8月18日その2「クソ共へ。愛すべきクソ共へ。今夜も、おやすみ。疲れたな。ははは。」

クソ共。

愛すべきクソ共。

尊敬すべきクソ共

哀れなるクソ共。

絶望にまみれているクソ共。

とても幸福に包まれているクソ共。

クソチンコ共クソまんこ共。

もしくはチンコでもまんこでもない者でも。

もしくはチンコでもまんこでもある者ども。

クソ共。

総じて、生き迷えるゴミクソ共。

今夜も、おはよう。

にゃははは。

ああ、やっぱ、『夜』が深まると俺が「復活」するというか。

やはり俺は、「暗闇」の中でこそ生きれる。

やはり俺は、夜が深まるにつれて・夜の12時に近づくにつれて、「俺の生きる意味」を見いだせる気がする。

見ようとするから、僕は不幸・もしくは先ほどのような鬱状態になるのか。

現在8月18日、夜の8時。

ようやく太陽が沈み切った。

ようやく、世界は暗闇に包まれた。←ww

太陽が出ている時は、すべてが「見え過ぎる」。

夜になれば、余計なものは見なくてもいい。

(太陽の)光りがないことで、世界が「限定」されていく。

太陽の光りがあると、窓越しから世界を見れば、まるで世界は続いているように見えてしまうから。

それ、気持ち悪いよ。

それ、ウザいよ。←ww

僕たちは・いや僕は、暗闇の中で「完結」している。

僕たちは・いや僕は、世界は僕だけで十分だ。・世界は僕だけで精いっぱいだ。

あまり「惑わす」ものを、僕に見せないで欲しい。

あまり僕の心を狂わす・迷わすものを、太陽の光りを通じて僕に見せないで欲しい。

僕は、「脆い」から。

僕は、崩れやすいから。

僕はすぐ、何かに影響されてしまうから。

僕はすぐ、他人の意見に同調していしまうから。

僕は流されやすいから。

僕は、基本、心の中を「空っぽ」にしているから。

僕の空っぽな心に、余計なものを混ぜるな。

僕は僕自身で、この空っぽな心をゆっくりと満たしたいのだから。

急かすな。

追い込むな。

俺は俺のリズムで生かさせてくれ。

なんつって。

ふう・・・。

やっぱ、安心する。(繰り返し言うが。)

