8月25日「夏が終わる頃にはもう二人、すり切れたスニーカーはいて、恋を追いかけてた。スラムダンクもう一度読みたくなってきた。」

ふぁっきゅー。

ふぁっきゅー。

ふぁっきゅー。(某Vtuber?←ww)

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おはです。

先輩、今日もおはです。

人生の先輩方・恋愛の先輩方である君たちへ、今夜もおはですこんばんはです。

どーっすか~~。←ww

どーっすかあ~~、最近。

人生、楽しんでいますか。

もしくは、人生、苦しんでいますか。

そんじゃ、自分語りしていきます。

そんじゃ、僕語りしていきます。

よろしゅ~~です。

よろしく~~。

現在、8月25日、午後7時半前。

やっぱり、旅行に行って、良かったよね。

やっぱり、かなり強引に、かなり前準備もせずだったけど、富士に旅行に行って、よかったよ。

一番良かったのは、こうやって家を離れて旅行すると、新しい『気づき』を得られること。

これが旅をする上で得られる、最上の贈り物であり最上のプレゼントだと思う。

旅行の経験を、活かしていく。

旅行の経験で、旅行前とは少し視野が広がった自分に生まれ変わっていく。

それは、すぐ忘れてしまう「気づき」だけれど。

それは、また長い間旅行をしないと、忘れてしまう気づきだけど。

だから今後、定期的に遠くへの旅行を試みようとしているし。

また遠出の旅行以外の、新しい「計画・試み」も、今日色々浮かんだ。

少しずつ、僕は変わっていく。

いや、少しずつ、僕は変わりたい。

今までの、会社と家をただただ往復する、クソみたいな人生を変えていきたい。

様々な体験を、僕自身にさせてあげたい。

社会と家以外の世界を、自分自身に見せてあげたい。

こうやって旅行とかしてそれ以外も色々試みて、最近、いかに自分が「クソな存在」だということに、薄々気づいてきた。

僕はこれまで、「生きていなかったんだ」。

僕はこれまで、存在していないも同然だったんだ。

会社で疲れて、そして家に帰り。

家ではほぼ寝ていて。

寝る以外は、テレビを見るかインターネットをやっているかしていて。

それで、まるで生きた気になっていた。

まるで、それで、自分が生きていると錯覚していた。

僕はまだ、始まっていなかったんだ。

テレビやインターネットの世界を見て、まるで自分がそこに加わっているような「錯覚」に酔っていて。

僕はテレビの向こうと、繋がっているようで、繋がっていないんだ。

僕はインターネットの向こうと、(インターネットは)繋がっているように見せてくれていたけど、実際のところ、何も繋がっていなかったんだ。

テレビの向こうやインターネットの向こうの人たちは、頑張って精一杯生きていたけど。

僕は、彼らとは違ったんだ。

僕は、彼らの体験をまるで自分がしているように感じていたんだ。

それは、まるで意味がない。

それは、加わっているとは言わない。

それは、僕が生きているとは言わない。

誰かが生きているのを、ただただ見ていただけだった。

誰かが向こうで生きているのを見て、さも自分もそれに参加しているような気になっていた。(こいつ、同じこと何回言うねん。←ww)

