12月29日のペッティング。(4回目?5回目?)
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今回の場合、以前まで早漏早漏とか言っていたが、慣れてきたのか、正常位でも5分ぐらいは腰振り出来たと思う。
最初、今までの経験上すぐ出てしまうから自分のペースでゆっくりゆっくり腰を動かしていた。
それで少しずつ、何か自分、セックスしているなあという慣れみたいなのがようやく4~5回目の今回でしてきて、やっぱ挿入でのピストン運動がセックスっぽいよなと思っていた。
ただ何だろう・・・。(これ、ブログ上での僕の口癖)
セックス、及びその運動の中心のピストン運動やっている時って、自分が宙に浮いているというか、自分であって自分でないというか・・・・。
自分がピストン運動している時に感じたのは、やっぱりこれって・・・・。
人間って、やっぱり女性主体的生命だなというのを改めて感じたというか、女性がやはり人という生物の「器」であって、男はその「添え物」という意識を、ピストン運動している時に、その無意識なる自我を感じながら感じた。
ピストン運動している時、自分が消えていくというか、このピストン運動自分って何だというのをかすみがかった意識の中で思うのだけれど、自分はもう、役目を終えている気持ちで満たされていくんだよね。
生きる意味に対して、このブログ内で僕は散々語ってきたけど、基本無いであったり、死なないために生きるであったりしたと思うけど。
それら生きるとはという問いに対してピストン運動している最中は結構その答えに近づけるというか、「無い中心」に行ける感覚があるのかもしれない、ピストン運動の最中は。
意味とか意図とかから外れてて、単純に本能の生命体となっている自分が、面白いというか、考えることが出来ないぞ、という思考にいきつく。
それまでは、挿入までの前戯までは、いかに相手のムードを切れさせないか、そのために相手に気持ちよくなってもらい続けることに頑張る自分がいるのだけれど。
長いこと前戯をして、だいぶ相手を満足させたから、そのご褒美として最後射精するか、その射精するためにピストン運動しますか、っていう流れになっている、今の所。
手マンとピストン運動、どっちが気持ちいいのか聞いてみたい気もする。
見ている限りでは手マンの方が満足度高そう。
手マンの方が僕的にも自由がきくというか、攻略法が色々あって、様々な攻めが楽しめるけれど、挿入の場合、例えば正常位の場合(今回は正常位だった)、動きをゆっくりしたりとかはあるけれど、基本一方向の上下しかないから(今の所)、相手からしたら単調なんじゃないかな、と思っている。
また自分が射精しないよう、まだスローにしかピストン運動出来ないっていうのもあるけど。
やっぱ高速でピストン運動した方が気持ちいいのだろうか。
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ただ、結局射精してしまうとそれはオナニーと同じで、セックスだとしても結局賢者タイムが来て、相変わらず死にたくなるのは、しょうもないというか、賢者タイムって残された青春だなと思う。
これからどんなに年を取っても、男は射精したら、毎回このブルーな気持ちになると思うと、しょうもないなと思う。
(それは女性も同じだろうか。ただ男は射精という明確な頂きがあるのだが、女性の場合はどうなのだろうか)
例えセックスしたとしても、何も自分は変わってないというか、死にてー。
より死にたくなったというか、今までは女性を得て、セックスをしたら何か変わるのではないかという淡い期待もあったのだが、やはりそれは無く、これから僕は何を求めればいいのあろう。
と言いつつ、また性欲があり限り性欲は湧いて、彼女がいればセックス、彼女がいないのであればオナニーはしたいと思い続けるのだが。
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自分の人生、もうほんとに、何も求めないというか、ダラダラしたい、他者とコミュニケーションしたい、動画編集したいという思いは色々あるのだけれど、何かめちゃめちゃ燃えるものがあるかというと、無い。
婚活して彼女を得ることも、とりあえず自分が死なないために自分を理解してくれる相手だったりコミュニケーションしてくれる相手だったりを求めたわけで、言うなればそれは単に死なないための処世術であり、自分がキラキラとメラメラとその存在を燃えるように何か希望や勇気を原料にして動いているわけではなく、ただ死んでない生命の延命治療に過ぎない。
自分が生き物として生命として人として、つまらない、しょうもないなと思う、圧倒的に。
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それでどうするか。
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寝る。
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眠い。
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12月29日金曜日。時刻は午後11時。