10月4日その5「犬飼ユウと日々徒然がおったら、そこはもうカタログや。」

何か(書きたい欲が)止まらない・・・。

めんどくせっ。

でもまたこれが、嬉しいのだけれど(笑)。

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・・・・。10月4日金曜日。時刻は午後9時。

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何を、書こうかな~~(まだ決めてないんかい。というか今の時点では、浮かんでさえいない。ただ何か、吐き出したい欲求がここにある。)

このブログを書く時、ほぼほぼ、「ヘッドフォン」をして書いている。

音楽は流していない。

ただなんか昔から、「ヘッドフォン」をつけていると「安心」して。

落ち着くんだよね、ヘッドフォンしていると。(かと言って、外出時は別に最近していないが。音楽も最近あんまり聞いていないが。)

何か、「集中」出来る。

ヘッドフォンしていても、別に「イヤーマフ」じゃないから、別に生活音は入ってくるのだけれど。

それでもやはり、「耳」を塞いでいることが、大きいのであろうか。

落ち着く。

ヘッドフォンをしていると、こうして落ち着いて、ブログを書ける。

さらに落ち着いて書きたい時は、部屋の照明を暗くする。

現時点でも、電灯MAZの状態で書いているのではなく、「間接照明」的なものの灯かりだけで書いているのだけれど。

さらに集中したい時は、さらに灯かりを少なくして、出来るだけ「暗闇」で、僕は書く。

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今、割と、「気分」がいい。

たぶん今後、「いい思考展開」していきそうな感じがする。(思考展開って、何ぞ~~。)

「やりたいことがあること」は悪くない。

僕という物語の中で、「面白い登場人物」が登場しつつあるのも面白い。

人は人ひとりではその人を語れない。

誰かという他者という「照明」があって、僕という存在が炙り出される。

僕に僕は、あまり必要ない。

僕を「残酷に鮮やかに鮮明に」するためには、僕をうつす「他者」が必要だ。

他者が僕を語ってくれる。

他者が僕を教えてくれる。

僕はやはり、なくてもいい。

僕はやはり、僕から距離を置いていきたい。

誰かに映される・映し出される僕を、僕は観察していきたい。

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「存在」とは何か。

僕とは何か。

その問いは、僕にとって永遠の「課題」だ。

僕の日常の多くの時間はまだ、僕ではない。

違う自分のふりをし続ける時間が、今の僕はだいぶ長い。

そこにあまり、慣れないようしている。

生きるために生活するために演じている僕に、僕はあまり深入りしないようにしている。

それは、あまり、僕にとって、重要な僕ではない。

それほど、大切にする、僕ではない。

好きな自分の濃度を、僕は高めていきたい。

好きな自分の密度を、僕は上げていきたい。

自分を知るにはやはり、今のところ、「お金」がかかる。

お金は「機会」を生むから。

お金は「場所」を生むから。

お金は「人」を生むから。

今の僕はまだ、お金に頼らざるをえない。

生まれたばかりの僕はまだ、お金きっかけでしか、機会と場所と人と繋がれない。(まあ、それが普通だけど。)

お金を利用することで、お金の先にあるものを、僕は掴もうとしている。(たぶん。)

それが何なのか、今のところ正確には僕にも分からない。

ただそれは確実に、「他者」が絡んでいるのだろう。

僕は確実に、「僕に興味がある人」を求めている。

そのためにこうやって、このブログで僕を「紹介」している。

カタログや。

犬飼ユウと日々徒然がおったら、そこはもうカタログや。(←wwww)

犬飼ユウは、「作品」にすぎない。←www

僕もまた、犬飼ユウを「鑑賞」している。

出来るだけ、(犬飼ユウを)楽しみたい。

出来るだけ、(犬飼ユウを)楽しませたい。

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