私を否定しないで・・・。
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9月28日土曜日。時刻は午後2時半過ぎ。(犬飼ユウ、今日ブログ書いてばっかやな。そやなー。←ww)
「私を否定しないで」。
この気持ちが、今の僕はめちゃくちゃかなり強い。
それはいいのか、悪いのか。
「僕を否定しないで」という気持ちになることは、僕にとって、いい点も悪い点もある。
求めてはいる。
「誰か」からの、肯定を。
それを求める心があることで、変わっていけるという、いい面もある。
僕は、求めている。
誰かからの、肯定を。
肯定されたい。
僕の存在を、擁護して欲しい。
否定から、脱却していきたい。
否定の沼から、抜け出していきたい。
永遠の否定から、救って欲しい。
救って欲しい。
救われたい。
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人を、求めている。
これまで会ったことがない人を、僕は求めている。
会ってみたい人を、僕は求めている。
人に会って、変われるか。
変われる。
変われない部分もある。
変わる部分を、大切にしてゆきたい。
変わる部分を、財産にしていきたい。
変われる部分を、増やしていきたい。
生まれたばかりの犬飼ユウ。
まだ「ひとり」の、犬飼ユウ。
笑顔を知らない、犬飼ユウ。(実はというか、別に僕はどちらかというと、よく笑う方だ。よく笑う方だけど、笑顔を知りたい。本当の笑い?より心の奥からの笑という感じか。安心からの笑いという感じか。飾りがない笑いという感じか。)
救われたい。
否定に対抗できる肯定が欲しい。
誰かから、肯定をもらいたい・学びたい。
肯定を知ることで、皮肉なことに、より(自分自身に)否定される。
よく、恋人同士が、出会わなければこんなに寂しくなることもなかった、ということを言うのを聞いたことがあるが、その気持ちが、少し分かる。
自分の存在を承認してくれる人の存在を知ることで、その人に会ってない時間、その人に出会う前より、より寂しさを感じる。(あっ、何か文章、伝わりにくい。←ww)
ひとりならば、孤独も感じなかった。
出会ったことで、ひとりを知った。
「二人の時間」というのを知ってしまったことで、一人きりの時間に耐えられなくなってしまった、という感じか。
肯定というのは、一度欲しがってしまったら、ずっと欲しくなってしまう。
一度自分の存在を承認されてしまったら、ずっと承認して欲しい。
ひとりがとても、こわい。
ひとりがとても、耐えられない。
繋がりたい。
ずっと誰かに、自分の存在を赦されていたい。
こわいな。(←)
誰かに承認される「悦び」を、僕は知ってしまったから。
自分を赦してくれる存在が、今のところ、ある程度のお金を払えば、出会うことが可能だから。
僕のここまでの、様々な新しい「試み」は、僕の所有する「お金」によって成立している。
割とここ最近、お金を浪費している。
3、4年前にまともに働き始めて、そこからほぼ、趣味とかもなく、あまりお金を使ってこなくて、今のところまあまあお金があるけれど。(漫画ぐらいかな、これまでの僕の趣味って。)
割と最近、「浪費」している。
お金の管理も、今後、ちゃんとしていかないといけないな。
どのくらい1か月でお金を使ったいるのかとか。
僕にとってお金が一番、今頼りになっているものなのだから。
お金がなくなってしまったら、僕はほんと、『終わってしまう』な。
お金がなくなってしまうと、どこにも行けなくなるし、自分の自由を満たせなくなるし、繋がりも絶えてしまうし。
お金がないってやっぱり、「絶望」だな。
お金がないってやっぱり、「人」を失うな。
今、お金がある間に、「繋がり」を強めておくんだな。
もしくは、今のお金の入金を、減らさないでおくべきだな。
つまり、やっぱり、今の仕事はまだ、辞められないな。
この仕事が、僕のお金を生み出しているのだから。
こわい。
お金がなくなるのが、とてもこわい。
お金がなくなってしまって、誰かと繋がる手段がなくなってしまうのが、とてもこわい。
繋がっていたい。
出会っていたい。
誰かと「会話」、していたい。
誰かと繋がるための手段を生むと思えば、今の仕事も、そこまでクソではなく見えてくる。
クソだけど。←www
クソだけど、クソじゃない面も感じてくる。
お金を生むから。
お金を僕に、与えてくれるから。
なるほどね。
お金もすごいし、仕事もすごい。
繋がりを生むことが出来るから。
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