ふつう。←ww
9月25日水曜日。時刻は午後6時半。
今現在の、僕の心理状況は、割とふつう。
確か、先週の平日は、だいぶ「寂しい寂しい」言っていたけど。
確かに、今も、寂しいは寂しい。
でも、出会おうとすれば、ある程度、可愛い女の子に出会えるという、これまでの実地体験が、たぶん、今の僕の心を、「ふつう」にしている。
少し、「成長」したのかも。
割と今、僕の心は落ち着いている。
泣いてない。(←ww。別に、今でもこのブログをやり始めて以降も、実際には僕は涙を流していないけれど。)
割と、「平穏な」僕がいる。
生まれてきてから、ほんの少しだけ、「承認欲求」を満たされた僕がいる。
「疲れた」とか、「疲れた」とか、「しんどい」とか、これまでの僕は、毎日愚痴るように言っていたけど。
今も、普通に疲れてはいる。
でも、何というか、「心に助けられている」。
つまり、「いい思い出に助けられている」。
疲れているけど、いい体験をしてきたから、疲れたと愚痴ることから、逃れられている。
不思議。
この感覚、マジで不思議。
疲れを凌駕する精神的な幸せが、強い、という感じか。
「幸福」って、凄いな。
僕にとって、「可愛い女の子」って、凄いな。
僕に対して、明るく笑顔で接して、そして手を長時間握らせてくれて、そして髪を触らせてくれる女の子が、この世に存在しているって、凄いな。
疲れから、遠ざけてくれる。
僕にとって、最悪であり、最大の敵である「疲労」から、「幸福な体験」は、守ってくれているよな。
他人から僕の存在を認めてもらえるということが、こんなにも「幸せな体験」だとは、今までの僕は、知らなかった。
可愛い女の子から、クソみたいな僕の存在を赦してもらえることが、こんなにも、僕の精神に影響を及ぼすとは、これまでの僕は、知らなかった。
「経験」って、すごいな。
「世の中」って、すごいな。
そして、やっぱり、「女の子」って、すごいな。
繋がる。
繋がり。
繋がるとは・・・。
・・・・。
・・・・。
やはり今の僕にとって、「女の子という存在」は、僕の、『心の問題』だ。
僕の心が、「可愛い女の子」を求めているし、実際に会うと、今の僕の心理状況のように、僕の心が、何らかの影響を受けているのを確実に感じる。
出会う前と出会った後。
その前後で、僕の心が少しだけ変わっているのを、すごく感じる。
心の問題。
僕の心を、僕はどう、救っていくか。
そのヒントが、「女の子と出会う」ことにある。
そのヒントが、女の子と出会い、そして彼女たちから、僕という脆い存在を知ってもらうことにある。
僕の心はどこに向かう。
僕の心は、何を求める。
自分の心を、僕は常に観察している。
「自分の心の行き先・現在地」を、僕は常に観察している。
自分の心を、満たしたい。
自分の心が、寂しくならないように努めていきたい。
繋がり。
繋がる。
繋がりとは・・・。
僕の心というのは、僕にとって、非常に厄介で。
僕は、僕の心を満足させるためだけに、僕は生きている。(僕僕言い過ぎいっ。←ww)
僕の心を安心させるためには、僕はまだ、「繋がり」が足りない。
僕の心を寂しくさせないために、僕はまだ、「女の子との繋がり」が足りない。
繋がりとは?
