8月7日その1「会社を休んだ。病院に行った。プールに行った。部屋を片付けた。いい水曜日だ。にしし。」

どういった「顔」で、画面の向こうの君に、話しかけようか。

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にゃははは。

どういった「思考展開」で・どういった「想いのおすそ分け」で、今夜も君と、お話をしようか。

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おはよう、こんばんは、こんにちは、こんばんは。

まだ誰なのかは言えない・言いたくない。

「僕」が誰なのか・「僕」が何者なのか、今日の文章のはじめでは明らかにしない。

(いつもなら、僕は僕のことを犬飼ユウとかゆうとか自己紹介するけど、今日はまだしないっていうこと。自分を「不明確」のまま、君とお話するということ。「自分の領域」を限定しないままで、今日は君とお話していくということ。)

「何者」ではないことが、僕たちを『軽く』していく。

自分を定めないことが・自分の名を知らないことが、僕たちの「思考領域」を広げていく。

狭めない方がいい。

苦しい時は辛い時は痛い時は。

自分を忘れて。

自分を失くして。

そして自分を積み立てていく。

何も覚えていない方が「幸せ」だ。

それまでを覚えていない方が、「新しいこと」多く感じられる。

現在、8月7日、午後5時半。

僕はまだ、僕ではない。

僕はまだ、僕の「形状」を明確にしていない。

意識あいまいなまま、この文章を穏やかな気持ちで書いている。

僕は誰なのか。

それはまだ、知らなくていい。

今日の君は誰なのか。

それはまだ、深く考えなくていい。

にゃはは。

はは。

ああ、今現在、僕は「幸せ」だ。

そこから、僕の思考の「領域展開」をしていく。

いつもより心穏やかな状態から、今日のブログは「展開」していく。

久しぶりに、「調子」がそこそこいい僕が戻ってきた。

数日ぶりかな。

ここ最近、かなり頭痛、ひどかったのだから。

どこから今日を語っていこうか。

僕のどの部分を「分解」していこうか。

今日の世の中・社会のどの部分を引き伸ばし、そして「凝縮」させていこうか。

画面の向こうの君へ、こんばんは。

君は今、幸せですか。

君は今、どのような「心模様」をお持ちですか。

久しぶりに僕は、「調子」がいい。

久しぶりに僕は、「解放」されている。

頭が痛くても幸せという僕がいて。

頭の痛みが少し収まっても幸せという僕がいて。

どちらも僕で。

どちらの僕も、僕を楽しんでいて。

何を想い、どう生きるか。

何を見て何を感じ取って、どうそれをそれぞれの心で「処理」していくか。

現在、8月7日の午後5時半。

今日が終わるには、まだ時間がある。

まだ僕には、今日の想いを「集約」していく時間の猶予がある。

まだ僕には、今日の想いを「展開」していく心の余裕がある。

泣かないで。

「君」について、語っていこうか。

色々語りたいことがあるけれど、まずは、僕が語る前提となる「君」という存在について、語っていこうか。

この画面の向こう側の、まだ生きているであろう、「君」について少し、僕の想いを語っていこうか。

それでは、いこう。

にゃははは。

・・・・。

「みんな」とは誰か。

「君」とは誰か。

僕が僕の想いを送っているのは、不明瞭な君であって、誰か特定の個人的な「君」ではない。

(これは以前、少し述べたが。)

