ちんちん。
たぶんちんちん。
僕はちんちん。
・・・・。
こんばんにゃ~、犬飼ユウです。
犬飼ユウとかゆうとかううとか、そんな感じの名前の僕です。
どうぞ、これからもよろしく。
現在、8月5日の午後7時半。
おつかれ。
おつかれ、みんな。
おつかれ、そこの君。
今日もお疲れ。
僕もお疲れ。
戻って来れて幸せ。
ここに、この部屋に、この空間に、この時間に、戻って来れて幸せ。
少しホッとしている、僕こと犬飼ユウですううですyuuですユウです。
ふー・・・。
痛いね。
存在が痛いの痛いではなくて。(その意味も含むか)。
今晩の俺の頭痛の調子としては、あまりよくない。
月曜日って、どちらかと言うといい方なんだけど。
土曜日曜と身体休み続けて、どちらかというと月曜日は頭痛の調子いいほうなんだけど。
今日、そんなに調子よくないね。
仕事終わって家に帰って、いつものように2時間弱、「暗闇時間」していたのだけれど。
(ベッドに横になる方の「暗闇時間))
あんま、頭の痛み取れないね。
取れないまま、これ書いてるね。
取れないまま、この文章書いてるね。
軽く絶望。
もう少し、頭の痛み取れて欲しい。
もう少し、頭の痛み取れないと笑えない。
もう少し、頭の痛み取れないと笑顔になれない。
笑顔になるって、重要だよね。
自分の顔、笑える状況にあるって、とても重要だよね。
心暗くはない。
頭の痛み、いつもの月曜日より多くても、そんなに心暗くはない。
心暗くはないけれど、頭の痛み、いつもの月曜日より多いから、笑えない幸せにはなれない。
すごく、「無感情」な月曜日の夜。
すごく、軽い絶望を笑う月曜の夜。(笑えるんかい。)
疲労がないから、まだマシかな。
あまり「死ね」とは思わない。
あまり「殺意」は感じない。
軽い絶望を、何とかやり過ごそうとしている。
自分の部屋でストレスなく何も考えず無感情で過ごすことで、ゆっくりと「頭の痛み」が取れていくことをほのかに「祈り」続けてる。
祈り。
祈る。
軽く絶望だけど、そんなに絶望してはいない。
軽く頭は痛いけれど、身体の疲れがあまり無いことが救い。
土曜日曜、休んだおかげだ。
土曜日曜を、ある程度、「犠牲」にしたおかげだ。
いつもより心おとなしい自分の心が、愛おしい。
普通に「不幸」を緩やかに受け止めている自分が愛おしい。
実際、あまり「不幸」は感じない。
身体が疲れていないから、俺に「余裕」を与えていく。
2日休んで、1日だけなら働ける。
2日犠牲にして、1日だけなら「健常者」らしく振舞える。
大した仕事していないけれど、社会に加わっていた昼間の俺が愛おしい。
その代償に、こうやってまた、頭を痛めているのだけれど。
その代償に、こうやってまた一人、自分の部屋で電気をあまり付けずの暗い部屋で、感情を持たずただひたすらカタカタとキーボードを打っているのだけれど。←w
・・・・。
ふう・・・
今日も俺は、生きたんだな。
・・・・。
ふう・・・。
やはり、そんなに「不幸せな感情」は今の俺にない。
怒りもなく。
ここに、帰ってこれたことが嬉しい。
今日を振り返る、自分だけの時間。
今日を整理する、自分だけの時間。
頭の痛みが今夜も、俺を左右していく。
俺はあまり、「感情」を持っていない。
領主は頭痛様。
俺はそこで、住まわせてもらっているだけ。←w
領主様には逆らえない。
領主様に生かされてもらっているだけ、ありがたい。
俺は健常者じゃなくていい。
俺は普通の人になれなくていい。
時々「美味しい食べ物」をもらえるから。
我慢すれば痛みに耐えれば、少しだけ褒美もらえるから。
領主様の機嫌を損ねないように。
領主様の顔色を伺いながら。
俺はずっと生きている。俺はずっと生きてきた。
不幸ではない。
だって、たいして変わらないから。
それは他の人と比べて。
僕が嫉妬する相手は、「遺す」ことが出来る人だ。
それは小説家とか芸術家とか漫画家とか。
そういう、『美しいもの』を遺せる人たちには、少し嫉妬する。
そういう人たちでさえ、「少し」なのだ。
すげえなあ、羨ましいなあと思うけれど、実際に俺がその人たちのように遺したいかどうかというと、それは微妙に違う。
俺は、「俺の想い」を遺したいのだ。
俺は、俺の想いを知りたいし、確認したいのだ。
小説家とか芸術家とか漫画家さんとかは、おのおの自分たちの想いを遺している。
そこに俺の想いはない。
彼らの作品の中に、時々俺の想いと似た想いが遺っているのを見て、それにすげえなあ、いいなあと思うけれど少し嫉妬するけれど、それは一部であって、その作品全ではない。
彼らの作品は、俺の想いとは全く別物。
彼らがそれぞれ、自分たちの想いを吐き出せているのには少し嫉妬する。
それは彼らの吐き出しであって、僕の吐き出しではない。
他人がうんこしてて羨ましく思わない。
自分が便して、気持ちよく感じる。
他人が射精していて、別にそんなに羨ましいと思わない。
自分が射精して、気持ちよく感じる。
(この例え、あってんの?)
