7月26日「祝福の金曜日。おいおい、日付変わってもう土曜日だよ。おいおい、お疲れ。そしておやすみ。おいおい。おいおい。」

何から語ろうか。

何から書こうか。

何から想おうか。

ふう・・・。

それは賢者タイムのふう・・・ではなく。

そうではなく。

ふう・・・。

おはよう。

優しい君、おはよう。

ありがとう。

愛おしい君、ありがとう。

僕は感謝する。

僕は感謝する。

ふふふ。

ふふふふふ。

ははははは。

ああ・・・。

ふう・・・。

今日も終わるね。

今日も、今日が終わるね。

今日も、今日が一日が終わるね。

書いているのは10時半。

この文章を書いているのは10時半。もうすぐ今日が終わりそうな10時半。

おはよう。

おはよう、優しい君。

おはよう、生きている君。

おはよう、生きていてくれている君。

おはよう、画面の向こう側の君。

おはよう、世界のどこかにいる君。

おはよう、この文章が読める君。

おはよう、そこにいる君。

僕は感謝している。

そう。

はい。

僕は感謝している。

そこに君がいることに。

そこで君が「呼吸」をしていることに。

そこで君が、君のとても美しい瞳でこの文章を読んでくれていることに。

ふふふ。

ははは。

ありがとう。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。

僕は「それで」、生きている。

人は嫌いだ。

人間は嫌いだ。

他人は嫌いだ。

あまり関わり合いたくはない。

あまり笑い合いたくはない。

あまり「深い関係」になりたくはない。

もしこの文章を読んでいる君がいきなり街で僕に話しかけても、俺はまるで知らない振りをするだろう。

分からない振りをするだろう。

(実際、俺の「人格」というのは複数あって、あまり自分というのを覚えていない。)

(人格複数あるとかいう中二病的なことについてのつっこみは今はなしで)

(自分って曖昧だから。自分ってその時その時の雰囲気に流されて、『演じている』だけだから。1秒前の俺を俺は覚えていない。1秒前の俺を俺は知らない。)

僕は君を知らない。

僕は君に興味がない。

しかし、ありがとう。

矛盾しているけれど、その言葉はただの「形だけのものだけど」、とても、ありがとう。

ふふふ。

ははは。

ちょうちょ、ちょうちょ。

なんて。

ふう・・・。

何から話そうか。

ふふふ。

昨日の「暗闇時間」について今日もまた話そうかな。

この文章書く前も、今日また僕は「暗闇時間」を経て、これを書けている。

暗闇時間が終わっての、この文章。

暗闇時間を通過しての、今の僕。

一日が終わりそうな時に、本当の僕は起きる。

一日が終わりそうな時に、僕はやっと少しだけ、まともな「頭」になってこれを記せる。君と話せる。

にゃははは。

にゃははは。

おっぱい。いつものように、おっぱい。

まんまん。まんこではなく、まんまん。

きちょまん。詳しくはググっての、きちょまん。

はあ、俺、生きているんだなあ。

「A→B→C」の流れ。

昨日話した、「A→B→C」の流れ。

Bの時間を経て、やっと僕は少しだけ自分を出せる。

暗闇時間に耐えて、ようやく僕はこうやって、僕は吐き出せる。

嬉しい。

もう少しで「勃起」出来そうなぐらい、嬉しい。

まだ勃起は出来ない。

今はまだ、起きたばっかだから。

今はまだ、生まれたばかりだから。

今はまだ、赤ちゃんだから言葉さえ知らないから勃起してないからちんちんふにゃふにゃだから。

おはよう。

おはよう、優しい君。

ありがとう、愛おしい君。

(いつものように、可愛い子募集です、と。)

あー、『少し』幸せ。

にしし。

あー、少しだけ「安心」。

ふふふ。

やっと想える。

うん。

ふふふ。

今日という日が終わりそうなもうすぐ夜の11時になろうとしてる時、僕はようやく自分の想いを吐き出せる。

嬉しい。

うん。

嬉しいよ。

神に感謝?

