2月1日「世間話でも、人と喋れるっていいな」と「将来的にやりたいイメージの1シーンについて」

あ。

とりあえず「2点」、書いときたいこと書いとく。

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2月1日月曜日。時刻は午後8時。

「世間話でも、人と喋れるっていいな」

会社はクソというか、結構このブログで僕の現在の「働く論」を述べているのだけれど、そこなー。

今日も会社に行ったけど、だいぶ時間の無駄だなあと思うけど、日々誰か、特にそれほど仲良くもなく悪くもない同僚と世間話するのって、今の自分にとって大事になっているというか・・・。

とりあえず会社に行かず、誰とも喋らず家にいる状況よりかは、自分を「安定」させられていると思う。

うん。

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すごく、時間の無駄にしている感じはあるけど。

今この働くという状況を取り払ってしまうと、自分に「社会性」がなくなって、こわい。(1週間前にも述べたけれど、一番怖いのは「社会」というか、僕たちにとってラスボスとは社会なので、働いているうちだけ社会と「引き分け」状態になれるというか、僕の場合今は働くことでしか社会との接点がないので、まあまあ土俵際ともいえる。)

なので、嫌だけど、明日も働く。←ww

出来るのであれば、もう少し働く時間を減らしたいけど、まあ、それは贅沢かなと。(現在僕は週休3日で働いているので、また一日も8時間も働いてない)

はにゃあ・・・。

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その2

「将来的にやりたいイメージの1シーンについて」

最近それをよく考える。

どういうイメージを求めるか。

どういう絵を、求めるか。

それで最近よく頭に浮かぶのは、「自分で自分の世界を描く絵」。

詳しく述べると、自分で言葉で発言したり、自分の姿を動画で録ったり、また自分の手で描いたり、そういう自分自身のアウトプットだけがある意味「世界」であり、それ以外の自分発信ではない世界や情報はいわば「カオス」であると。

そんな絵を、描きたい。(←は?←www)

アウトプットの重要性というか、自分の言葉で発信して、初めて自分とは存在すると僕は思っている。

それ以前はある意味、「存在していない」というか、ある種「社会的透明」な、まあよく使われる言葉で言うと「何者ではない」というか。(詳しく述べると、以前ラスボスは社会だ、の回でも述べたけれど、社会の中で生きている限り僕たちは必ず「何者か」、つまり誰かに必要とされ、誰かを必要とする人物である、ということ。であり続ける。)

自分の言葉で自分を表現して、初めて自分はそこのいる。

自分が描いた世界こそ世界であり、それ以外の世界はいわば「ハリボテ」のような、怖い言い方をすれば「世界がない世界」・「世界ではない世界」ということになる。

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今日はそれだけ。←ww

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ねりゅっ!!

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