・・・・。
・・・・。
ふうーーー。
僕は、僕が、いまいち分からない。←wwww
てかその前に、まずは君に対して、「感謝」を。
このブログをやっていて、僕は本当に良かった。
というか、最近の僕は、このブログにしか、僕がいない。←wwww
なんか、ここでしか、僕はこんな風に、たくさん喋れない。
今、昨日話したように、色々、「外の世界」に対しての「試行」を、色々と試みているんだけど、そこでの僕というのが、非常に「曖昧」だ。
他者に対して、喋りたいことがあまりない。
他者にそれほど、興味がもてない。
それ、矛盾してるんだけど。
家と会社以外の世界を知りたいといいながら、外に世界の住人らに対して、喋ることないって。
矛盾してるけど、矛盾してない。←ww
そこらへん、僕もよく、分からない。←ww
分からないので、今色々、「試行段階」である。←ww
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昨日から、このように、「、」が多くついていると思う。
これには訳があって、仕事から帰り家に帰っても、出来るだけベッドに横にならないようにしている。
つまり、「暗闇時間」をあまり過ごさないように、している。
そうすると、やはり、頭痛があまり収まらない。
あまり頭痛が収まらない状況で文章を書こうとすると、こんな感じに、「、」が多くなる。
続けて、文章を書けない・書きにくい。
頭が、かなり、「麻痺っている」状態だから、「、」による、息継ぎをしないと、文章を書けない。
お見苦しいですが、すいません。
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さて、今夜は、何から話そうか。
現在、8月29日木曜日、午後9時過ぎ。
僕と言えば、昨日に引き続き、「割と幸せ」である。
割と幸せの前に少し、「暗い話」を話していこうか。
少し、君の心を暗くしてしまうけれど。
何というか、暗い話は、僕も溜め込みたくないから。
僕の「不幸」を、君に「拡散」していく。←ww
僕の「どんよりとした心」を、君に「譲渡」していく。
今日、午後から会社を休んだ。
これは別に、暗い話ではない。←ww
やっぱり、5日連続で働くのは、僕の身体では、かなりきつい。
なので、今日は午前中だけ働いて、午後から帰った。
それで、家に帰る前に、おばあちゃんが入院している病院へ行った。
そんで、てか、かなり文章、ゴミやな。←wwww
やっぱ、休憩しないと、文章さえ、まともに書けない。←ww
ふえーん(泣)
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おばあちゃんの話書くの、面倒くさくなってきた。←ww
簡単に言うと、死にそうって話。←ww
ガンを患わっていて、ここ1年近く、再発したりで入退院を繰り返していたのだけれど。
一応、ガンは治療できた。
出来たけど、今回の治療で体力的にだいぶ弱ってしまって。
次、またガンが再発したら、もう体力的に治療は難しいし。
今日も見に行ったら、だいぶ身体がミイラ化していた。
見ていて、痛々しかったし、熱も出ているみたいで、だいぶえらそうだった。
一応、母や、またおばあちゃんが以前から親しくしているお手伝いさんが、病院に毎日通って、看護をしている。
悲しかった。←ww
「死」が、もう近いなあと、感じてしまった。←犬飼ユウって、何か他人行儀だよね。←w
また、一応ガンは完治したので、病院を退院しないといけない。
だけど、おばあちゃんの希望や、母などの希望により、病院の「緩和ケア」に、今後入るそうだ。(あっ、察し)
そういうことだ。(つまり、どういうことだってばよ。)
もう、そういうことだ。←w
おばあちゃんは、たぶん、90才ぐらい。
90は確か越えてる。
まあ、そこまで生きたら、それで十分すごいけど。
もう、おばあちゃんはもうすぐ「終わる」。
もう、おばあちゃんはもうすぐ「死ぬ」。
僕はどちらかというと、『他人の』死は、そこまで気にならない方だけど。←ww
さすがにおばあちゃんの死は、少しくるものがあるね。
モヤモヤとしたものが、心にべったりとまとわりつく。
そのモヤモヤを「解明」したいのだけれど、それは答えのない、霧の中へ迷い込むような気がして。
よく、馬鹿が難しい映画を観た後に言う、「考えさせられる」ってやつだ。
考えさせるって、それはつまり、考えていない。
考えていないというより、よく分からない、という感じか。
言語化できない。
自分の脳では、理解できない。
自分の常識を使って、解けない。
そういう時、僕たちは「考えさせられる」って言いがちだ。
それは、考えていない。
自分が持っている言葉では、「翻訳」できない。
これまでの体験・知識からは、上手く捉えられない。