俺は俺の想いを吐き出したい。
俺は俺の想いをもっと知りたいもっと明確にしたい。
他人の行為に対しては、それほど興味がない嫉妬はわかない。
もっと俺は、俺を知りたい。
俺を知る、時間が欲しい。健康な俺が欲しい。自分を見つめる時間がもっと欲しい。自分をもっと楽しませたい・笑顔をあげたい。
話を少し戻して。
僕はそんなに不幸ではない。
何故なら、どちらかというと、世の中の人の大部分が、自分の想いを吐き出せていないから。
みんな、自分の想いをあまり知らないまま、何となく生きている。
みんな、自分の想いの吐き出し方をあまり分からないまま、日々何となく生きている。
みんな、あまり「明確」に生きていない。
みんな、あまり明確なルールを持って生きていない。
だから僕は、みんなとそう変わらないから、あまり不幸ではないしその点で不安ではない。
結構多くの人たちが、「曖昧」に生きている。
結構大勢の人たちが、自分の想いに見向きもしないまま・あまり自分の想いと向き合わないまま「何となく」生きている。
あまり自分を見つめないまま。
あまり命を見つめないまま。
そういうのが、悪いとかいいとかではなく。
大勢の人たちが、自分の想いとあまり向き合っていないことが、僕を「安心」させていく。
僕だけが「内向的」であってほしい。
みんなはあまり、「内向的」になってほしくない。
僕は無駄に、考えすぎるだけだから。
こういう、人より少し考えすぎる自分が、僕は好きだから。
自分の想いを、ひとり観察するのが、僕は好きだから。
みんなは、ただ気楽さ求めて生きて欲しい。
みんなは、あまり内に籠らず生きて欲しい。
僕みたいに無駄に、何が幸せで何が不幸せがどうとか、考えないで欲しい。
僕はこれを、ひとりきりでやるのが好きだから。
僕はこれを、あまり人がいないところでやるのが好きだから。
僕は僕の想いが好きだ。
僕は僕の想いを「美しい」と思っている。
自分の想いを、僕はひとりで鑑賞していたい。
自分の心の中の揺れを、僕はひとりで楽しく鑑賞していたい。
昼間の僕は、死んでいる。
昼間の僕は、心から笑顔になることはない笑えない。
現在、夜の8時半。
最低限、部屋に灯かりを灯して。
クーラーを静かにつけて。
カーテンをしめきって。
扇風機は回し続けて。
ソファに座り、大きいデスクトップに向かい続けて。
僕は僕の想いを流し続ける。
僕は今の僕の想いを鑑賞し続ける。
たまに屁をこいて。
お菓子は今止めているから、コーヒーか水ばかりを飲み続けて。
不幸せだけど、幸せ。
頭は痛いけど、薄ら気持ちいい。
あまり勃起はしていない。
今日、どうしようかな、射精しようかな。
ふう・・・。
楽しい。
遺すことは楽しい。
自分の想いを、遺していくことは幸せだ。
僕の「生」は曖昧だから。
僕の顔は死に続けているから。
僕の顔はこうやって書いている時もずっと頭痛に敗れて「無表情」だから。
「生」が曖昧な僕を、こうやって想い書き残すことでその存在を少しだけ明瞭にしていく。
楽しい。
楽しい。
楽しい。
・・・・。
疲れた。
・・・・。
一旦休憩して、また書きたくなったら別記事で書きます。
ばいちゃ。