それはしてないかも。

神とか、まだ存在してない僕の頭の中の「思考空間」。

起きたばっか。

激しい頭痛の痛みが少しやわらいだばっか。

昼間の何も価値がない仕事の疲れを取れたばっか。

今日も昼間は僕はいなかった。

僕は昼間、死んでいる。

働いていた僕は、何も無い。

待っていた。

家に帰るのを待っていた。

横に慣れることを待っていた。

こうやって、一度身体休めて頭痛おさまるのを待っていた。

ここだけの今日。

朝6時半に起きて、夜の11時に近づいたこの時間にようやく僕は、僕が始まる。

朝6時半から夜10時半を犠牲にして。

朝6時半から夜10時半を耐えて。

ようやく僕は、僕の「扉」を開ける。

もったいな。

憐れ。

惨め。

そういう想いに、毎日耐えて。

そういう「焦り」に、毎日心やられて。

それでも今は、こういう一日しか過ごせなくて。

僕って、呪われてるな。

この異常とも言える頭痛を発症して、僕はずっと呪われ続けているな。

・・・。

ふふふ。

ははは。

あーー。

あーーー。

今の僕の「想い」を、ここで文章にするのは難しい。

「何も無い」、という表現が一番最初に浮かんだけど、それじゃなく。

漂っている。

今、この文章を書いている僕は、「漂っている」。

幸せも不幸せもなく。

今日が間もなく終わる。

平日がまもなく終わる。

お疲れ。

クソみたいな平日、お疲れ。お疲れ。

ふう・・・。

はあ・・・。

何に触れていこうかな。

どこから攻めていこうかな。

どこからこの「女体」に触れていこうかな。

どこから、今日という「女体」に触れていこうかな。

今日、僕は何を想ったか。

今、僕は何を想っているか。

自分の思考の中を、ふらりふらりとぶらついて。

どこから突っ込もう。

どれから触れていこう。

ふふふ。

ははは。

にゃーにゃー。

あれかな。

やっぱり「おばあちゃんの話」かな。

やっぱり、それから触れていこうかな。

やっぱり、今はそれが気になるから。

俺のおばあちゃんが死にそう。←wwwww

「死」。

不謹慎だけど(まあそんなに不謹慎と想ってないが)、「死」ってやっぱり面白いよね。

死って、僕たちにとって、いい「思考材料」だよね。

死って、僕たちにとって、いい「勃起材料」だよね。

ふふふ。

ははは。

おばあちゃんが死にそう。

てか、たぶんもうすぐ死ぬだろう。

そう数日の間には死なないだろうが、この1年以内には死にそうだ。

ふふふ。

ははは。

不謹慎だけど、『ユニーク』。

不謹慎だけど、「おもしれ」。

僕って、そういう人間だから。(ビッグダディ?)

どんなものでも、「思考材料」にしてしまう。

悲しい出来事不幸な出来事、僕は全部、まるで死者のような目で見つめてしまう。

ストレートに物事を受け止めることは僕は無い。

すべての事象を、遠くの方から僕は眺め続ける。

それは頭痛のせいでもある。

しかしそれはどちらかと言うと、僕の昔からの「性格」であろう。

僕の性格。

それは僕が最も興味があるものでもあり、最も解き明かすことが難しいもの。

僕たちは死ぬまで、僕たちを探し続ける。

僕たちは終わる時まで、自分とは何かを考え続ける。

それが僕たちにとって一番の「楽しみ」であり、また「謎」であるからだ。

ふふふ。

ははは。

答えは一番近くにありながら、一番遠い。

僕たちは一番近くで自分を見ていて、一番遠くから自分を見ている。

ふふふ。

ははは。

話戻して。

おばあちゃんが死にそう。

ここ1年、おばあちゃんは病院を入退院を繰り返している。

おばあちゃんは90才ぐらい。(正確には知らん。覚えようとも思わん。)

