5月7日「強制的に。」

5月7日木曜日。時刻は午後9時前。

寝る。

GW明けの仕事初日。

色々思うことあったけど、もう頭痛くて眠いから寝る。

一言だけ言えるとしたら、やはり仕事があることで、今の僕は「前進」出来ると言える。

それは仕事の中身どうこうではない。

また、仕事している時間どうこうではない。

僕にとって仕事は、ほぼほぼ無意味で、ほぼ頭を使わず、出来るだけ人格を入れずにこなしている。

それでなぜ、「前進」してるのかと言えるか何だけど。

仕事に行くことで、仕事から帰った後、前進出来るのだ。

本当に自分は、よく分からない。

自分の意志とか、精神の流れとか、掴めない。

だけど確実に、仕事に行くことで、僕は「変化」を求めることが出来るようだ。

GW中、僕は何も変化していない。(映像の世紀を見ることで、内部の変化はあったが、外部の変化はない。)

外部との触れ合いがある意味強制的に必要なんだと、僕は改めて感じた。

コロナウイルスの緊急事態が解けたら、NHKの講座に参加しようかなと考えている。

人と接しなきゃ、僕は変化を望まない。

やはり強制的にでも、人と接することで、僕は変化を望む僕になる。

人と接しないと僕は、何も求めず、変化することが出来ない。

強制的に、僕は人と絡んでいかないといけない。

それがある意味、働くことで僕が知れた一番の「財産」なのかもしれない。

ひとりでは僕は、ひとりな僕に満足してしまう。

それはある意味、「幸せ」である。

そういう幸せでも、ひとりな時の僕はそれでいいと思ってしまう。

働くことである意味、そうではない自分を求めている気がする。

それが正解なのか不正解なのか、どちらでもないけれど。

働くことを今は強制されているなら、働いているうちはその「流れ」に付き合い従っていこうと思う。

僕はあくまで、「流れ」にしか付き合えない。

(笑)。

・・・・。

・・・。

・・・。