11月22日「文才についてと、鬼滅の刃について。」

「文才、特に文章で物語を描く際の才能とかについて。」。

僕は基本小説を読まないし読めないしまた、今まで書くとかも全く思ったこと無い。

また、エンタメとしては漫画とか音楽とかが好きで、映画とかテレビドラマとかは全く見たい。

部活に関連することなんだけど、文章で物語を表現するっていうのはとても難しいし、またかなり漫画やドラマや映画などと比べて「ハンデ」を追っている。

それは、「背景の差」だと思っている。

例えば映画とからドラマでは、一見僕たち視聴者は役者ばかりを目に追っているけれど、そこにはまず、その舞台の場面やシチュエーション、つまり背景が用意されている。(学校が舞台の背景なら学校で撮影をしていたり。)

まず大前提として、物語を描くには「背景の繊密な描写」が必要だと僕は思っていて、その点において、文章による表現はかなり遅れを取らざるを得ない。(≒導入しにくい。そもそも、手に取ってもらえない。)

僕は、物語とはまずは「手に取ってもらえるかどうか」、つまり「多くの人に見てもらえるかどうか」が、評価の大前提になると思っている。

つまり、一定数に見てもらわないと、そもそもそれは全く「作品」ですらないと思っている。(これが以前述べた、芸人最強理論が当てはまる。(少し意味合いがズレるけれど。)。芸人はおそらく今の表現の中で、一番ちゃんと一目に出て、つまり舞台にちゃんと立って、面白いかどうか日々「評価」されている表現者であり、まずそこが凄いと思う。評価される舞台に立つ、他人からの面白いか面白くないかの評価にちゃんと向き合うっていうのが、作品における大前提。)

そう考えると、今のコンテンツ動画全盛期の世の中、どうしても文章はとても弱い。

その中でやるべきことはまず、「背景」をちゃんと描くことだと僕は感じている。(そうしないとそもそも舞台にすら立てていない。)

(まあ、むしろ、背景を描ければある程度のものにはなるけれど。)

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話ズレるが、今、鬼滅の刃がめちゃくちゃ流行っている。(遅いぞ。←ww)

そこで思うのは、何だろう・・・、やっぱりまだまだ、漫画というのは「サブ文化」だなあと思う。

例えばさ、ドラマの半沢直樹とか、一気に世の中的に流行るじゃん。

あれ見るとやっぱ、「動画コンテンツ」って強いなあ、つまり世の中に認知されやすいなあと思う。

そもそもやはり、ジャンプというのは漫画ファンには素晴らしいカルチャーだけど、そもそも漫画を日頃読んでいる人が少ないのだ。

それを考えると少し「悲しく」なる反面、そうまでして、今回の鬼滅の刃のように漫画ファンを越えて、普段漫画を読まない人にさえ読まれて評価されるのはどうなの?と思ってしまう。

だって、だいたいそういう人ってとんちんかんな評価しかしないから。

それは例えば、普段お笑いを見ない人がM-を見てお笑いを語ったり、そんな感じのことなのだろう。

そこら辺、難しいよね。

ここまで流行って、鬼滅の刃の作者は嬉しいのだろうか。

この流行の中間ぐらいの、小学生ぐらいの子が鬼滅の刃にハマってくれるのはおそらく嬉しいだろうと思ったけれど、何か世間的に流行っているから大人の俺もいっちょかみしてやろうとして大人が読んでいるのを見て、面白くなかったとか言っているのを見ると、・・・・、と思う。(とは言えば、作品とはまずは大勢に読まれることが前提だから、これでいいのだが。)

何か僕的には、もっと漫画ファンが増えて欲しいなと思う。

ドラマとか、何が面白いんだ?←ww

普通に、漫画というのが、エンタメで僕は最強だと思うけど。

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・・・・・。

ふにゃ。

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