この1年、がんが再発しては入退院を繰り返している。

今日、お見舞い行ってきた。

今おばあちゃんは入院していて。

入院している時は、1週間に一度お見舞いに行くようにしている。

おばあちゃん、ヤバいね。

特に今日、そう感じた。

すごく、「死体」に近い顔をしていた。

(今年になって職場の人が亡くなって、その人の葬儀的なものに行ったときに、その亡くなった顔を見させてもらった。)

俺のおばあちゃん、だいぶ変わっていて。

基本的に、すごく明るい人なんだよね。

今日お見舞い行っても、普通に明るくて。

普通、薬の影響で苦しいはずなのに、どこかネジが外れている人で。

痛くないのか?苦しくないのか?っていうぐらい、そういうそぶりを見せない。

だけど、もう身体が完全に終わりそうな感じで。

俺、見舞いに行っても別におばあちゃんと会話しないんだよね。(は?)

wwwwwwwwwwwwwww

ここ、俺がだいぶ変わっているところで。

ここから説明しないといけないか。(めんど。)

まあ、俺も性格変わっているというか・・・(言い訳)。

俺、家族ともあんま喋んないんだよ。←www

だから、このブログ内で俺が頭痛のせいで喋れない喋ることが出来ないとか書いてきたと思うけど、喋れない喋らない理由に頭痛のせいっていうのもあるだろうけど。

俺、頭痛うんぬんの前に、あんま喋んない人で。←ww

だからお見舞い行っても、適当に新聞とか雑誌とか漫画とかをただ読んでいて。

僕から会話はしない。←www

適当に相づちはするけれど。

てか、おばあちゃん、だいぶ耳遠くて。

まともに会話にならなくて。

それは言い訳で。

言い訳とは違うな。

耳遠くうんぬんなくても、俺、基本的におばあちゃんと話したいとはそんなに思わないから。←wwww

(こうやって自分さらけ出すことで、俺がどういう奴かバレていく・・・)

んで、今日もそんな感じで特におばあちゃんと顔を合わせずいたんだけど。

久しぶりにおばあちゃんの顔を見たら、だいぶ「ヤヴァくて」。

もう、すごく「病人顔」なの。

もう、すごく「死人顔」なの。

肌に死にそうな人特有の黒かったり茶色かったりするアザみたいなのがあって。

顔、すごく老衰感出てて。

あ、これ死ぬな。

あ、これもうすぐ死ぬ人の顔だなって、思ったんよ~~(YO、YO、YO~)

それだけ。

そんだけの話です。

久しぶりに、「死」を感じたね。

俺、久しぶりに死を感じて、心ぽっかり感、出たね

近しい人の死に触れると感じるあの心ぽっかり感。

おばあちゃんって、ほんと「性格」がほんと独特なんだよね。

楽天家とも違うな。

本当、少し天然というか。

基本、明るくて。

たぶん、俺の性格。

俺の、基本、明るい性格っていうのは、おばあちゃんから引き継いでいるものだよなあって、今日病院から帰る時思った。

何か、おばあちゃんって抜けているんだよね。

何か、苦しいとか悲しいとかの概念がないのかな。

ちょっと、変わっているんだよ。

普通だったら、自分の終わりとか考えて、終わりそうな自分演出するでしょ。

おばあちゃん、そういう感じを出さないんだよね。

身体とか顔とか見たら、もう終わりそうなのに。

おばあちゃん、見た目的にはもう死人に一歩足突っ込んでいる状態なのに。

それを見せないというか。

どこかネジが外れているんだよね。いい意味で。

すごく自分ペースというか。

「思考」が、一般的ではない。

常識が少しズレている。

それはいい方向にずれている。

「生きる」ことにおいて、いい方向にズレている俺のおばあちゃん。

そこ、俺と似ているというか、俺はそういうおばあちゃんの「性格」を引き継いでいるんだなあと、今日お見舞いに行って思った。

俺、ちょっと今回ばかりはヤヴァイなと思ったもん。

毎週お見舞い行ってて、お見舞いに行っても基本会話せず顔も合わせず、チラリと顔を見ただけで後は雑誌なり新聞なりを呼んでいる俺だけど。←wwwww

今日ちらりとおばあちゃんの顔を見たら、これヤヴァイ顔だと思って、思わず2度見3度見しちゃった。(ちゃんと顔見ろよ~~)

