7月29日「慎重な月曜日。暗闇時間って何?暗闇時間って何?暗闇時間って何?。知らない。まんこ。ぽえーん、ぽえーん。一生まんこ。一生ちんこ。暗闇時間大好き。疲れたら女体っ!!」

ヘロー、ワールド。

ヘローヘロー。

ヘロー、ワールド。

ヘローヘロー。

カノン。

そして唐澤貴洋。

ふふふ。

ははは。

どうも、こんにちは。

どうも、おはよう、ユウですううです。犬飼ユウです。

ふう・・・。

月曜日だね。

おはよう。

生きていますか?

君はまだ、そこにいますか?

ふふ。

はは。

おはよう。

おはよう。

現在、午後8時。

いつものように2時間「暗闇時間」を経たのち、僕は今パソコンの前にいます。

僕。

俺。

僕。

唐澤貴洋。

僕の紹介をしなくちゃなと思って。

僕って、このブログだけだと文字だけの存在じゃん。

僕って、このブログだけだと文章だけの存在じゃん。

それって、全然僕じゃないなと思って。

それって、全然僕じゃないなと思って。

「顔」が分かった方が、俺が分かりやすいかなと思って。

「俺の顔」が想像出来た方が、俺をより分かってもらえるかなと思って。

唐澤貴洋。

ふふふ。

ははは。

俺の顔、唐澤貴洋に似てるなと思った。←www

マジか。

う~ん、似てないかな。

他に俺の顔を例えると、假屋崎省吾かなと思った。

他にはアンガールズとか、あとラバーガールの細長い方とか。

あと、キングオブコメディの捕まった方とかかな。

俺が似ている芸能人は。

俺の顔に近いテレビに出てる人とか。

今日、俺は仕事に行っていて。

んで仕事の仕事中とか仕事に帰る時とか、このブログのことを思っていて。

(家の外でも想えるんかいっ。)