僕は生きていない。

その事実を、僕はやっと、最近気づいた。

何で今までこうだったかは、このブログで幾度か触れたけれども。

僕は頭痛のせいで、ただただ生きていくだけで精いっぱいいだったんだ。

ここ数年は会社と家との往復だけで。

僕はそれすらも、出来たのはここ数年のことだったんだ。

まともに働くことすら、僕は出来なかったんだ。

最低限、社会(=会社)に関わることすら、僕は出来なかったんだ。

それがここ数年で、ようやく出来てきて。

ようやく、自分を変えようとする段階まで、自分を持って来れて・引き上がてこれて。

僕はそれまで、「沈んでいた」んだ。

僕はそれまで、「暗闇の底」を彷徨っていたんだ。

この10年間、僕には「絶望」しかなかった。

10年かけて、徐々に徐々に、僕は「まとも」であろうとしていった。「普通」であろうとしていった。「一般」であろうとしてった。

それがようやく、31歳を過ぎて、徐々にここまで立ち上がることが出来たんだ。

これまでの「過程」が、今の僕を生んだんだ。

絶望を彷徨ったこの10年間が、今ようやく、レヴェルが「1」だけ上がることが出来たんだ。

いつでも、下には下れる。

これまでの自分が、そうだったから。

過去が・背景が・これまでの時間と空間が、僕をいつでも暗闇へと誘う。

この絶望への誘いは、これからも消えることはないだろう。

僕の消えることのない頭痛は、隙あらば僕に「否定」をぶつけてくる。

僕の悪魔的な頭痛は、僕が心弱まればすぐさま「悪夢」を見せてくる。

これからの僕は、そういう否定や悪魔に対抗する、「光り」を増やしていかなければいけないんだ。

これからの僕は、消えることのない頭痛が送る病的電波に対して、「勇気ある経験」を増やしていかなければいけないんだ。

夜が来ると、僕はまた、「不安」になっていく。

暗闇は落ち着く。

それは言うなれば、光りを否定しているんだ。

これからの僕は、それではダメだと思う。

暗闇にばかり甘えていては、僕はダメだと思う。

夜にだけ安心していては、違う世界を知ろうという心を抱けないと思う。

夜に慣れちゃ、ダメなんだ。

夜の中に・暗闇の中に、自分の存在を多く置いては、ダメなんだ。

光りを怖がってしまうから。

光り(=昼間)を否定してしまうから。

これからの僕は、光りに触れて行かなければいけない。

何故か。

それは、これまでが「偏って」いたから。

多くの経験は、昼間に転がっている。

多くの空間は、昼間に転がっている。

僕は、会社と家以外の世界を見て回った方がいいんだ。

会社と家以外の世界は、街は・社会は、昼間に多く活動しているんだ。

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あれ、少し変なこと言ってる?←ww

一部合っているけど、一部違うかなあ・・・。

とりあえず、今のままではダメ。←ww

今のままでは、全然人生が楽しくない。

今のままでは、全然人生の「幅」が足りない。

僕には「経験」が足りない。

僕は、家と会社以外での僕を知らない。

世界が狭い。

会社以外だと、本当に、家にずっと籠ってる。

それは、もったいないなって、最近気づいた。

以前の日記で何度が言ったけど、「ここ(=自分の家の、部屋)」には、「何も無い」から。

家というのは、「休むだけの場」であるべきだから。

ここでは、生きた体験なんで出来るわけないから。

外だから。

生きた体験が出来るのは、この部屋の外だけだから。

何が見たいのか。

何に触れたいのか。

何を感じたいのか。

それらをするには、何が必要なのか。

僕にとって「幸福」だったのは、ここ数年、ある程度まともに働いたおかげで、「使えるお金」があることだ。

ここ数年、本当にお金を使ってこなかった。

欲しいものも、特になかった。

何が欲しいとかも、あまり思わなかった。

使えるお金が、今の僕にはある。

それはすごく、「使えるな」と思う。

お金は僕に、「選択」を与えてくれる。

お金は僕に、経験を買う「機会」を与えてくれる。

お金は僕に、まるで「ツバサ」を与えてくれる。

お金があるから、僕は旅行にも行ける。

お金があるから、僕は試しに買ってみたいものも変える。

お金が、今の僕に好循環を与えてくれる。(犬飼ユウの、このいいリズムを生み出しているのが誰か わかっているか・・・堂本よ・・・←ww)

