8月14日その1「日常の僕が非日常の僕を殺すだろう。(大阪旅行3日目。帰宅後。)」

えっ?

・・・・。

えっ?

・・・・。

誰ですか?

君は、あなたは、誰ですか・・・・?

・・・・。

えっ?

・・・・

えっ?えっ?えっ?えっ?

えっ、誰?

知らないなあ。

聞いたことないなあ。

見覚えないなあ・・・・。

それは、半分、本当で。

それは、半分、演技のようなもので。

君のことを、知っているようで全く知らない。

君のことを、全く忘れていて少しだけ覚えている。

今の僕は、そんな状態なんだ。

今の僕の精神空間・精神世界・想い空間は、そんな感じなんだ。

自分が誰なのか、少しだけ忘れてしまった。

自分が誰なのか、これまでの僕を、どこかに置いてきてしまった。

空(から)の自分が、とても不思議に、とてもストレートに、今、8月14日午後8時、この文章を書いている。

軽く記憶喪失。

軽く、記憶喪失のふりをして。

僕の、おそらく、僕の、「記憶の形」は、普通とは少し、ほんの少しだけズレている。

それはおそらくそしてまた、この「頭痛」のせいで。

僕の頭には、消えない頭痛が常駐しているから。

僕の頭は、常に「痛い痛い大王」が居座っているから。

僕の「脳機能」を、少しだけ歪めていく。

僕の「記憶機能」を、少しだけ、普通とは違って、ほんのほんのわずかだけ、「特殊な記憶機能」になっている。

この消えることのない特殊な頭痛によって、僕は、「これまでの僕」を素早く引っ張ってくることが出来ない。

僕の「過去の記憶」は、どこか、この頭の中に「離散」されている・散らかっている。

これまでの記憶が、まるで非年代順にバラバラになっている。

・・・・。

それは少し、表現が違うかな。

・・・・。

この3日間、僕は旅行に行っていた。

8月11日から今日まで、僕は自分の家を離れていた。

日常を少し離れていた。

いつもの僕ではなかった。

知らない土地の、知らない街にある、誰にも知られていない僕だった。

ここでの僕を、僕は少し忘れている。

この、名古屋に住んでいる、平常の僕というのを、少し記憶の片隅に置き忘れてしまっている。

いつもの僕が、思い出せない。

まだ、僕の脳内は、旅行中の脳のままだ。

「ここ(=名古屋。及びそこにある自分の自宅)」がどこだったのか、いまいち思い出せない。

それは少し、「演技」なのだが。

それは少し、「嘘」が混じっているのだが。

知っているけど、知るための「思い出し」が、まだ馴染んでいないというか。

このいつもの空間・いつもの街・いつもの自分の部屋に、まだ僕は「慣れていない」。

日常の空間に、まだ「違和感」を感じている。

とても好きでとても安心するこの自分の部屋に、どこか「他人の部屋」のような感触を抱いている。

『慣れたくない』

・・・・。

うん。

それだ。

それが、この僕のまるで記憶喪失を偽っているような態度の答えは、それだろう。

この自分の家のいつもの自分の部屋に、まだ慣れたくない。

このいつもの自分の部屋に、まだ「違和感」を持っていたい。

この自分の家の自分の部屋に、まだ「他人の家の部屋」であるかのような『新鮮味』を残しておきたい。

ここは、この部屋は、僕の部屋であると同時に、「誰のものでもない部屋」だ。

言ってみれば、ここは『ただの空間」だ。

勝手に僕が、「僕の部屋」とこれまで認識していただけで。

勝手に僕が、「自分だけの大切な落ち着ける空間」と決めつけていただけで。

ここは、「名のない空間」だ。

ここは、ただの「一つの空間」だ。

何も名はない。

誰のものでもない。

これまで一定期間、僕という「誰か」が、ここに長く居座っていただけで。

(それは僕自身を安心させるために。)

法律上・契約上、この部屋が僕のものになっているだけで。

実際は、名のない、意味をもたない、ただの虚空な空間だ。

この空間の、ベースはそうだ。

この空間の、始点はそうだ。

そこに、これまでの僕が乗っかっていただけだ。

今の僕は、そのそれまでの僕、とは少し違う。

今、旅行から帰ってきた僕は、この部屋に長くいた僕とは、ほんのわずかだが少し、「背景」が違う。

今日の僕はどこか、旅行してきた街の「背景」を多く背負っている。

3日間自分の部屋を離れて3日間知らない街の知らないビジネスホテルに泊まって、僕は少し、「僕の過去を塗り替えた」。(←ww。犬飼ユウって、変な事いちいち考えてるよね。超クサイんですけど。←ww)

僕たちは日々、変わっていく。

僕たちは日々、新しい今日を仕入れていく。

僕たちは日々、自分の過去を入れ替えていく・塗り加えていく。

僕たちは日々、自分の背景を変えていく。

1日1日が、僕たちを変えていく。

今日という日は、決して単純平凡なものではない。

そうしてしまっているのは、それまの僕たち(=過去の僕たち)だ。

1日を変えれば、僕たちは変わっていく。

1日を変えれば、僕たちは全く別人になっていく。

そういう意味で言えば、僕たちなんて、『いない』んだ。

自分の過去・自分の背景に流されて、勝手に自分像を固定しているだけで。

(まあ親とか生まれとか、変えれない過去・背景は強制的に僕たちを固定しているけど。)

僕たちは何者でもない。

どれかと何かとどこかと誰かの要素を組み合わせて、今の僕たちが成り立っている。

単純に、その組み合わせの反応が、今の僕たちだ。

それは当たり前の僕たちではない。

当たり前なんてない。

常に選択されて、僕たちはこうなっている。

・・・・。

何の話をしていたっけ?

この、自分の街・自分の部屋に対する、「違和感」・「他人の部屋のような感」・「新鮮さ」を、忘れたくないということだ。

この部屋を、当たり前の自分の部屋にしたくない。(当たり前じゃねえからなこの状況)

僕は常に、僕を「離れて」いたい。

僕は常に、僕ではなくなっていたい。

周りの環境に影響されて・周りの「時間」に影響されて、周りの「他人」に影響されて、固定されていく僕を、僕は「俯瞰」して、監視し続けたい。

僕は僕を、少し上から眺め続けていたい。

自分を、この物語の主人公にしたくない。

僕の中心的な人格(=一番自分の背景に影響されている自分)を、僕という物語の中心人物にしたくない。

出来るだけ、その中心的人物を俯瞰する僕が、僕という物語の「主役」であり続けたい。

そういうことをまず思った、3日間の旅行帰りの僕でした。

疲れてるけど、自分の部屋というのは一番落ち着けて、一番安らげて心と身体が休まる。

自分の家・自分の部屋、最高。

一旦ここで区切る。

それにしても、君は誰?←ww

何か、過去の僕の話し相手によくなってくれていたみたいだけど。

最新の僕は、君のことを、まあまあ忘れてしまった。

ww

まあ、それは、半分ぐらい、「嘘」なんだけど。

にゃはは。←この笑い声何?

あーあ、ISJ、クソ楽しかった。←ww