9月25日その2「君は何故生きているのか。その問いに、天才犬飼ユウがお答えしよう。」

少し、よく分からないであろう話をする。

まあ、いつもの、犬飼ユウの「暴走」の話だから、また変な話してるっていう感じで、聞き流してくれ。(てか、今このブログって、どんくらいの人に見られているのだろう・・・。数人は見ていて欲しい。その中の一人が、めちゃくちゃ美人であって欲しい。←ww)

9月25日水曜日。時刻は午後8時。

他者とは何か。

繋がりとは何か。

昨日、また「レンタル彼女」を利用して、そのことがよく頭によぎる。

他者とは何か。

繋がりとは何か。

ひとりの女性を通して、繋がりを考える。

ひとりの女性を通して、他者とは何かを考える。

それで、ここから、たぶん分かんないであろう話をしていくんだけど。

僕は、ひとりの女性を通して、ひとりの女性と、繋がっているわけではないんだよね。(←?ww)

これ、かなり重要で。

つまり、ひとりの女性の中に、『全』があるというか。

何て言うのかな・・・。

ひとりの女性と話して、ひとりの人間と繋がっているわけではない。

ひとりの女性と手を繋いで、ひとりの人間と繋がっているわけではない。

「全」と繋がっている。

言ってみれば、「すべての他者」と繋がっている。

昨日、僕が会ったレンタル彼女は、「他者の代表」にすぎない。

僕が求めているのは、「彼女ひとり」ではない。

僕、おそらく僕たちは、「みんなと繋がりたい」のだ。

誰かひとりに対して、繋がりたいのではない。

僕たちが繋がりたいのは、みんな。

より、みんなを感じたくて、より、会いたいひとりの人を求める。

会いたいひとりの人は、多くの他者を感じさせてくれるから。

会いたいひとりの人は、多くのみんなを感じさせてくれるから。

僕たちは、「誰かひとり」に会いたいのではない。

どちらかと言うと僕たちは、「みんな」を求めている。

みんなを求めて、結果として、ひとりの人を求めている。

多くのみんなを感じさせてくれるひとりの人を、僕たちは求めている。

「顔がいい」っていうのはつまり、いい顔から、多くの人を感じることが出来るんだ。

イケメン・美人ってことは、それはその顔の美しさというよりも、「複数性(複数性にして、単一性)」を感じているから、僕たちは顔がいい人を、求めるんだ。

僕たちが求めているのは、多くの他者だ。

それは変わらない。

「誰かひとり」ではおそらく、僕たちは満足しない。

誰かひとりではおそらく、僕たちは安心しない。

何故なら、誰かひとりでは、「永遠性」がないから。

何故なら、誰かひとりでは、安易に、繋がりが絶えてしまうから。

僕たちが求めているのは、あくまで「全」だ。

切り離されたひとつひとつを、僕たちは求めていない。

繋がりのある一を、永遠性のある一を、僕たちは、求めている。

単一のひとりの他人を、僕たちは求めていない。

その、『ひとりの他人の奥(≒深層)』を、僕たちは求めている。

・・・・。

・・・・・。(笑)

・・・・。

・・・・・。

だから、とてもとても会いたい人に会うというのは、とても、「効率」がいい。

会いたい人に会えば、多くの人に会えるから。

会いたい人に触れれば、多くの人を感じることが出来るから。

誰かひとり単一から、僕たちは安心を感じない。

その誰かが、多くの他者の繋がりを感じることが出来るから、僕たちは安心する。

僕たちが避けるべきは、「孤独」。

愛とか恋とか叫ぶ前に、まず僕たちが回避しなければいけない命に関わることは、「孤独」なんだ。

孤独を回避するために、他者を求める。

より孤独を回避するために、多くの他者を求める。

繋がりを感じるために。

ずっと繋がっていられるよう、そう「錯覚」するために。

「全」が必要なんだ。

切り離されたひとりの人物はいらない。

ひとりの人物というのは、多くの他者を知る、『きっかけ』にすぎない。

僕たちが求めているのは、どこか、「記憶の凝縮」なんだ。

会いたい人・好きな人に会っていると、脳の中がぎゅ~~~っとなる感じ。

明らかに、脳がおかしい。

明らかに、心がおかしい。

日常では感じられない、心具合の変容。

好きな人・会いたい人に会っている時にしか感じられない、圧倒的幸福感。

その時の記憶が、ずっと心に残り続ける。

その時の、「脳の凝縮具合」が、ずっと脳に残り続ける。

そこにあるのは、「多くの他者」なんだ。

ひとりの会いたい人物に会ったこときっかけにして起こる、「心の奇跡・脳の機能越え」なんだ。(←wwww。なんじゃそりゃ。←ww)

それは、「走馬燈(そうまとう)」にも少し似ている。(というか現象としては同じ。歴史は多くの他者の集まり。)

寂しいは永遠に消えない。

それは、繋がることが、僕たちの「使命」だから。(SF?←ww)

むしろ、繋がることしか、僕たちの生きる意味は、ないといってもいいだろう。

生きる意味は何?

その答えは簡単で、繋がることだ。

僕たちの生きる意味とは、『多くの他者と共にいる』ということだ。

それしかない。

僕たちの生きる意味は、「繋がり」でしかない。

だから、その繋がりを拒否する孤独は、とても辛いものなんだ。

孤独とはつまり、存在否定だから。

孤独とはつまり、生きていることの否定だから。

僕たちは、繋がることしかない。

僕たちが与えられたこととは、(誰かと共に)ここ(≒現世)にいることしかない。

それだけ。

シンプルすぎるから、分かりにくい。

あっけなさすぎるから、それ以外の多くを求めてしまう。

これだけ。

僕たちの存在は、これだけなんだ。

・・・・。

・・・・。

・・・・。

以上で~~~す。←wwww

だいぶ暴走したな、今夜も。←www

それじゃあ。

おやす~~~~。

・・・・。

・・・・。