相変わらず動画編集を日常的にやっているんだけど、その撮った動画とは何なのかを常に考えてしまうというか・・・。
僕たちが生きているのは今であって、この時間軸にみんな平等に生きているんだよね。
これだけは、今色々貧富の格差とかあるけれど(というか、この時間軸の平等さは以前にも書いたけど。でもこれめちゃくちゃ大事な考え方というか、自分の人生指南のベスト3ぐらいに入る重要な感覚だしな)、今という時間軸でしか生きられないのは、すごく重要。
だから、そこをすごく人が生きる上で重要な視点と考えているから、自分は自殺というのをちょっと尊敬しているというか、自らの意思でその時間軸から降りられることが、ある意味美しく感じるというか、羨ましさというか、何だろう・・・。
人が人でなくなる、その一本線から飛び降りる感じが、綺麗だなと思ってしまう。
今生きている人は今に縛られているから。
お金に縛られない人もいるし、性欲に縛られない人もいるし、恋人に縛られない人、親族に縛られない人、学歴に縛られない人、世間の目に縛られない人とかいるけれど、今に縛られない人は、生きている人の中にはいない。
ある意味、すごく自由だなと思う。
・・・・。
と、脱線してしまったけれど、その撮った動画というのは、過去のものであって、もうないんだよね、この今に。
であれば、その動画内の世界というのは、何の世界かなと思ってしまう。
あんま重要でないというか、それは事実ではないとすら感じてしまう。
普通に、ただの「うんこ」というか、もうここにはないもの。
それで、再生してて、逆再生してると、さらに何だこの世界と思ってしまう。
変な世界~と思ってしまう。
と同時に、ある意味、今という時間軸がいいなと思ってしまう。
今は、この動画(過去)のようにはいかないから。
動画は色々いじることが出来る、何回も再生させたり、切り取ったり、逆再生させたりできるけど、今は当たり前だが出来ない。
今が尊いというか、それはちょっと違って、う~ん・・・。
何か、すごく「0」っぽいなと思ってしまう、今という時間軸って。
触れられない感じ。
そこに永遠がある感じ。
8月10日木曜日。時刻は午後9時。