画面の向こうの君、その「個人」については、僕はほぼほぼ興味がない。

僕自身が、そもそも、あまり「人」に対して興味が薄いのかもしれない。

友達も今ゼロだし。

会社の同僚で電話番号とかラインとか交換している人はいない。

もちろん恋人もいないし。(恋人募集中ですので、名古屋在住で、巨乳で美人な方がいたら、ぜひ(*^-^*))←ww

そういえば僕は、かなり長い間、僕ひとりだった。

寂しくないのか。

惨めな気持ちにならないのか。

つまらなくないのか。

そう、いざ聞かれると、困る。←ww

あまりにもこれが日常すぎて。

あまりにも、会社以外で人と話すことが少なすぎてほぼ皆無で。

そういえば、土日、店員と少し話すぐらいしか、俺は言葉を放たない。

こうやって自分を冷静に振り返れば、俺はかなり、「危ない人」なのかもしれない。

マジか。←ww

あんま、「自覚」がないというか。

それは毎度おなじみ、僕の「頭痛」が大きく関わっているのだろう。

僕の「特殊」な頭痛はいい意味でも悪い意味でも、僕を「特殊」にしていく。

僕の特殊な頭痛は、いい意味でも悪い意味でも、「一般」とか「普通」とかのカテゴリーから、僕を強制的に逃がしていく・省いていく。

「普通」が、あまり僕にはない。

「常識」が、僕はあまり興味がない。

見える世界が、少しズレているのだろう。

求めるものが、健常者の人たちどは少しズレているのだろう。

「幸せの概念」が、一般的とは違っているのだろう。

何であれば幸せなのか。

何があれば幸せなのか何がなければ不幸せなのか。

約10年前に発症した、この特殊な頭痛によって、僕はいい意味でも悪い意味でも、「価値観」を書き換えられた。

特殊な頭痛によって、人とは違う「特殊な行動」「特殊な日常」が毎日の中で組み込まれているので、一般的な道からはどんどんズレていってしまったのだろう。

ほぼほぼ、「共感」できる相手がいない。

ほぼほぼ、「理解」し合える相手がいない。

かなり、「レアな生き物」になってしまった。

かなり、「災害的な生き物」になってしまった。

この世の中で色々な「病気」はあるけれど、その中でも、「頭痛」という病はかなり特殊で。

そしてさらに、その頭痛の中でも他に例をみない頭痛を僕は授かってしまって。(やれやれだぜ)

頭痛と言う病は、本当に特殊だ。

頭が壊される。

想う事を切り刻まれる。

頭痛は僕を「否定」していく。

頭痛は僕を「拒絶」していく。

身体的な病気なのか精神的な病気なのか。

「人」であることでさえ、「曖昧」になっていく。

普通の人のように、想えることは稀になっていく。

いい意味でも悪い意味でも、この特殊な頭痛は僕を変えていった。

いや変えていったというよりも、一部の僕が強まっていったと言った方が的確なのかもしれない。

この特殊な頭痛が発症する以前から、僕はどこか、「変わっていた」のだから。

その変わっていた僕が、頭痛によってさらに「特殊」になっていった、と言った方が正確だろう。

より狂っていった。

より、「難解な僕」になっていった、と言った所か。(難解な僕って、かっこいい・・・。抱いてっ!!)

この特殊な頭痛が発症する前も、僕はどこか「孤独」であったし。

学生時代も、どこか「考えすぎ」な自分・どこか『世界に醒めていた自分』がいることも感じていた。

そういう、一般的なコミュニケーションに価値を見いだせない自分が、この頭痛によってさらに強まったという感じかな。

・・・・。

にゃはは。

自分の「想い」が、好きすぎるのかもしれない。

他の人の想いに、あまり「価値」を見いだせないのかもしれない。

他人の想いを、「雑念」と捉えがちなのかもしれない。

いわゆる、直接的なコミュニケーションはこの頭痛が発症する前から苦手だ。

面と向かっての、対人とのコミュニケーション。

何故苦手かもあまり自分自身、きちんと分析したことはなかったが、おそらく面と向かってのコミュニケーションの「準備」が下手なのかもしれない。

僕の頭の中は、常にまるで宇宙空間みたいに「無秩序」に漂い続けている。←は?w

その自分の「思考空間」の中に、面と向かっての対人用のコミュニケーションの「スキル」は、ほぼ準備されていない。

面と向かっての相手から仕入れることが出来る情報に、あまり「価値」を見いだせないからだ。(価値って・・・。)