いつでも堕ちれるか弱い子。

僕はこれまでもこれからも、「ギリギリ」なんだ。

そんな吊り橋犬飼ユウを、僕自身が「救って」いかないといけない。

そんで、今色々と、「救済計画」を、色々計画している。←ww

旅行以外の「プラン」も、今日思いついた。

これ、すごくやりたいことだけど、僕にとってすごく「勇気」のいることだ。

普通の人たちにとっては、「当たり前」のことなのかもしれないけれど。

僕にとっては、すごく「恥」を多く感じて、経験しないといけない。

それも、近々やる予定だが、それはやってから、報告する。

僕はどう生きたいのか。

僕は僕自身に何を経験させ、何を想わせたいのか。

それは、フワッとは抱いている。

しかしそれも今回の富士旅行みたいに、やる前に抱いていた収穫と、実際にしてみて得た「収穫」はだいぶ違ってくる。

やってみないと、それがどうなるのか・自分にどういう影響を及ぼすのか、それは分からない。

ただ、変わらないというのが、『最悪』なのだ。

違う自分を知らないということは、僕は「不幸」だと思う。

変わっていかなければいけない。

出来れば毎週、どこかに行きたいけれど。

それは準備とか、またお金にも限界があるので。

今自分が持っている材料で、どう自分を導いていくか。

「ここ」にいちゃ、ダメなんだよ。

家にいても、何も得られないよ。

それだけは忘れないで欲しいと、自分に言う。

忘れちゃうから、その時は旅をしなさいよと、自分に言う。

今日思いついた、「旅以外の計画」というのも、僕を家にとどまらせないものだ。

その計画・行動は、すごく重要な事だと僕は思う。

世界は何で構成されているか。

世の中は社会は、どう成り立っているのか。(勘のいい人は、この旅以外の計画をある程度察しがつくだろうけど)

そういうことを、今日想いました。

一旦休憩します。

ちなみにですが、「射精」に対する考えも、今回の富士旅行で色々変わりました。

射精、特に「セルフ射精」の話ですが。(普通に自慰とかオナニーって言えば?←ww)

旅行に行く前のセルフ自慰は、少なからず「無意味さ」を感じていたのだけれど、富士山に少し登って、文明から遠のいて、射精できることって幸せだなって、気づいた。←ww

セルフ射精でさえ、偉大なことだなって、富士山に教えてもらった。

富士山、今回の旅行で少し登ったのだけれど。

本当、今のこの、便利な世の中が、すごく素晴らしいことだよなあと実感した。

山登り中では、まともに愉しんで自慰さえできない。←当たり前や。

文明の中でインフラの中で情報社会の中で、安らかに射精出来ることが、どんなに幸せな事かと、すごく痛感した。

また話は少し変わって。

旅行に行けない週は、映画でも見に行こうかなと計画中。(これは、先ほど話した計画とは別の計画。)

そうそう毎週旅行には行けないから。

手軽に行けて、普通に交われる・みんなや一般に交われる、映画を観る回数を増やしていこうかなあと、考え中です。

また、名古屋内や愛知県内でのプチ宿泊も考え中だが、これはやるかは微妙。(これも、先ほど述べた計画とはまた違う。)

知ってる景色の所に泊っても、なんだかなあと。

名古屋市外なら、少し面白そうだけど。

結構やることあって、上手く整理して、金土日を利用していきたい。

やっぱり、月~木はなかなか行動できない。

月~木は、どうしても家と会社との往復になる予定。

金土日を、上手く利用していきたい。

それじゃあ、一旦休憩。

(いつもの広告。以下略。)

 

午後10時前。追記。

疲れたので、今日はその2を書かずに、その1までとします。

疲れた。

いい、疲れだ。

旅行とか、特に大きな外出が無い日の土日とかの休みの日を、今日から少し変えてみた。

昼間は、休まない方にした。

僕、身体に疲れを感じたら、すぐ休むようにしていたけど。

土日の昼間の、貴重性を強く感じて。

土日の昼間に家で寝ていたら、もったいないなって。

休むなら、夜にため込んで休もうって思うって。

出来るだけ、ベッドに横になってのいつもの休憩を、減らした。

疲れを取り切るまで休むのではなく、疲れは夜にとっておく。

休むなら夜にしようかなと今後、考えている。

以上です。

筋肉痛がひどい。

そりゃ、山登ったからね。

最初の予定では、登る気なく、近くまで富士山見ればいいやと思っていたけど。

五合目までバスで行ったら、老若男女みんな登っていたから。

つられて、ついて行っちゃった。(途中で引き返したけど。)

以上です。

おやすみなさい。

君の夜が、いい夜でありますように。

君の心が、不安少なく眠りにつけますように。

僕は願い続けている。

おやすみなさい。

おやすみなさい。

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にゃほほ~~。←ww

・・・・。

おやすみ。