・・・・。
・・・・。
・・・・。
言うよ。
今日も言うよ。
また言うよ。
今夜も言うよ。
また言うよ。
・・・・。
・・・・。
死ね。
死ね。
死ね。
死ね。
死ね。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。(やっぱ、今現在の、僕の状況だと。こうやって死ねってタイピングすると、めっちゃ気持ちいいわ。)
死ねって普通に、感情表現なんだ。
死ねって普通に、「アウトプット」なんだ・吐き出しなんだ。
何かに対する、死んで下さい・命落としてくださいという意味ではなく、発する自分自身の、とても「気持ち悪い状況」に対しての、「死ね」なんだ。
・・・・。
死ね。
死ね。
死ね。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。(SとIとNとEを流れるようにタイピング)
死ね死ね死ね死ね死ね死ね新え死ね死ね死ね死ね死ね。
精神的に、健康ではない。
ゆえに僕から、「死ね」という言葉が吐き出される。
現在8月26日、午後7時半前。
世界はそう簡単には変わらない。←wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
僕の日常は、再びやってくる。
僕の、「苦痛なる日常」は、こうして月曜日が来れば、またやってくる。
仕事している時は、ぶっちゃけそんなにこんな具合に死ね死ね思っているわけじゃない。
そこそこ、充実感というか、(社会に他人に)認められた感はある。
働くことが、不幸せではない。
しかし、僕の「核」は、働いていない時間だから。
僕は今の仕事にそこまで、「自分」を感じることが出来ないから。
僕の「求めるもの」は、今の仕事からは得られないから。
仕事をしていると、満たされる。
少し会社に貢献すると・会社の手助けが出来ると、承認欲求はある程度満たされる。
でも、会社には、僕はいない。
「純粋な僕」は、働いている時間にはいない。
「したいことをしている僕」は、働いている時間にはいない。
死ね。
死ね。
死ね。
死ね。
死ね死ね。
頭が痛い。
仕事はやはり、頭を使うから。
旅行中のように、ただただ「楽し~」と言っているわけにはいかない。
会社員として、自分が求められている自分を演じなければいけない。
顧客に対する売り手として、真摯に対応しないといけない。
お客がいる。
だから、お客のためになければいけない。
僕のほわほわな気持ちなんて優先されない。
お客が不満のないよう、丁寧にサービスを提供しないといけない。(どの仕事も同じ?みんなはどう?)
僕の気持ちは優先されない。
子供ではいられない。
でも、僕は子どもだ。
子供な、自分が好きだ。
わがままを言う自分が好きだ。
したくないことをしない自分が好きだ。
やりたいことだけをやる自分が好きだ。
疲れた。
その疲れは、旅行をしている時の疲れと何が違うのか。
さっきも言ったけど、まずは「頭を使う・気を遣う」。
これが僕に、旅行とは違う疲れを与えている。
頭を使うから、旅行の疲れとは違う疲れが頭にくる。
また、働いている時は喋らないといけない。
当たり前のことだ。
ただ、喋るって、頭痛持ちの俺にとってはかなり大きい仕事だ。
休みの日は、ほとんど喋っていないから。
俺の普通は、喋らない俺だから。
喋るのはしんどい。
気を遣って喋るのはしんどい。
感謝するのはしんどい。
ありがとうございますをいうのはしんどい。
お客の気持ちを考えるのは、疲れる。
その疲れがこうやって、家に帰ってどっとくる。
いつもの俺に戻ったら、昼間仕事を頑張っていた時の疲れがドッと来る。
俺の平穏が、犯されていく。
頭痛い。
身体疲れた。
頭痛い。
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めっちゃ愚痴やん。←ww
この、夜の、こうやって日記を書く時間帯は、僕の今日をまとめる・整理する時間帯だから。
それで今日ってそれはつまり主に昼間の時間で、それはほぼ仕事しかしていないから。
前進していない。
俺は今日、前進していない。
本当の俺という駒は、今日は一歩も前に進まなかった。
もったいない、とも捉えれて、悲しい。
月~木は、まるで服役だ。
俺は月~木はあまり俺を進めれないだろう。
夜は主に、(ブログを書いて文章を書いて)まとめる時間だから。
と言っても、これから少し、この貴重な夜の時間に、これからの俺のために、時間を使っていこうかなと思っている。
ほんの数分でも、やっていく。
全く時間がないというわけではない。
少し、今の自分を俯瞰して、何がやりたいか・何をやるべきか、自分の中で相談して、平日でも、「これからの俺」のためにやっていこうと思う。
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・・・・。
一旦休憩しようかな。
ふうーー。
ごめんね、死ねとかいう、汚い言葉を使ってしまって。
でも、それが今の、「本当の俺」だから。
嘘ではないことに、「意義」がある。
死ねという言葉に今の僕のすべてが詰まっていることに、これらかの俺を導く大きな「ヒント」がある。
すべては、捉え方次第。
すべては、見る方角次第。見方次第。
最近知った言葉で、プロ野球の佐々木主浩が使っていた言葉だけど(まあ、佐々木以外も使っている、有名な言葉だけど)、「敵は己にあり」「最大の敵は、自分の中にある」とかいう言葉がある。
その言葉が、最近、少しずつ僕にも分かってきた。
敵は、自分以外にはいないんだ。
敵は、自分自身なんだ。
自分自身が、自分を悪い方向に歪めていってしまっているんだ。
むしろ、自分がない方が、上手く自分を進めていけるのかもしれない。
自分が勝手に生み出した「壁」が、自分の道をふさいでしまう。
自分が心に生み出してしまう「否定」が、自分の未来を閉ざしていく。
他人に害意を向けても、意味がない。
すべて自分が、そう「判断」してしまっているのだから。
その「判断」は、捉え方次第なのだ。
その「困難」を・その「苦難」を、どう自分が向き合っていくか次第なんだ。
それは、とてもとても難しいのだけれど。
分かっていても、それを実行するのは難しい。
だから出来るだけ、僕は自分を「俯瞰」したい。
自分を遠くから見つめたい。
自分という実験体を、遠くから眺め、観察していたい。
自分の中で、自分を見ていてはダメだ。
様々な角度から、自分を研究しないと、自分は分からない。
といったところで、一旦休憩。
今夜もこんなクソ文章を、よんでくれてどうもありがとう。
それじゃあ、一旦休憩。
(いつもの広告。以下略)←www
はあ、疲れた。