僕の思考・僕の思考空間はある程度、自分自身で「完結」している。

自分の「思考リズム」がある。

自分の自分以外の想いを吸収する「タイミング」がある。

面と向かってでの対人でのコミュニケーションでは、僕が欲しい情報に行きつくまでの「道筋」が分からないのかもしれない。

いわゆる、相手を探る初手の会話・相手と自分との緊張を溶かす信頼構築のための会話。

これも苦手というか、そこにあまり「価値」を感じ取れない。

また、僕が欲しい情報というのも、あまり対人でのコミュニケーションでは得られないのかもしれない。

僕は情報を、一旦自分の頭の中に入れて、少し時間を置かないと、その情報を整理できない。

「刹那的な情報」を、僕は扱うのが下手だ。

一旦頭の中でその刹那情報を練りたい。

一旦、頭の中に持ち帰りたい。

頭の中で、「咀嚼(そしゃく)」したい。

刹那的な情報・今現在溢れ出る情報、僕はそれを上手く処理できないのかもしれない。

それは僕の頭が「劣って」いるのかもしれない。

これは頭痛の影響でよりそうなったが、頭痛以前からもそういう思考回路であった。

僕は僕のリズムで情報を処理したい。

面と向かっての対人でのコミュニケーションだと、そのコミュニケーションしてる人と人との間で交わされる情報が飛び交う。←ww。ここら辺理解してくれる人おるんかww

お互いの想いを頭に入れずに、二人の間で情報が浮いている。←ww

この、情報の固定されない感じが、僕には無理。

一旦、自分の頭に入れたい。

一旦、頭の中でその情報を「咀嚼(そしゃく)」したい。

流れるようなコミュニケーションが、僕には出来ない。

バスケットボールを交互にパスし合うようなコミュニケーションが、僕は苦手だし、あまり興味が持てない。

先程も書いたが、僕の頭の中には宇宙空間みたいな「無秩序で退廃的な思考空間」が頭の中に漂っている。←wwだからこれ何だよ。

僕は、その空間の中を漂っているだけで、そこそこ幸せなのだ。

自分の中で、僕はある程度「完結」している。

自分の想いの中で、僕は、色々な僕・色々な世界を動かしている。

だから、一般的な「孤独」をあまり感じないというか。

孤独ではない、ということに、あまり価値を感じない。

友達がいる、ということに、あまり価値を見いだせない。

自分の頭の中が、すでに面白い。

自分の頭の中という「ビデオデッキ」が、追いきれないほど面白い「テレビ番組」を録画し抱えている。

自分の頭の中に、ほぼ「すべて」がある。

そしてそこに今日は今日という情報が入っていく。

自分の頭の中は、「無限」だ。

自分の頭の中は、俺を離さない。

自分の頭の中は、新しい刺激を求め、日々俺を外の世界・部屋の外へと向かわせる。

日々、何かを求めて。

新しい今日を知ることで、これまでが・過去が比較されてより「鮮明」になっていって。

僕は、結構僕自身でお腹いっぱいなのだ。

想うことで、結構、「満たされていて」。

頭の中を「巡る」ことで、幸せ数値は上がっていって。

そして頭痛が、それを「加速」させていった。

頭痛がより僕を「閉鎖的」にして。

頭痛がより僕を、自分の「想いの中」へ留まらせていって。

僕は人より、目をつぶっている時間が多い。

僕は人より、目をつぶり頭の痛みに耐えている時間が多い。

僕は人より、「暗闇」の中で自分の想いで「遊ぶ」時間が多い。

・・・・。

そんな感じだ。

一旦休憩して、何話していたか一度整理して、また別記事書いていきます。

ちなみにもちろん、今日は会社休みました。←ww

エロ関係のこと話そうと思っていたけど、先に喋りたいこと多くてこんな感じになってしまった。

たぶん「君」の説明から、次の記事は書いていこうと思う。

おっぱい。

大きいおっぱい、大好き。

にゃはは。