このブログって、文章だけだなと思って。

このブログって、文字だけだなと思って。

味気ないよね。

か細いよね、このブログって。

俺の顔、分かった方がいいかなって。

俺自身的にも、俺の顔はどんな感じなのか自分自身でも分かっていた方がいいかなって。

こうやって書いてる時、忘れちゃうんだよね、自分の顔って。

自分の顔、あんま見ないから。

久しぶりに自分の顔を見るとこんなブサイクだったのかって、ビックリする。

あんま顔見ない分、「美化」されている自分がいて。

俺、以前の日記でも言ったように、目をつぶっている時間が多いから。

俺、このブログ内でも書いたように、ベッドに横になってアイマスクしている時間が長いから。

自分の顔、忘れちゃうんだよね。

「想いの中で生きがち」だから。俺。

「暗闇の中で生きがち」だから。家にいる時の俺。

あんま、「顔」がなんだよね、この部屋にいる時の俺って。

あんま、「外での俺」「家の外での俺」がなんだよね。この部屋にいる時の俺って。

そんで、それだと「一部分の俺」だよなあと、今日仕事から帰る時に思って。

自分の顔、分かった方がいいよなあと、思って。

んで、誰かなあと。

誰の顔を例にすれば、俺の顔が分かりやすいかなあと。

かっこよくないと言えばそうなんだけど、こうやって文章で説明するのって難しいよね。

かと言って写真を載せるのは嫌。←ww

改めて今、鏡で自分の顔を見てるけど、全然かっこよくないなあと。

それ、忘れがち。

鏡見ないから、鏡避けてるから、俺、自分の顔、忘れがち。

んで、誰に似てるかなあと。

細目で、顔がデカくて、身長そこそこあって、痩せてみえるけど腹は出ていて。

んで最初に思いついたのがネットで話題の唐澤さんかなと。

唐澤さんのこと、どちらかというと馬鹿にしてたけど、ルックス的には俺もあんなぐらいかなと。

唐澤さんよりもう少し痩せてるかな。

假屋崎省吾の方が似ているかも。

假屋崎省吾の方が似てるかな。

目が細い所とか。

アンガールズの田中にも似てるかな。

でもあれほど目は大きくないかな。

ラバーガールの背の高い方にも似てるかな。

俺の方がもう少し顔がむくれてるかな。

そんなところです。俺の顔については。

月曜日。

仕事が終わり家に帰って、いつものように俺は「暗闇時間」へと突入していった。

いつもの時間。

いつもの休憩。

いつもの俺、取り戻し。

「暗闇時間」、アイマスクが重要だなと思った。

アイマスク、手放せない。

アイマスク、俺をとても癒す癒す。

この頭痛を発症して、僕は「暗闇時間」を過ごすようになった。

この頭痛を発症して、俺はアイマスクをしてベッドで横になる時間が多くなった。

この時間が好きだ。

この、暗闇の中が好きだ。

僕はあまり、「現実」を見たくないのかもしれない。

頭痛があるじゃん。

俺にはこの、激激ヤヴァイ頭痛があるじゃん。

そうすると、やっぱり「美しいもの」を求めるんだよね。

頭痛はさ、「非日常」を強く求めるんだよね。

頭痛はさ、「鮮明なもの」を求めるんだよね。

だからさ、俺、日常にあまり心揺れないんだ。

人が当たり前のように取る態度や表情を、俺、出来ないんだ。

(うう、説明しづらい。)

頭痛っていう、「非日常」があるじゃん。

そうすると、それに重ね合わさる「非日常」を求めてしまうというか。

「日常」が、ゴミに感じてしまうんだよね。

「当たり前の光景」「変わらない光景」「つまらないいつもの光景」「同じ場所同じリアクション同じ味」。

そういうものを、俺は出来るだけ自分の心にいれないようにしてるわけ。

入れないようにしてるというか、入ってこない。

そういう、「つまらない」と感じてしまうものは、自動的に『遮断』してしまうわけ。

頭痛という「非日常」。

頭痛という「異世界」。

頭痛という「違う思考線」。

頭痛がない人とは違う。

僕は「歪んでいる」。

頭痛に合わせるために・頭痛によって生じた「歪み」に合わせるために、俺は他の人が求めるものとは少し外れたものを求める。

普通の人より俺は「不安」。

普通の人より俺は心がぽっかりと空いている。

俺の心はまるでドリルで掘られ続けている。

果てしなく深く深く。

埋めたい。

満たしたい。

安心したい。

そういう想いが、健常者どもより多くある。

俺は不安。

不安だから、「落ち着くもの・心安らぐもの・美しいもの」を一般的な人より多く求める。

外にいる時だから、俺は「うわの空」というか。

日常ってやっぱり、つまらないじゃないですか。少なくとも俺の日常の場合。

日常って、ほらっ、繰り返しの光景・心響かない光景の連続じゃないですか。少なくとも今の俺の日常の場合。

だから、俺、昼間は『死んでいる』んですよね。

心動かすものが、俺の日常にはないから。

俺の頭痛に『対抗』しうるほどの「非日常」が、昼間の世界・現実の世界・日常の世界にはないから。

しかも自分の顔を鏡で見れば、ブサイクな自分がいるし。

つまらないものを、出来るだけ自分の心に容れないようにしてるというか。

ゴミを、出来るだけ自分の頭に入れないようにしてるというか。

美しくないものを、自分の想いに混ぜないようにしているというか。

いいんですよね、全然。

家に帰れば「暗闇時間」に戻れば、美しいもの・心落ち着くものに出会えるから。

今日も会社に行ってきた。

相変わらずつまんなかったけど、相変わらず無駄に俺を消費してしまう時間だけど、会社にいる時間というのが、「いい鏡」になっているんですよね。

この、今の、自分の部屋にいるこのとても心落ち着く時間と。

この夜の時間が、外、昼間の時間に会社に出ていることでより「鮮明に」なるというか。

昼間の時間が超絶つまんないから、より今のこの夜の時間が心地いいものに感じるというか。

分かんなくなるのが嫌なんですよ。

分かんなくなるのが面倒なんですよ。

外に出ないと仕事に出てないと、今のこの時間が分からなくなってしまうから。

今のこの時間が、素晴らしいなって、忘れやすいんですよね分からなくなりがちなんですよね、俺。

ここが、この夜の時間が、「非日常空間」っていうのを、忘れやすいんですよね、俺。

俺は、家に帰ってから俺が始まってゆく。

しかしその俺を成立させるには、外にいる時の俺が必要。

凝縮、なんですよね、非日常って。

比較対象が必要なんですよね、非日常って。

2つ必要。

今の俺には。

忘れやすい俺には。

俺には「頭痛」がある。

それを、ここにいると忘れてしまう。

それが、家の中にいると夜の時間だと忘れてしまう。

異常ということに、ならないから。この空間の中では。

外に出て、俺は俺が「異常」だと気づく。

外に出て、俺は俺が「健常者」じゃないと気づく。

気づいたら、後はただ、心を閉ざして待ち続ける。

自分が異常と気づいたら、自分が健常者じゃないと気づいたら、それ以上傷つかないように、それ以上考えないように、俺は想うのをやめる。他の人のように振舞うことをやめる諦める。

