2月14日「日々徒然」

今週の平日の件について。

また、それ以外の色々。

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2月14日日曜日。時刻は午前11時。

火曜にも似たようなこと書いたけど、今一度。

会社で少し人に変化が起きて、自分の仕事量が増えた。

今までやっていなかったことをやったりして(まあそれは、慣れれば誰でも出来ることなのだけれど)、色々疲れが増えている。

一応、また人を色々調整して、ある程度すれば自分の仕事量は減るっぽいけど、分からんけど、しばらく仕事量多くこなしていかなければならず、うぜええなあと思っている。

こういう機会で改めて、自分にとってこの仕事とは何かを考える。

それは何度も述べたけれど、自分にとってそれなんだろう・・・、はっきり言ってあまり意味がないというか(まあ、そんなこと言ったら生きる上で意味のあることなんてないのだけれど)まず「お金」で言うと、仕事量増える前も自分が満足する金額はもらっていたし(しかしおそらく、自分と同年齢の平均年収よりは僕は低い。こどおじだからこそ満足できる金額だと思う)、というか、最近の仕事量増えてもおそらく収入増えないのでは(笑)、まあ、どっちでもいいけど(本音は上げれるなら上げろっ!)

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自分にとって今は、お金どうこうはあまり意味をなさない。

自分にとって、今の仕事とは。

まあこれは、以前から何度も書いていることと被るけど。

忘れないために、刻むために。

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まず第一として、働くことで「社会」に属していたいため。

これが一番大きい。

やりがい(笑)とかは、全くいらない。

今働くのを止めてしまうと、僕はまた社会から孤立してしまう。

それは短期的には自分整理が出来たりして喜ばしいことだけど、長期的にはそうはいかない。

僕たちの生きる上で、一番の強敵であり永遠なる敵とは「社会」であると以前述べたが、僕たちがどうなるとも、社会との関係性・社会に対しての姿勢とは消すことが出来ない。

ある意味それは、ハッピーエンドはない。

永続的に僕たちは、おそらくそれほど幸福でない社会と向き合い付き合っていかないといけない。

その社会と付き合っていく上で、ある程度の年齢であるならば、働いていないと、それに対する「回答」を持てないのだ。

それな。

もうちょっと詳しく丁寧に、それを説明しようか。

僕の説明、だいぶはしょってるから。

社会から切り離された人の社会への言葉って、やっぱり「しょぼい」んだよね。

つまり、(社会)を知らなくて、社会全体に寄り添えた言葉を持っていない。

それは有名な学者とかもそれに近い。

一見高みから超越して物事を見ているようで、実は空っぽな、実態を体験出来ていない人から生まれる言葉に過ぎなかったりする。

結局僕たちの生きる上で、一番の財産であり唯一の心依れるものとは『自分自身の経験』及び「それに伴い理解出来る他人の言葉」であったりする。

自分で経験しないと、僕たちは真の意味で理解することが出来ない。

結局僕たちは自分周辺、半径2~3mの世界しか生きることは出来ず、「完全なる世界の理解者」なんて存在しない。

自分の神、自分を一番分かっている(少なくとも自分の情報を一番持っている)のは自分である。

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何を書きたかったのだっけ・・・。←ww

そんなこんなで、一番の強敵である社会と向き合う中で、今の僕の唯一の社会との繋がり、社会を理解出来る繋がりは今の会社で働くということなのであった。

疲れた。

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