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・・・・。(旅の時も、犬飼ユウの日記は「沈黙」で始まりがちなのね。そういうとこ、とても好きよ、犬飼ユウ。←ww)
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9月15日日曜日。時刻は午後11時半前。
どうも、いつもの、犬飼ユウです。
さて。
さて、さて。
何から、書いていこうかな。
何から、語っていこうかな。
ふふふ(笑)。
はあ、割と幸せ。(旅の途中での「幸せ」、頂きました。←ww)
ふう・・・(やや満足げな、ふう。)
楽しいね、今回も、旅は。
旅の過程は、色々マイナスなことや悲しいこと虚しいこと多く感じたけれど、こうやって、ホテルに戻ってきて今日を振り返ると、やっぱ、やって良かったなって思える。
何でそんな行動するのって思えるけれど、こうやって眠りに就く前に振り返ると、やっぱりして、良かったねって、思える。
よくやった、自分。
よくやった、犬飼ユウ。
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いいね。
いいね、今回も。
いいね、今回の旅は。
東京。
主に行っていたのは「千葉」なのだけれど。
泊っているのは、東京だから。
というか、千葉も、東京みたいなもんだし。←ww
そこらへん、「大体」でいいよ。
そこらへん、アバウトでいいよ。
変に、凝り固まらない方がいいよ。
「ZOZO」だって実質、東京でしょ。←ww
「クレヨンしんちゃん」は東京ではない。あれは埼玉。
でも「翔んで埼玉」は、実質、東京。←ww
適当でいいんだよ。
何となく、東京で、東京を感じれば。
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ああ、東京、最高。
半蔵門は、東京だよね。
かなり東京だよね。
政治色が強い、東京だよね。
ああ、東京。
ああ、あのクソ田舎者犬飼ユウが、東京の中心近くのホテルに泊まっている。
犬飼ユウが、東京に犯されている。
もしくは犬飼ユウが、東京を犯している。
犯し合い。
東京と僕との、浸食のし合い。
まんことちんこを交わし合ったり擦り合ったり。
気持ちいい。
東京とかいうクソまんこ、とても気持ちいい。
ふう・・・。
幸せ。
東京にいるだけで、幸せ。
東京で宿泊するだけ、幸せ。
東京の中心で、眠れるなんて、とても幸せ。
犬飼ユウは、少し変わっている。
犬飼ユウの頭の中は、どう動いているのか。
犬飼ユウの頭の中は、何がうごめいているのか。
何故単に、東京のビジネスホテルで数泊泊まっているだけで、幸せなのか。
彼の頭の中は、どう自分勝手に「都合解釈」しているのか。
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「不安」、という思いから、すべてははじまっている。
犬飼ユウを理解するためには、彼がものすごく、「不安な生き物」だということを思考の根底に置いておくと、理解しやすくなっている。
彼は、人並み以上に不安なんだ。
犬飼ユウは、赤子もびっくりするぐらい、すべてに怯えながら、毎日を陰々とおろおろと、怖がり生きているんだ。
不安。
それは、犬飼ユウのすべて。
不安。不安定。脆弱。
安定することがない、僕、そして、僕の心。
だから僕は日々、安定させたいと思っている。
だから僕は日々、自分の心の不安を拭い去ってくれるものを探し続けている。
「依れるもの」が、欲しい。
「守ってくれるもの」を、抱きしめ続けたい。
自分を「安心」させてくれるものは何か。
最初にすぐ思いついたのは、やはり「おっぱい」だろう。
おっぱいとかまんことか。
女性の『部位(≒箇所。部品。部分)』であり、女性の「性的な部分」。
人は、いらない。(←最高に気持ち悪いけど、そこが最高に犬飼ユウ。くう~~~~)
人っぽい、「おもちゃ」が欲しい。
女性を模した、女性の身体という「玩具」が欲しい。(←うわああ・・・。マジ引き。)
他には?
