・・・。

自分は、僕は、生きる上で目の前に2つの選択が常に置いてあって・・・。

それは自分は、生きるべきか、死ぬべきかであって。

そのために、生きるとは何か、死とは何かを常に考えていて。(と言っても、とてもぼんやりとだが)

自分ひとりであれば、それだけが主に自分の生きる上での議題と言ってもいい。

その選択肢、その議題を常に迫られている感じがして。

その一方、マッチングアプリをやっていて思うのは、アプリをやることで、もしくは自分を理解してくれる人があることで、その2択の選択肢から迫られることが少しだけ浮くというか、死という選択肢が「見えにくくなる」感じだと思う。

自分の生きる目の前が自分中心ではなく、相手寄りの、相手を思って自分が生きることで、自分という枷(かせ)から外れて、ある意味楽になる。

自分は、自分が嫌いというか、死を思う自分が矛盾して、気持ち悪いというか、助けてというか、助けて欲しいのだと思う。

自分は、自分から離れたいのだと思う。

そのためにマッチングアプリをやっていて、また理解してくれる人を探しているのだと思う。

相手を思っている時は、自分を考えなくていい。

相手を思っている時は、ある意味、自分が生きていることによって囚われている生と死から離れられる。

自分は・・・。

自分は、あまり考えたくないのではと思う。

考えると、基本、プラスにならない方向にしかならない。

自分は・・・。

自分を理解してくれて、自分ではない人、その人は、あまり死を思わない人に、なりたいのだと思う。

自分を肯定してくれる人。

自分を、自分の外から、自分である人。

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12月31日土曜日。時刻は午後2時。