ただただ、家に帰った後のことを想う考える。

ただただ、家でベッドに横になってアイマスクして「暗闇時間」を過ごす自分を想い続ける。

俺は、外では想えない。

俺は、外では心休まる俺ではいられない。

他の人と求めているものが違う。

頭痛と言う「異物」「障害」「幻覚」によって、俺は他の人とは求める環境・条件が違う。

他の人のようにしていてはダメだ。

俺は、俺が「納得」させるような俺に自分自身から導かなければいけない。

自分が心地いいと思えるものに、俺自身から近づいていけなければいけない求めなければいけない。

他の人に合わせる前に、まずは自分を・イレギュラーな自分を安心させなければいけない。

俺は、外の世界であまり見たもの聞いたものをそのまま取り入れない。

俺は、日常の世界で求めるものが健常者とは違う。

頭痛という『とても不味いスパイス』がある限り、日常のつまらない光景はよりつまらない光景に見えてしまう。

頭痛という「日常を殺す麻薬」が俺の頭にある限り、真正面から日常・現実を受け取っていたら俺の心は吐き続けてしまう。

不味い。

外の世界は日常の光景は、ひどくゴミ臭い。

当たり前の光景が、頭痛によって気持ち悪い光景へと変わっていく。

つまらない代わり映えの無い日常の光景が、まるで気分を害すゴミのように見えてしまう。

だから俺は、受け取らない。

だから俺は、外にいる時は、あまり心を開けていない。

ゴミしかないから。

美しいものがないから。

落ち着ける前提条件がないから。

休みたいから疲れているから。

頭が痛いから。

身体の疲れが取れて頭痛が少し和らいでイラつかせる外部要因が無い状態で、俺は初めて俺をスタートしていける。

俺が整う環境があって初めて俺は心を想いを「始動」しはじめる。

俺は心を止めている。

俺は目で見た光景を、そのまま受け流す。

俺は心に容れていない。

外で見た光景を、外にいる時は長し、家に帰ってからそれらを「整理」していく。

外では俺は、心を動かす「余裕」がない。

家の外では俺は、想いを「考察」する余裕がない。

何も考えていない。

外では、心には何も容れていない。からっから。

家に持ち帰る。

感じた事見たもの、家に帰ってから俺は整理する。家に帰ってからしか整理できない想えない。

そんな感じ。

(どんな感じ?)

と、いうのを、唐澤貴洋似の俺が申しております。

ふふふ。

どうぞこれからよろしく。

さて。

さてさて。

ふふふ。

いつものように、おっぱい、っと。

(唐澤貴洋似の人がこれを言ってるって思うとウケるんですけど。)