女性の部位以外に、犬飼ユウが安心できるものは?
それは、たくさんある。
というか、尽きないよね、それは。
自分の不安が尽きないのだから。
欲するものも尽きないし、安心させてくれるものも尽きない。
ぶっちゃけて言えば、世の中にある「すべて」が、僕を安心させる材料となっている。
すべてがあっても、足りることはない。(←ここ、かなり大事。)
それほどまでに、「不安」というのは、『最強』、なのだから。(最強っていう言葉、大好き。たぶん男子は全員、最強っていう言葉好きなのではないか。)
不安が、僕の欲のすべてを生んでいる。
不安こそが、僕の「親玉」であり、僕の「囚われの姫」であるのだ。(←ふふふ(笑))
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僕は安心出来る材料を探すために、こうやって「旅」に出向いているし、また最近では名古屋内で、「レンタル彼女」を利用したりしている。
何故これが、最近になって、僕は行っているのか。
旅をし始めたのは2か月くらい前からだし、レンタル彼女を利用したのは1か月くらい前から、確か。
このブログを書き始めてから、そういう「行動」をするようになった。
ブログを書き始めて、それまで顕していなかった僕の「不安」が浮き彫りになったのだ。
ん?
少し、変だな妙だな。
ブログを書き始めることで、不安が浮き彫りになるって。
それなら、ブログ書かない方が、不安は少ないんじゃないか。
うん。
そうかもしれない。
そう、なのかもしれない。
ブログを書くことが、最近の僕の「不安」を呼んでいるんだ。
ブログを書かなきゃ、僕はそれほど不安じゃないのかも。
ブログを書くことで、僕は僕の不安を浮き彫りにしている。
じゃあ、ブログを書かない方が、いいのか。
違う。
ブログを書かないと、僕が「存在」しないから。
ブログを書かないと、不安どうこうすら、言えないから。
「無」、だから。
ブログを書かない僕は、「誰も知らない」僕だから。
僕は、「誰か」に、僕という存在を、知って欲しいんだ。
「無」を、やめたい。
誰にも知られていない状況から、「脱出」したい。
まるで、「産声」。
僕は、泣いている。
僕は、その存在を知らしめようと、不安を盛大に叫んで、泣いている。
不安よりこわいもの。
真のラスボス。
それは、「無」だ。
無に比べたら、不安なんてかわいい。
孤独とも違う。
無と孤独は、違う。
孤独はまだ、遠くに他者がいる。
無には完全に、他者がいない。
無は、無だ。(無駄無駄無駄無駄~~。←ww)
無が一番、こわいんだ。
無を一番、僕は恐れているんだ・怖がっているんだ。
無から何とか脱出して、僕は「不安」へと辿り着いているんだ。
不安。
不安という、安心。(←にやり。)
不安を不安と口にすることで、僕は少し、安心していく。
不安と言えるのは、無からは「卒業」出来ているんだ。
自分が不安と気づけるのは、無ではないところに、自分が存在しているからだ。
不安は、つまり、不安じゃない。
自分が不安と気づけるのは、安心に片足突っ込んでいる状態なんだ。
なるほど。
不安であり、安心。
不安と安心は、分けて考えない方がいい気がする。
不安と安心は、「共生関係」みたいなものだ。
100%不安になることも、100%安心になることもない。
不安と安心は、お互い支え合っている。
不安と安心は、二つでバランスを取りながら、成立し合っている。
なるへそ、少し、「安心」した。
『波』のようなものか。
不安と安心って、海の波のようなものか。
固定する必要はない。
漂えば、いい。
浮かべば、いい。
・・・・。
・・・・・。
・・・・。
一旦、休憩。
というか今、すでに9月16日午前0時過ぎで、かなり眠いンゴ。←ww
もしかしたら、このまま眠るかもでゴンス~。
ふがー。
あいまい、さんせっ。←www
・・・・。
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