夜になれば、こっちのもん。

太陽が沈めば、僕は僕でいられる。

夜ってやっぱり、「限定」されているんだなと、再確認。

夜ってやっぱり、僕を守ってくれているんだなと再確認。

夕方はまるで邪魔者。

夕方はまるで煽動者。

うるさい。

夕方は、うるさいよ。

・・・・。

何だろう・・・。

僕の想いが、この部屋内でとどまってくれる。

外に「分散」していかない。

この暗い部屋の空間が、僕の想いを「拡張」してくれているようで。

この夜の自分の部屋という空間は、僕の想いの手助けをしてくれる。

僕の頭だけにとどまらず、この部屋という空間まで広げて、まるで「思考」出来るような。

この空間が、まるで僕自体のような。(前から気になっているけど、犬飼ユウは「まるで」の使い方、変じゃない?)←ww

・・・・。

何だろう・・・・。

夜だと、安心して「ため息」がつけるというか。

暗闇のため息は、絶望のため息ではない。

まるで自分を慰めてくれるかのような、とても温かいため息。

あまり否定されないため息。

戦士の疲れを癒すかのような、グチョグチョまんこ的なため息。←ww

はあ・・・。

はあ・・・。

相変わらず、ため息が良く似合う僕だ。

そうだ、僕は疲れているんだ。

そうだ、僕は元々、絶望に近いんだ。

無理に安心しなくてもいい。

無理に満たされなくてもいい。

僕は僕でいられることを、求め探し続ければいい。

僕は僕を、暗闇の中で定め続ければいい。

夜が、僕の「定位置」なんだ。

だから、それ以外の時間帯で、迷うのも当然か。

ふう・・・。

それにしても、今夜はやけにため息が多い。

明日、またクソみたいな仕事が始まるからだろうか。

それが大きいかな。

それとまた、この「日常」が、明日からまた始まっていくことに対してのため息だろう。

今までお盆休みで、だいぶ「解放」されていたからな。

今までだいぶ、自分らしくいられたからな。

俺はただただ、休んでいたい。

俺はただただ、横になっていたい。

そして少し元気になったら、行きたい所へ行って、食べたいものを食べたい。

それだけ。

ただ、それだけが非常に難しい。←ww

自分を「解放」して生きている人は、普通に尊敬する。

それが一番だよね。

羨ましいよ。

ここ2、3日の、旅行帰りに書いた僕のブログの文章で述べたように、僕はこの、日常の僕をある程度「否定」しているから。

嫌いな自分を生きるのは、かなり苦しい辛い。

幸せではないのに、ある程度幸せと偽って、この日常を暮らしていくのは、少し馬鹿らしい。

自分を「歪めて」、生きるのは、すごく「気持ち悪い」。

はあ・・・(ため息)。

はあ・・・(ため息)。

・・・・。

・・・・。

少し話を変えて。

少し話題を変えて。

先程の、その1を書き終えて、いつものように「暗闇時間」を過ごして思ったのは、やっぱり僕(僕たち)の存在って、ただただ「ちんこ」だよなあと思った。

ただただ「ちんこ」。

それは夕方の鬱っぽい時には、気づかなかった。

気づかなかったというか、忘れていたというか、見えなかったというか。

夜になると、僕は自分の「ちんこ」を思い出す。

暗闇に包まれると、自分のちんこの存在が自分の中で大きくなっていく。

自分の中で、一番元気なのが、「ちんこ」なんだよな。

それを、「暗闇時間」を過ごしていて感じた。

ベッドに横になって、両目を閉じて静かにしていると、自分のちんこが「熱い」。

自分の中でちんこが一番「熱」を持っているというか。

一番、生きたい生きたいと叫んでいるような。

それは一番、馬鹿っぽいというか。

何かすごく、自分のちんこって正直だなって。

単純に、「生きる塊」だなって。

単純に、本能的に、生に従っている、ちんこだなって。

それが良いか悪いかは別にして。

でもさ、僕、ネコを飼っているんだけど、ネコとか人間以外の生物は、別に生きるとか死ぬとか悩まないわけじゃん。

ちんこも、ネコに近いなって。←www

ちんこも、生きるとか死ぬとか考えない、本能のままの人間以外の生物に似てるなって・同じだなって。

まるでちんこは、自分のちんこであって、自分ではない。

ちんこはまるで、別の生き物のようだ。

ちんこは、まるで僕たちとは違う「意志」を持っているかのような。

夜になると・暗闇に我が身を投じると、僕はそれに気づく。

夜になると・暗闇の中でベッドに横たわり目をつぶっていると、まるでちんこが叫び出す。

ちんこ~~。

ちんこ~~。

ちんこ~~。

燃えるちんこをきっかけにして、僕がまた「再始動」していく感じ。

燃えたぎるちんこをきっかけにして、僕にまた、「エネルギー」が注入されていく感じ。

(たぶんまんこもそうだろう。まんこも熱いから。)

夜になると・暗闇の中になると、僕は「燃えるちんこ」と再会する。

僕は僕じゃなくてもいい。

僕は別に、生きても死んでもどちらでもいい。

でもちんこは生きたいらしい。

でもちんこはまだ、燃えたぎっていたいらしい。

ちんこがかわいそうだから、この夜の間だけ、僕は生きようと思う・思える。

そうなんだよな。

別にすべての時間を、生きる必要ないんだよな。

楽しいと思える時だけ生きればいい。

それ以外は、死んだふりをしていればいい。

それ以外は出来るだけ、自分でなくてもいいんだ。

自分がいると思える時だけ、生きればいい。(それ、チョー難しいんだけど。)

理論的には、こんな感じ。

すべてを生きる必要はない。

生きたい時だけ、生きればいい。

自分を愛せる時だけ、生きればいい。

ちんぽが愛おしいと思った時だけ、生きればいい。

無理に生きなくてもい。

無理に頑張らなくてもいい。

ちんぽが頑張っていると感じた時だけ、少し生きようと思えばいい。

・・・・。

なんちって。

・・・・・。

今夜は、こんな感じですかね。

あーあ、明日も、嫌だなあ。

遠くにあるだろう、わずかな希望を願って生きるのは辛い。

もっとたくさん、毎日が希望で包まれて生きたい。←ww

んもー、欲深い~~。

でもそれが、本当の僕なんだよな。

少し変わって、また戻されて。

少し変わろうとして、そしてまた、抜け殻にされて。

それ、かなり疲れちゃう。

はあ~~~~。

疲れた。

今日はここまで。

おやす。

おやすみ~~。

にゃはは。

にゃはは。

にゃははははははははははははははははwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

はあ・・・(ため息)。

疲れた。

疲れた。

おやすみ、愛すべきクソ共へ。

おやすみ。

にゃはは。