今日の「暗闇時間」を振り返ろうか。

今日の家に帰ってきてから2時間近くしていた「暗闇時間」について振り返っていこうか。

ここからなんですよね、やはり。

うん。

この時間から、僕のスタートというか。

この時間が、僕の定位置というか核というか。

目をつぶってアイマスクして横になって身体楽にした時に「想うこと」が、俺が必要としていることで求めるべきものなんですよね。

この時間が、一番落ち着くから。

この時間が、一番心優しい俺だから。

この時間が、一番自分に気使える俺だから。

この時間の自分が、一番自分に向き合っている自分だから。

もっと長く、この時間が続けばいいなって、最近思える。

横になっている時の俺が一番楽な俺。

目を閉じている時が一番想うことが出来る俺。

アイマスクして暗闇の中にいる時が、一番「幸福」に近い俺。

見えないって、結構、『最強』だよね。

これ、なかなか気づけない「真理」だよね。

これって、どれくらいの人が「共感」してもらえるんだろう。

てか、大抵の人は夜眠る時ぐらいしか目をつぶらないし瞳を閉じないよね。

ここで、普通の人はあまり想わないんだろうね。

普通の人は、目を閉じたら寝ることに一直線なんだろうね。

僕、この時間が「長い」から。

僕、目を閉じている時間が人より多いから長いから好きだから。

暇だから。

しょうがないから。

目を閉じていないと、頭痛いから。

しょうがなく、目を閉じてアイマスクをして。

そう。

最初は僕も、頭の痛みを和らぐためにそう行動してるんだ。

いわば、「強制」なんだ。

目をつぶっていないと、疲れちゃうから頭が痛いから。

実際、「つまらない時間」なんだよ。

実際、「味気がない時間」なんだよ。

実際僕も、浮気しちゃうし。

ベッドに横になっていて、目をつぶった方が疲れとれるのに目をつぶっているのがつまらないから、タブレットを起動してネットニュースやYOUTUBE見たりしちゃってるし。

でもそれらに飽きて、てかやっぱ目を開けてたら頭の痛み取れないから、目をつぶらなきゃいけなくて。

そうするとさ、色々見えてくるんだよ。

目を閉じるとさ、色々振り返れるんだよ想えるんだよ整理出来るんだよ見つめ直せるんだよ。

こんな心地いい居場所あったのかって、気づかされるんだよね。

でさ、やっぱある程度時間経つと、やっぱこの暗闇時間に飽きるんだよ味気ないんだよ。

でも目を開けたくなくて。目を開けるのがおっくうで。

この、目を閉じている時の世界が何とも『素晴らしい世界』だから。

だけど、ただただ「無音」だと寂しくて。

だからさ、ここで「ラジオの野球中継」を聴いたり。

他には、YOUTUBEでラジオを聴いたり。

(いわゆる違法アップロードされているもの。)

目を閉じた世界で、何か楽しいものはないかなって。

音がないと、やっぱり寂しいから。

ずっと音がないと、味気ないから。

「暗闇時間」というのはこうやって、ずっと何もしない状態が続くことは無い。

ずっと目を閉じているとやはりつまらないから。

かと言って目は開けられない。目を閉じた状態じゃないと頭の痛みが和らぐことないから。

だから、音がある世界と無音を行ったり来たりしてみて。

時にラジオをつけてみて。

そして少し寂しさ満たせたら、またラジオを切って「無音世界」で自分の「思考世界」を楽しんで。

(相変わらず、分かりにくい文章w)