ああ、これはもう死ぬなと思った。

久しぶりに、「死」が近くに感じて。

帰っていく時、少し怖かった。

帰っていく時、心ぽっかりしてきて、色々考えさせられた。

「死」

久しぶりに、「死」を学べた。

「死」。

「死」

俺も、いつか死ぬんだなあというのを、今日のおばあちゃんを見て強く実感した。

それで最初に思ったのは、『勃起しなきゃなあ』だった。←wwwww

何というか、「子孫的」な。

よく終末系漫画で世が終わりそうな時って子孫残したいと思う気持ちが強くなるって言うけど、そんな感じ。

すごく、俺、「ひとり」だなあというのを、おばあちゃんの「もうすぐ死」を見て感じた。

「死」。

死って、やっぱり面白いよね。

死って、やっぱりいい研究材料だよね。

死って、やっぱり考えるべき材料だよね。

不思議。

不思議、死って。

そして死って、やはり『性』が強く関係しているなと思った。

「エロ」というより、「性」。

すごく遺伝子的な。

すごく本能的な。

「死」って、単体だと、すごく『強烈』だから。

死って、「負のパワー」が強いから。

あるよね、負のオーラというか、負の空気感って。

葬式行った後に、何か重苦しいというか、どっと疲れる感じ。

自分の頭の中に、「呪われた世界」が染み付く感じ。

すごく、生きるのに重さを感じる感じ。

自分の「生」を疑う感じ。

べっとりとした感じ。

どんよりとした感じ。

いつもより重力ヘビーな感じ。

それに対抗出来るのが、俺の場合「性」というか。

何か、ただの「明るさ」では「死」に対抗できないんだよね。

笑顔とかでは、死に対抗出来なくて。

原始的な、「性」。

まんこ。

まんこ。

おちんこ。

性に死をぶつける感じ。

腐敗世界に原始人をぶつける感じ。

言葉を捨てて知識を捨てて、剥き出しの自分を吐き出す感じ。

俺の場合、「死」に対抗出来るのって、「性」しかないよなあと思った。

「死」ってやっぱ、『強すぎるん』だよね。

底がない感じ。

終わりがない感じ。

えぐり続ける感じ。

「死」

「死」

それは、美味しい材料。

「死」

「死」

それは本能えぐる感じ。自分の思考、全否定される感じ。

何もかも灰になって。

何もかも、打ち消されて。

希望の灯かり消されて。

奪われて。剥がされて。終わらされて。止められて。

こわい。

おばあちゃんの顔を見て、久しぶりに俺はこわかった。

終わるなと思った。

一つの命、一つの生命が終わるなと思った。(青空に線を引くひこうき雲の白さは~♪)

