1月21日「社会とは何かと、それに大きく関わっているお金の話と、自分がこれから何したいかの話」

「社会とは何かと、それに大きく関わっているお金の話と、自分がこれから何したいかの話」

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1月21日木曜日。時刻は午前9時。

大抵水曜を休むパターンが多いが、昨日会社に行かないといけなかったので今日休んでいる。

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2,3日前から述べている、働くこととは僕たちの最大のラスボスである社会(とりあえずここでは人間社会だけで述べていく)に立ち向かう為だ、と述べた。

社会とはつまり、自分以外のすべての人、特にその人が生きていることで今の社会を成り立たせる人、つまり社会人とか働いている人の集合体と示す。(働いていない人ももちろん含まれるけれど、今の社会がそのような形に成り立っているのは働いている人がいるからで)

社会。

社会≒それはつまり、他者性の集合性、みたいな。(何でも性つけるパターン)

結局何だろう・・・、僕たち人間というのはやはり、「群れ」というのが大きいのではないか。

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以前から述べている通り、自分の存在とは自分だけでは全く存在せず、誰か、つまり「他者」の存在によって始めて存在するから。

他者性=社会性

それが、僕の場合働くことで、社会に加われれているという「承認欲求」が満たされてきた。

社会を倒すことなんてできなくて、それは自分以外すべての他者の否定であり、またそれはつまり自己否定になるから。

社会を倒すことはつまり、自分を殺すことになるから。

だから、僕たちが生きるには社会に生きる、つまり自分もまた社会に加わるしか生きる道はないのでは?と。(何かちょっと、エヴァっぽい。←そうか?←ww)

そこでまた、重要なキーとなってくるのが「お金」だと思う。

お金とはつまり、社会的に認められた「ハンコ」のような。

こんだけ自分は社会に捧げたから、その見返りとしてこれだけの「認め」をやろう、とか。

だから、社会的に自分がある程度認められる、そうすることである程度社会を俯瞰できる立場になる、ある程度社会から離れられる(無理に社会に従順しなくても、ある程度個を許される)のが、ある程度お金を持った人、ではないか。

つまり、お金が唯一の社会というラスボスに対抗できる「武器」であると。(しかし社会というラスボスは死なないので、完全に倒せる武器ではない。)

社会。

社会とお金。

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実際僕も、僕は25~6ぐらいに今の会社で働き始めたのだけれど、19歳頃この慢性頭痛を発症して、それから4年間ぐらいは何もしなくて、そこから3年ぐらいバイトをして、月に4万ぐらいで、それで25~26で働き始めてからある程度普通のお金を稼いでいくことが出来た。

それで、30を過ぎたあたりである程度お金を貯めれて(僕はこどおじであったり、また親が社長なので車も会社の経費で使えたり。家賃や食費や車代を払う必要がなかったのがとても大きい。)その結果、ある程度お金を持っているというだけで、すごく精神的に心の余裕が生まれたと思う。

てか、その結果の今の僕だなと思う。

つまり、今の自分の僕があるのは、ある程度お金がある(と言っても別に、大した金額ではないけど、20代前半から働き始めた人と比べたら全然給料低いし)から生まれた僕だなと思う。

1年ぐらい前からそんなただ持っているだけのお金はもったいないなと思って、ちょこちょこ使い始めた。

それまでの僕は本当にお金を使わなくて、一体何して20代後半の僕は生きていたんだろうというぐらい。(というか、20代後半の僕は働くことで精一杯で、その時は今のように平日もこうして休んだりせず、無理して週5勤務していた。土日はずっと家のベッドで休んでいた気がする。)

また、お金が出来たことで精神的余裕が生まれ最近の僕の筋トレであったり、精神的な居場所を求め部活をやっていたりする。

つまり、僕を大きく変えたのは「お金」では、と思う。(またそれを得るために行った社会経験。お金と社会経験が今の僕を成り立たせているのでは?)

それは、使うどうこうではなく、持っているだけで、ある程度半年~1年後の自分をある程度心の安定を持たせて見通すことが出来るから。

以前お金とは「ツール」であると僕は述べたけれど、そういうこれからお金で何か出来る(例えば食事を買うとか、電車に乗って移動するとか)という未来への安心感があるおかげで、今の自分が精神的に安定して暮らしていけるのだろう。

先ほど自分を変えたのは「お金」と述べて、()内でそれに伴う社会経験と述べた。

お金だけでは、やはり今の僕がないと思う。

「経験」。

それは、社会がどんな風か、他の人はどのようにして暮らしているかを観察する、それが僕が今の会社で働いて日々得られる大きなものだと思う。

「ひとりひとりの他人」こそが、社会の一粒一粒であり、僕たちは社会全体を見ることは出来なくて、それぞれがそれぞれ自分の生きる所で会う人から社会を知っていく。

つまり、日々会う数人の人からしか僕たちは社会を感じられないのだ。

テレビやインターネットとかのニュースでは、その実感は掴めない。

自分がフェイスtoフェイスで1on1で人と接して初めて人を知り社会を感じ取れる。

つまり、自分の「半径2~3メートルの世界」を生きることで、初めて僕たちは社会に参加することが出来るのでは、と。

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社会とお金と、社会経験。

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話をお金の所に戻して、やはりある程度のお金を持たないと、「社会的?」になれないと思う。

ここで言う社会的とはつまり、矛盾した言い方だけどある程度「社会から離れられる」ということだ。

社会を「俯瞰」出来る状態。

社会に大きく影響されない状態。

それが唯一出来るのが、お金を持った状態、もしくはその社会から社会的に距離を置く(例えば田舎に住んで自給自足の生活をある程度するとか。)

そのラスボスである今の社会は主に「資本主義」をベースとしてやっていて、その社会に大きく属している限りやはり「お金」がその社会にメインになってくる。

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ある程度お金を持つことで、ようやくそのお金が強い社会から少しだけ乖離・俯瞰出来る。

僕はそう思う。

お金がないと、いつまでも社会からまるで怒られているような、自分が非常に抑圧された状態になる。

お金がないと、いつまでもお金をベースにした社会に自分が従わなきゃならないような。

お金があることで、初めて僕は自分を始められたような気がする。

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とりあえず現状で思っていることはこんな感じ。

まだ正解ではないと思う。

正解などない。

死ぬまで、僕たちは分からなく、不安のままである。

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