それで「カノン」ですよ。

今日、「暗闇時間」をどう過ごそうかなとベッドに横になった時思案していて。

ラジオ聴く感じじゃないなと。

これ伝わらないなと思うけど、ラジオも、「疲れちゃう」んですよね。←弱すぎやろw

人の声を理解しようとするのでさえ、俺、頭が痛いから疲れちゃうんですよ。

だから今日は、あんまラジオも聞きたくないなあ。

あんま、頭を使いたくないなあ。

あんま、言葉を理解したくないなあ。と思っていて。

でも「無音」だと寂しくて暗闇の中でとてもこわくて。

何か落ち着ける音、ないかなと思ってたら、ピアノ、YOUTUBEから聴いてみようと思って。

今日、カノン聴いてた。YOUTUBEから。

いいねえ・・・。

久しぶりに聴いた。

そして聴いている時、「暗闇時間」にいれてよかったって思えた。

幸福な時間だった。

「思考空間」が広がっていく、あの感じ。

音楽が、俺の「軌跡」をなぞっていく感じ。

旋律が、俺の「後ろ」をなぞっていく感じ。

ここなんだ。俺が求めていた場所は。

ここがあればいいんだ。外の世界では苦痛しかない俺にとって。

目を閉じないと、俺は救われない。

ベッドに横になって身体休まり頭の痛み和らがないと、俺には「満ち足りた空間・時間」は訪れない。

現実は疲れる。

現実は痛い。

現実は味気ない。

現実は俺を殺す。

日常は俺を満たさない。

日常は俺をただ疲れさせる。

日常は俺を非健常者だと強く意識させる。

ただただ、「ストレス」がたまる一方の目を見開いた世界。

ただただ、俺が否定される現実の世界昼間の世界。

俺は非健常者だから。

俺は頭痛持ちだから。

俺は心開けないから心閉じているから。閉じていないと、気持ち悪くなる一方だから。

家に帰って横になって目を閉じてアイマスクしないと、俺は俺をいたわれない。

家に帰って横になって目を閉じてアイマスクして「暗闇時間」に浸からないと、俺は俺を守れない。

ここで思考する。

ここで想う。

ここで自分を考える。

ここでこれからの自分を考える。

ここでこれまでの時間を振り返る。

許された場所。

見ないでいい場所。

必要なものだけを思い浮かべることが出来る場所。

見えないことで見えていくという、幸福な矛盾。

目を閉じることで整理出来ていくという、心地よい流れ。

俺は頭痛持ちだから、他の人より健常者より不幸だ。

でも他の人は健常者は、この空間を見れていない。この空間の心地よさを知らない。

不幸だけど幸福。

幸福だけど不幸。

自分ファースト。

自分だけの世界。

自分だけに寄り添う世界。

自分を知る世界。

ここでしか俺は想えない。

ここでしか俺は気づけない。

ここからでしか俺は俺を始めれない。

「暗闇時間」。

とてもとても静かな、とても幸福なとても不幸な「暗闇時間」。

「暗闇時間」とは何か。

1週間ぐらい前にこの言葉を創って。

俺の日常を振り返って。俺のルーティーンを振り返って。俺が他の人とは違う所を見つめ直して。

「暗闇時間」。

俺の大切な時間。

俺の不幸な時間。

俺の惨めな時間。

俺のすべてを受け入れてくれる時間。

自分の顔を忘れる時間。

唐澤貴洋似であることを忘れる時間。

昼の俺を忘れる時間。

昼の俺を見つめ直す時間。

ここから俺は始まっていく。

この時間から大切な俺は始まっていく。

・・・・。

てな感じです。←ww

一旦休憩。

書きたいなら、何か続き書いていく。

お疲れさま。

今日も読んでくれてありがと。

もし君が名古屋在住で美人巨乳なら、デートにでも誘ってください。

それでは一旦休憩。

おまんこっ!!。

(休憩中)

(風呂入ったりは磨いたり1時間後)

この文章書き始めは夜の8時。

休憩前までが2時間弱。

んで今休憩して夜10時半。

ここまでで約7000文字か。

おつかれ。

ここまで読んでくれて、おつかれ。

(てか読んでいる人いるのかww)

結構ここまでで限界。

平日の夜は。仕事で疲れた身体と頭痛では、結構この休憩前の前半で限界。

もう、結構頭一杯。

俺、こうやって文章書くだけで自分の想い吐き出すだけで、結構疲れちゃうのよ。

んで、明日の事も考えると。

俺、人より長く睡眠必要なんで。

基本、平日は足りないんだよね。

だから、まだ書こうかもう寝て睡眠時間増やそうか、そこら辺で揺れてたり。

でも書きたいから吐き出したいからこうやって書いてたり。

どんどん、「暗闇時間」の俺からは離れていく。

だいぶ、頭一杯になってきて。

だいぶ、楽な状態からは離れてきて。

あんま好きじゃない自分へと向かっている。

思考出来ない。想うの制限されてる自分へと向かって行く。

こういう時に想っても、あんまいい想いできなくて。

でも出したくて吐き出したくて。

なににしようかな。

こういう、頭あまり機能していない時はやっぱ「女体」かな。

ほんま、いいよね。

思考停止な自分と、女体って相性いいよね。

頭回っていない状態の自分と、女体って相性いいよね。

思考停止すると、女体求めがち。

考えるのを止めてくれる。

思考しなくても気持ちい状態に持っていってくれる。

人は求めてない。

人間の女は求めてない。

死体な俺だから、死体のような女体が欲しい。←w

どっかにいい女体転がっていないかなあ・・・。

男の場合、とりあえず僕の場合、女体に「投影」するんだよね。←w

男の場合、とりあえず僕の場合、女体という「キャンパス」を使って『思考』するんだよね。

不安とか孤独とか寂しいとか。

「欠けている感覚」。

「足りない感覚」。

「ちんこが収まっていない感覚」。

僕たちっていうのは結局さ、この「脳」でしか思考出来ないわけじゃん考えられないわけじゃん。

僕たちっていうのは結局さ、この自分の「頭の中」でしか想い自分を動かしていかなきゃいけないわけじゃん。

足りないんだよね、前提的に。

狭いんだよね、質量的に。

前提として、欠陥品なんだよね、僕たちの脳って頭って思考って想いって。

ちんこと繋がった僕たちの脳。

ちんこと連結した僕たちの頭。

宿命的に、技術が足りない。

動物機能的に、「愚か」であることを強要されている。

自分の頭だけじゃ、満ち足りることはないんだよ。

僕たちは必然的に、異性・異性の身体を求めているんだよ。

それは「思考」するために。

それは「想う」ために。

それは「想う領域」を広げるために。

それは「思考空間」を拡張するために。

物理的に、僕たちは限定的な思考に陥ってしまう。

(~的を頻繁に使っていますが、かなり適当に思い付きで使っています。)

僕たちは何故異性を求めるか。

僕たちは何故異性の身体を求めるか。

どこ発信で求めているか。

ちんこ?