こわい。

久しぶりに、生々しくこわい。

そして僕は、笑った。

いつものように、震えながら僕は笑った。

こわい。

しかし同時に、嬉しい。

いい材料を与えてもらって。

いい思考材料を与えてもらって。

僕はどちらかと言うと、「感情」がない。

それは、頭痛うんぬん関係なく。

この頭痛を発症して、その「感情のなさ」をより強くしたというか。

より、普通の人の感覚を離れて。

より、どろどろに曲がった感覚を持って。

より、遠くの方から世を見つめて世界を見つめて自分を見つめて。

狂っているというか、僕はたぶん、人よりより『不安な人間』なんだと思う。

それはこのヤヴァイ頭痛を発症して、よりそういう人になっていった。

頭の痛さが、俺を毎日否定してくる。

頭の痛さが、毎日俺を脅してくる。

頭の痛さが、毎日俺を殺してくる。

頭の痛さが、常に俺に「悪いイメージ」「ネガティブなイメージ」「起こりうる最悪な出来事」を俺の心に映してくる。

俺は、日々こわい。

俺は、毎日こわい。

俺は、毎秒こわい。

俺は、ずっと不安。ずっと疲れている。ずっと憎んでいる。ずっと恨んでいる。ずっと笑っている。ずっと泣いている。ずっと死んでいる。ずっと終わり続けている。

僕は絶望の世界から世の中を見ている。(そういえば昔、絶望の世界みたいなタイトルのサイト流行ったよね。俺、どちらかというとテキストサイト世代だから。)

かわいそうな俺。

不安な俺。

怯えている俺。

出来るだけ、何も想わないようにしている俺。

「静けさ」だけを、ただひたすら追い求めている俺。

眠り続けている俺。

どの俺も俺じゃない俺。

自分を失くしている俺。

自分を忘れている俺。

大好き。

愛している。

ん?何の話だったっけ?

俺は不安な人間。

人より心が安定していないから、人より『根拠』を探し続ける。

人より否定されているから、人より「肯定」を探し続ける。

人より醜いから、人より「美しいもの」を探し続ける。

(wwwww。だから俺は美女が好きなんだ。俺が醜いから。てことでいつものように、巨乳美女、募集してます。)

