11月16日「最近後ろや背中を気にしていることと、漫画における両親不在から現実世界の話まで。」

あ。

・・・・。

・・・・。

・・・・。

ふう・・・。

・・・・。

11月16日月曜日。時刻は午後9時。

軽く、〇ね。

・・・・。

でもまあ、ちょっと頭痛の調子が悪いぐらいで、そのせいでちょっとイライラしているが、まあまあといえばまあまあ。

・・・・・。

・・・・。

・・・・。

最近、「背中」もしくは「後ろ」というのをすごく意識している。

それはどういうことかというと、「既にあるけれど、あまり意識の中に入っていないモノ。」。

つまり、身体的ににも精神的にも後ろや背中にあるものを、もっと意識したいなと思う。

身体的な面で言うと、最近筋トレをすることで、「後ろの筋肉」というのがあるというのが、筋肉がついてきたことで分かってきた。

今までどちらかというと筋肉は前というか、例えば腕のこぶしとかお腹とかが分かりやすい鍛えるところだったけれど、後ろを鍛えることで「生きやすくなる」というか、心が軽くなるんだよね。

どういうことかというと、背中を鍛えると背中が分厚くなることで、背中が温かくなる。

今までは例えると、寒い外の中裸で出歩いていたのが、ちゃんとコートを羽織るような。

心というのはすごく、身体と繋がっている。

身体を温かくすることで、心も温かくなりやすくなっていく。

その心を温める上で、背中や後ろを温めることが、すごく意味のあることのなってくる。

・・・・。

・・・・。

また、精神的後ろと言えば、それは今自分が日常的に当たり前にあることを、より知るというか・・・。

気づいていない今を、より理解するというのが、最近の自分の課題となっていく。

例えばある程度、今の日常が嫌で、変えたいという意識があるじゃん。

しかし、実際にその日常を変えてしまうと、失われてしまうものがある。

それをちゃんと理解しておかないと、取り返しがつかないというか・・・。

自分が何を優先して生きているか、それはどうすれば手に入るかを、最近すごく意識している。(と言っても今のところ、ただ日常を繰り返しているだけだけど。「今後」の、ために。)

・・・・。

・・・・。

・・・・。

話変わって。

最近思っているのは、漫画とかって必ず主人公は、「親の不在」があるけど、これがすごく気になるというか・・・。

結局漫画というのは、それを探す、もしくは漫画の根幹というのは、親がいてしまったらストーリー的には必要なくなる、のではないかと思っている。

つまり漫画のストーリーというのは、「親性」を探すストーリーであると最近感じている。

親がすでにいてしまえば、そのストーリーは生まれない。

つまり漫画というのはある意味、その主人公が「大人になる」ためのストーリーではないかと思う。

それを際立たせるために、親不在が必要。

どの名作漫画も、必ず「親不在」である。

そして、話が進むにつれて全く親が絡まないものもあるが、絡むとなると必ずストーリー的にとても重要な位置に親は配置される。(時にはラスボス的立ち位置だったり。)

何が言いたいかというと、結局何だろう・・・、物語というのは「親」に縛られているというか、「親とは何か」「大人とは何か」を探すものではないと考えている。

そこから逃れられないというか・・・。

ある意味なんだろう・・・少年漫画というのは「夢」のような感じであると感じている。

親未満の、大人未満のストーリーというか・・・。

大人になってしまえば忘れてしまうものを、少年漫画というのは親不在の状況に置かれることで探し続けるものになっているというか・・・。

そう思うと、現代社会に当てはめて、それらの人たちはどういった立ち位置かと考える。

つまり、片親であったり、両親に育てられずに育った人って、現実社会的には「弱い立場」であったり、時には結構「否定」されたりする。(一般的に子供はちゃんとお父さんとお母さんがいる家庭で育たないとちゃんと育たないとさえ言われる世の中でもある。)

それって何か、漫画と矛盾してるというか、漫画の中では片親であったり両親不在の人しか、「主人公」になれない。

だけど現実世界では、そういう状況だと全く主人公になれないというか、かなり「ビハインドな環境」に晒されてしまう。

漫画と現実を比べるなんてナンセンスと思われるかもしれないけれど、この大きな違いは何なのだろうと最近考える。

つまり、現実で片親や両親不在の人しか、見れない感じれない世界というのはあるのではないか。

その世界というのは、非常に漫画の世界の主人公と近いのではないか、と・・・。

・・・・。

・・・・。

・・・・。

何が言いたいかというと、現実世界の片親や両親不在の人こそ、「正しい」のではないか、と思っている。(その正しいって、具体的に?)

・・・・。

・・・・。

つまり、そういう人こそ、何か、とても美しいものが「掴める」のではないか、と。

普通の、ちゃんと両親がいる子どもでは気づけない、つまりそういう子供の「背中」や「後ろ」になっていることを、片親や両親不在の人はちゃんと気づけるのではないか、と。

・・・・。

・・・・。

しかし、そういう人の意見は一般的な世の中では聞こえにくい、そういう人の声がみんなに聞いてもらえない(つまり少数派)状況になっている。

一般的に社会とは、「多数」や「メジャー」を優先していく。

それが何か、すごく『社会的矛盾』をどんどん生んでいくのではないかと、最近思っている。

・・・・。

・・・・。

・・・・。

とまあ、今日はこんな感じで、もう寝るだす。

だす、だすだす。

・・・・。

・・・・。

・・・・。