まんこ?

そこ発信の「信号」が、「想いの限界」に警鐘を鳴らす。

本能的信号の発信が、僕たちの想いをあざ笑う。

想いとは「通過駅」。

想いとは「ターミナル」。

想いとは「中継地点」。

思考とは脳とは、僕たちの根源的な「生への動き」を明瞭にする場所。

(何言ってんだこいつ状態w)

僕たちは踊らされている。

僕たちは自分が自分自身で「想っている」と思わされている。

僕たちは自分自身の想いで自分を自分で動かしていると「錯覚」させられている。

ただ単純な僕たちの奥底にある「熱さ」を、僕たちは何とか「想い」で解釈しようとする。

馬鹿だね。

うんちだね。

まんこだね。

ちんこだね。

かっこよくさせようとする。

しっかりと肯定させようとする。

曖昧なものを勝手に解釈することで、自分をなんとか手なずけようとする。

がんばってるな、俺たち。

頑張っているな、ちんぽどもまんこども。

ただの皮が。

ただの骨が。

ただの物体が。

ぽよ?

ぽよぽよぽよ?

女体が欲しい。←ww

女体で遊びたい。

女体で「思考空間」を広げたい。

僕だけでは「限界」がある。

僕ちんぽだけでは「視野」が狭い「世界」が狭い。不安を解消する場所が「自分の頭」しかない。

領域を広げたい。

女体の上に、「思考液」をこぼしていきたい。

女体の中に、「思考液」を行き渡らしていきたい。

女体の上で思考したい。

女体の中で想いたい。

俺のために。

俺を幸せにするために。

俺を思考領域を広げることで、俺を安心させるために。

ちんぽ。

ちんぽは孤独。

ちんぽは毒を吐きがち。

ちんぽは己を知らない。

ちんぽは話し相手がいない。

ちんぽはどこかに「居場所」を探しがち。

ちんぽは迷いがち。

ちんぽは自分が「愚か」なことに気づけないがち。

ちんぽは自分が「惨め」なことに気づけないがち。

ちんぽは泣いている。

精液はちんぽの涙。←ww

と、唐澤貴洋似の俺が申しております。

女体って、いいよね。

もう寝ようかと思っているからまたこれらの続きはいつか書こうと思っているけど。

ぶっちゃけ言うと、男は女体を通じて男と繋がっているんよ。

まんこの裏にはちんぽがあった・・・。

ぶっちゃけ、実物の女体じゃなくてもまた、いいんだよね。

女体があるのは、『僕たちの想いの中』だから。

女体があるのは、『僕たちの想い』だから。

想いの中に、女体がある。

ここら辺、またいつか詳しく書こうと思っています。

インターネットだとそれが分かりやすいよね。

女体よりも、女体を共有している感じに僕らの想いがある。

女体を通して、僕らは自分たちの想いに気づいていく。

本体はすでに、僕らの中にある。

なんか、リアル脱出ゲームみたい・・・。

君にちんぽがあることが、まず重要なんだよ。

ちんぽを通して君は、君の想いに興奮している。

ちんぽを通して君は、女体を描き、君の想いを抱いている。

(何言ってんだこいつ・・・。)

ちんぽはちんぽ同士「共有」出来る。

一つの女体を求めているのではない。

君は日々、様々な女体を移動している女体の中を移動している。

女体というのは「きっかけ」。

女体というのは「気づき」。

欲しいものは意外と、君のとても近くにある。

他人の女体(他人の女体w)を求めながら、他人の女体を求めていない。

誰かの女体を羨ましながら、しかしすでに君の中に君が求める女体はある。

?????

そろそろ寝るぜ。

おやすみ。

今日も射精していません。

昨日も結局しなかった。

偉い?

wwww

金曜日にはする予定。

寝ます。

おやすみ。

またね。

ふふふ。

おやすみ。

疲れた。

ふふふ。