「生きること=死ぬこと」という難問について。
・・・・。
・・・・。
2月14日日曜日。時刻は午前11時。
よくこのブログでは、ほぼ同等な意味の2つの単語を述べる時に「≒」という記号をよく使う。
実際2つのものが「=」、つまり全く同じものであることはほぼほぼあり得ないので、「≒」を僕はよく使う。
しかし、生きることと死ぬことについては、僕は「=」、つまり、全く一緒、同義なるものであると感じている。
しかしこれを、上手く説明出来ない。←ww
感覚としてそれは強くあるのだが、それを上手く説明出来ない。
「生きること=死ぬこと」。
僕は、以前から述べている通り、生きることに意味を見いだしていない。
それは、僕が何欠けていて生きる意味を見いだせないというより、生きることそもそもそれ自体が「虚構」であり「虚無」であり「無為」であると感じるからだ。
僕たちの命に意味はなく、そもそも有でも無でもないと僕は思う。
無ですらない無であるのが、僕たちであると僕は思っている。
「生きること=死ぬこと」
死というのは、はっきり言って生きている人では誰も理解することの出来ない、ある意味触れられない世界である。
僕たちの生きることで一番出来ることは「想うこと」であり、その想うことが出来ない世界が死の世界。
生きることは虚構であると僕は述べたけれど、それならば死の世界とは何か。
虚構がどこに向かうのか。
何も無い世界が、どこへ向かうのか。
それは、現時点では、「同じ所」としか言いようがない。
つまり、生=死としか言えない。
変わらない。
自分が生きようとも、死のうとも、差がないと僕は思う。
生=死。
その先は?、と僕は思う。
それ以上は分からないから、僕も困っている。←ww
ある意味、その先の回答を探して、僕はまだ生きても死んでもいないのかもしれない。
・・・・。
・・・・。
・・・・。