思考出来ない状態の時、僕たちはよく、「考えさせられる」って言う。
今回の僕も、そんな感じだ。
おばあちゃんの死を、上手く捉えられない。
というより、それはどだい、無理な話だから。
以前、このブログ内でも言ったように、「死」は、僕たちにとって、解けるものではないから。
経験していないのだから、分かるはずもない。
僕たちの脳が、死を体験していないのだから、死を上手く、思考展開していけない。
だから死を考えた時、僕たちは思考停止してしまう。
むしろ、あまり考えようとしない方がいい。
それは、霧の中を歩いていくようなものだから。
分かることが出来ないものを分かろうとすることほど、「危険」なものはない。
そんなに、僕たちは賢くない。
これまで生きてきた人すべてがほぼ、この「謎」を解くことが出来なかったのだから。
そんなに、「死」について、考えない方がいい。
むしろ、生きろ。←ww
むしろ、今を楽しめ。
と、僕は自分に言い聞かせている。
あまり、他人を思ってもしょうがない。
あまり、他人の不幸を思ってもしょうがない。
あまり、他人の死について考えても、しょうがない。(他人って・・・←ww)
・・・・。
そこを周回しても、「答え」は出ないというか。
他人の死に囚われていても、「死に対する答え」は出ないというか。
何故なら、僕たちは、生きているのだから。
他人の死ばかり考えて、自分たちの生を疎かにしては、ダメだと思う。
僕たちも、いずれ、死ぬのだから。
僕たちも、いずれ、答えの出ない解へと、突入していくのだから。
生きているのに、死と戯れているのは、「傲慢」じゃないか。
まずは、生を愛せよ。
死に寄り添う前に、自分の生を、大切にしろよ。ってな具合。←ww
おばあちゃんのことを思うと、心がぽっかりと空いていく。
その「原理」を、僕は上手く理解出来ない。
その心の「仕組み・構造」を、頭のいい僕でも、正確に把握できない。←ww
考えても、無駄なのだ。
はじめから、答えのない「解」なのだ。
今の僕たちでは、分かることのないのだ。
それならこの問題は、「未来」に後回しにしよう。
今の、この、今という「時間」では、この問題は解けない。
後回しにしよう。
違う時間から・未来から、いずれ、この問題をもう一度、解いてみようよ。
僕はまだ、全然、「今という時間」を知らない。
分からない死について、無駄にあれこれ思うより。
今と向き合った方が・今の、自分と向き合った方が、「幸せ」ではないかと思って、僕はこんな感じに、おばあちゃんの死と向き合っている。(まだ死んでいないけど)
今回思ったのは、これが、ほぼみんなに、当てはまっていくことなんだよね。
みんなのおばあちゃんも死んでいくし。(もう死んでる人もいるか)
みんなの両親も死んでいく。(自分が先に死ぬパターンもあるが。)
みんなに、この、「重い経験」が降りかかってくると思うと、かなり「キツイ」よね。
この、自分の心のケア、かなりしんどいよね。
自分が、「停滞」しちゃうよね。
自分が、立ち止まってしまうよね。
自分が、振り返ってしまうよね。
「いい経験」だよね。
悪い経験にしては、ダメだよね。
身内の死をもってして、僕たちは「強く」なっていかないといけないよね。
身内の死をもってして、僕たちは僕たちの「生きる」を、より美しく、より鮮明にしていかないといけないよね。
だから、僕は、あまり考えないようにしている。
心には、ずっとモヤモヤしたものが、グッサリとべとりとジンジンとぐにゃりと、まとわりついているけれど。
すごく、面倒くさい。
天才の俺が、解けない心の問題があったなんて。←ww
心が重い。
たちが悪い。
なかなか、頭の中から消えない。
なかなか、重い思いを消化できない。
僕では解けない。
今の僕では解けない。
未来の僕に、任せた方がいい。
遠い遠い未来の自分に、この問題を任せたほうがいい。
今の僕では、無理ぽ。
・・・・。
・・・・。
・・・・。
という感じで、本日の第一部、完。
なんか、当初想定していた文章より、だいぶ変な方向に向かってしまった。
マジで、頭が痛いのが悪い。
出来るだけ、仕事が終わった後の時間は、これからの僕の「計画」に当てていこうと思っている。
なので、「暗闇時間」が惜しい。
だけど、暗闇時間を惜しむと、こうやって、文章を書くことですら、ままならなくなっていく。←ww
ごめんなさい。←ww
一旦休憩して、たぶん、その2も書いていきます。
ありがとう、今夜も、こんな読みにくい文章を読んでくれて。
はじめの方にも言ったけど、僕がこんなに喋れるのは、このブログ内しかない。
それが、すごく助かっている。
僕を知る、一番のヒントが、このブログになっている。
自分とは何かを知る、一番の場所がこのブログになっている。
だから、書いていて楽しいし。
また、すごく「安心」させられる。
ということで、一旦休憩。
(いつもの広告。以下略。)