なるほど。

なるほど。

だから俺はこうやって、「想いたい」んだよなあ、人より。

知りたい。

理解したい。

納得したい。

多くの事を。

自分を。世の中を。社会を。世界を。自分を。自分を。

何故なら、俺がかなり「不安」だから。

・・・。

なるほど。

今日も勉強になった。

気づくのって、難しいよね。

気づくのって、楽しいよね。

このブログを始めてよかった。

このブログを始めて、自分の想いを吐き出せてよかった。

このブログを始めて、俺は俺を出せてよかった。

自分の言葉をヒントにして。

自分の文章をきっかけにして。

俺は俺の不安を埋めていく。

ふふふ。

不安君。

ふふふ。

今日もこわいのかい。

今日も心くちゅくちゅなのかい。

今日も心、ぽっかりと空き続けているのかい。

はい。

そうです。

なるほど。

・・・。

というわけで、おばあちゃんがヤバい死にそうという話でした。

・・・。

俺って、どんな感じなんだろうね。

どういう風に見られてるんだろう・・・。

知りたいけど知りたくないような。

一応言っとくけど、この俺というのも俺の一部で。(でもまあそれも違うけれど)。

このブログに書かれる俺というのは、あくまでこのブログ用に「演出」されている俺で。

アウトプットって、基本、そうだよね。

アウトプットって、吐き出す自分とは、絶対に少しズレるよね。

そのズレがまた面白いんだけど。

アウトプットって、ある程度「盛っちゃう」よね。

アウトぷってって、自分とは違う自分出るよね。(それもまた自分)。

そこら辺の「誤差」が、まあ面白いと言えば面白いんだけど。

ここにも、また、僕はいない。

このブログ内の文章にも、また俺はいない。

それがまたいいというか。

こんだけ書いても、ここに俺がいないということに、俺はとても『安心』出来るんだよな。

知らない自分がたくさんあるって、すごく「安心」させてくれるというか。

『心』って、面白いよね。

「不安」って、面白いよね。

「想う」って、面白いよね。

というわけで、そろそろ今日は終わろうかな。

あ、これは書いとこうかな。

これは数日前の日記にも書いたと思うけど。

あっ、でももう僕の頭が限界かも。

俺、こうやって文章書いたりしてアウトプットするだけで、また頭の痛みが強くなっちゃうんだよね。

辛いよね。

う~ん、もっと吐き出したいのにアウトプットしたいのに。

ほんと、燃費が悪い俺の身体というか。

一日の中で与えられる時間、ほんと他の人より限られているファック。

ほんと、辛いよね。

ほんと、まだまだ吐き出したいことあるのに。

もう、頭がショート近づく。

もう、今日は想えない。

ふ~む、残念。

ふう・・・。

疲れた。

夜の12時か。

1時には寝たい。

風呂入って歯磨いてを考えると、もう止めなきゃ。

グラブルももっとやりたいんだよね。

ただ、平日ほんとやる時間が最近足りない。

今水エレが手に入る月末イベやっててすごく回りたいのに。

「暗闇時間」の間、YOUTUBEグラブル配信してる人見て、いいなあと思ってる。

はあ、俺が健常者ならなあ・・・。

「今週の射精報告」。

急ですが、今週の射精報告。

先週の金曜出して、土曜と月曜に射精しました。

今日、どうしよう。

もう眠いけど、やっぱ出すか。

金曜日、俺、射精すること多いです。

安心なので。

明日、会社に行かなくていいと思うと、安心しているので。

射精しておきたい。

いい気分で、射精しておきたい。←www

FANZAで新作見たいけど、見始めたら結構時間取られるしな。

すでにお気に入りに入れている動画出すか。

エロってやっぱいいよね。

インターネットって、ほんま、エロの楽園だよね。

インターネットがなかったら、俺、だいぶ「心の色」やばかったよ。

インターネットを通じたエロがあったから、俺は今も生きられているよ。

俺、「心の持ちよう」を上手く操作していて。

詳しくはまた、このブログで書こうと思うけど。

簡単に言うと、昼間の時間に見えているものを「正」と想っていない。

昼間の時間に重要視していないものを、あまり強く心に留めない。

これやると、だいぶ心が楽で。

自分の「正常値」を、どこに設定するかって重要だよね。

例えば苦しかったり辛かったりする時も、その状態を自分の「あるべき世界」と思うか思わないかでだいぶ精神も生き方も変わってきて。

長い時間自分が過ごす時間が、一般的にその人の「基準値」「あるべきその人の日常」「あるべきその人の世界」とされてしまいがちだけど。

僕はそうしていない。

昼間目に映るもののなかで、重要ではない・自分が求める世界でないものは、あまり自分の心に入れていない。

常に自分の心には、あるべき・そうであるべき、基準・そうである世界というのがあって。

そこを基準に、僕は生きてる。

だから日常の中の、求めていない日常には耐えられるというか。

割と「俯瞰」出来る。

割と「無視」出来る。

そういう自分の「心のありよう」って、辛い時期や苦しい時期に必要だよね。

その時期を当たり前としない。

その時期を「例外」とする。

その時期を俯瞰できる余裕がある。無視できる。観察できる。

あるべき世界は、自分の心に合って。

今が辛い時期苦しい時期だったら、今は「待つ時期」「気にする必要のない時期」「あまり頭に入れない時期」「ここに価値を置かない時期」「自分を置かない時期」であって。

ふふふ。

ははは。

心次第なんだよね。僕たちって。

心次第で世界は変わる。心次第で世界は変わって見える。

何を求めるか。

何が好きか。

何が見たいか。

何をしたいか。

そういうの、大切だよね。

ふにゃ~~。

そろそろ寝る。(その前に風呂入る)

今日、また猫の写真も撮ったんだけど、それは明日以降にブログにあげようかな。

それじゃあ、おやすみ。

(なんか今日は、俺、死ねとか殺すとかあまり言わないね。う~ん、なんでだろ。)

分かんない。

寝ます。

おやすみ。

おやすみ。

ふう・・・。

おやすみ。

ふふふ。

 

追記。

今日、名古屋めっちゃ晴れてて、夏アニメとかに出てくるようなキレイな「入道雲」が空にあった。

すごくきれいだった。

夏だなって思った。

夏。

だなって。

思った。

いいよね、夏。

暑いけど、ああいう空と雲を見せられると、心突き動かされるよ。

生きる気力、もらったよ。

ありがと。

なんて。