他者との繋がりとは、一体なんなのだろう・・・。
どこまでいったらそれは、「繋がり終わる」のだろうか。
終わらない気がする。
お腹がすくように、一時的に繋がっていても、また離れている時間が経てば、寂しくなって、また、ずっと繋がっていたいと思う気がする。
たぶん・・・。
・・・・。
繋がり。
繋がりとは。
心とは。
・・・・。
・・・・。
・・・・。
繋がっている時しか、繋がっていない。
その事実が、とても『悲しい』。
会っていない時は、「思い出」とかで、補完したり。
繋がっていない時は、「会っていた時の記憶」とかで、自分を慰めたり。
繋がり続けたい。
絶たれたくない。
切られたくない。
何か少し、「好きな人を殺してしまう感覚」が、分かる気がする。←ww
ずっと繋がっていられないなら、消えたい。
ずっと繋がることが許されないなら、消したい。
繋がっていない時が、めちゃくちゃ辛いから。
繋がっていない時は、それはほぼ、「死」だから。
死というか、「拷問」というか。
死みたいに、一瞬にして終われないから、余計に辛い。
繋がっている時は「刹那」で、繋がっていない時は「永遠」で。
その、人間の精神的構造が、まず欠陥。(←それなー)
人間の心は、幸福より不幸の方が、より「堪能」させてしまう。
同じ量や大きさだとしても、幸福より不幸の方が、圧倒的に、『強い』。
不幸は長い。
幸福は、一瞬なのに。
ずっと繋がっていなければいけないという、この、人の本能が、「ぶっ壊れ」なのだ。
死ね、神。
死ね、創造主。←ww
ムカつくわ。
こういう風に僕たちを創ったの、ムカつくは。
何か、また、変な言い方だけど、『射精したくない』。←wwwww
今の僕の成長段階では、やっぱり可愛い女の子に対して、あまり「性欲」は沸き立てられないんだよな。
犯したいという気持ちよりも、まずは、一緒にいたいという気持ちが、圧倒的に多い。
何か、ちんぽとは別物なんだよな。←ww
膣内に射精して、繋がりを感じれる「レヴェル」に、僕は達していないというか。
まだ、手を繋ぎ合っている段階で、十分に「幸福」になっている。
手を繋いで、今まで感じたことのないような感触を、彼女の髪に触れることで感じるだけで、かなり「達している」。
ちんこを使うレヴェルに達していない。
射精に頼るレヴェルに達していない。
彼女が「存在してくれている」だけで、かなり『気持ちいい』のだが。
犬飼ユウって、「極めて幼い」な。
まあ、犬飼ユウは、生後2か月なので。←wwwwww
まだ「保護」されている段階というか。
もしくは逆に、「介護」されている状況というか。
男女の関係の段階に、僕の精神が至っていない。
まだバブバブ言っている。
抱っこされているだけで、とても幸せ。
射精することがどこか、少しだけ、彼女の存在を否定するような気がして、躊躇う。(どんだけ中学生かよ。←wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww)
でも、するけどな、普通に、今日おそらく、寝る前に。
・・・・。
・・・・。
・・・・。
何の話をしていたっけ・・・。
幸せな体験は、疲れを凌駕するっていう話だったっけ。
繋がっている体験は、疲れを忘れさせてくれるっていう話だったっけ。
というかさ、思うんだけどさ、アイドルの「嵐」って、もうすぐ解散するじゃん。
それで、ファンが、めちゃくちゃ悲しんでいるじゃん。
その気持ちが、最近になって、ようやく分かった。
とてもとても会いたい人に会える機会って、「奇跡」なんだなって。
というか、ファンの人たちって、大丈夫か?
今後、嵐が解散して、もう2度と嵐に会えないとしたら、生きていけるのか?
それって普通に、「自殺」するレヴェルじゃない?
それぐらい好きなのなら。
めちゃくちゃ好きで、その人に今までは会える機会があって、それで、今後ほぼ一生会える機会がないのなら、この先、生きる意味なくね?
それぐらい好きならば。
同じぐらい好きな人が、いないのならば。
僕たちってある程度、「代替品」を見つけて生きているわけじゃん。
失うことが多いから。
素敵な体験・幸福な体験は、2度と出来ないことが多いから。
「嵐」というアイドルに取って代われる存在の人が見つけられない人は、だいぶ辛いだろうね。
ああ、SMAPもそうか。
アイドルを好きになるって、大変だね。
僕、そこまで、アイドルを好きになった経験が無いから。
というかそもそも、人を好きになった経験が、ほぼほぼ無いから。
いいよね、誰かを、好きになれるって。
それが、それこそが、僕たちの、『存在』なのだろうね。
会いたい人がいる・求めている人がいる。
その事実が、僕たちを「生かしている」のだろうね。
「会いたい他者」がいることで、僕たちは存在している。
「触れたい他者」がいることで、僕たちの存在は成立している。
ひどく、『他人頼りな存在』だよね、僕たちの存在って。
求めている「過程」が、大事なんだろうね。
触れるまでの「過程」が、大事なんだろうね。
繋がるまでの「(承認)欲求」が、大事なんだろうね。
誰かがいることで、僕たちは存在している。
誰かがいることで、僕たちは存在しようとしている。
・・・・。
・・・・・。
・・・・・。
何か、よく分からなくなったから、一旦ここで切ります。
たぶん、その2を書くかも。
ああ、こうやって書いてると、やっぱ疲れが出てくるなあ。
ずっと、繋がっていたい。
繋がっていれば、疲れを忘れることが出来るから。
繋がっていれば、何もいらないから。
繋がっていれば、こうやって、想う必要も、なくなるから。
・・・・。
・・・・。
・・・・・。