9月29日その1「親について。親に対する気持ち悪さの正体について。」

親について。

9月29日日曜日。時刻は午前7時半。

親について、少し語る。

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ははっ。

ははははっ。

はははっ。

・・・・・。

・・・・・。

・・・・・。

関係性としては、割とまあまあいい。

そこそこの関係性で、現在に至っている。(まあこれは、ほとんどの人がこんな感じであろうが。)

ただ・・・。

ただ・・・・。

う~~ん、説明しにくいのだけれど。

というかこれは僕の親どうこうよりも、僕の性格?的なものに原因がある気がして。

「この気持ち」が、僕自身何故こうなったのか、上手く説明できなくて、上手く整理出来なくて、今回、この文章を書いてみようと思った。

親との関係は、割かし「良好」。

割かし良好、割と普通だけど、なんだろう・・・。

たぶんおそらく、みんなには分かってもらえないだろうけど・・・。

僕の自分自身、正確に把握できていない感情なので、説明しづらいのだけれど。

親に対して、妙な、『気持ち悪さ』というのが、常にある。

というかこの気持ち悪さというのはおそらく、親に対してだけに向けられているのではないと思う。

僕はおそらく、すべての「他人」に対して、こういう感情を少なからず持っているのかもしれない。

その他人の中で、親というのが一番、「近しい他人」だから、この感情が顕著に親に現れているのではないか?と思う。

親に対して、ではなく、すべての「他人」に対しての『気持ち悪さ』。

その気持ち悪さについて、少し、語っていく。

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おそらくこの感情は、一般的に言われる「反抗期」と呼ばれる、中学1年や2年の頃から、今日こんにちまで、ずっと続いている。

ずっと残っている。

僕は、「反抗期」が終わっていないというか。

反抗期に感じた「疑問や葛藤」が、消化されないまま、未だ僕の中に残っているというか。

僕の反抗期は、それなりにあった。

普通に親が嫌いになって、奇妙に苛立ったり、ほぼほぼ会話をしなかったり。

行き場のない怒りを時に親にぶつけたこともある。

それらの苛立ちは、学校というとても狭いコミュニティに「配属」され、自分のアイデンティティーを見いだせないことによる苛立ちだったり、社会から見て自分という存在が、なんとも「無価値」に見えたり、そしてまた、そういう社会に対しても「価値がない」と思ったり。

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・・・・・。

それらの葛藤は、高校生や大学生になるにつれ、薄まっていく。

(書いてて、自分でも探り探りだから、変な文章になると思う。ごめんね。)

僕自身も実際薄まっていったし、「平和」に生きるためには、親と仲良くしておいた方がいいなと、「妥協」して、現在にいたるまで、割と良好な親との関係性を築いている。

僕は、大学は、「東京」に行った。

それは東京に一度行ってみたいという思いもあったのだが、それよりもおそらく、『親から離れたい』という感情が、とても強かった。

大げさに言うかもしれないが、一度親から離れないと、『自分が死んでしまうな』と思った。

マジで。

割と。

一度親という存在を、僕の「思考空間」から切り離さないと、いつまでたっても、親が俺の脳裏に浮かび、何だか『支配』されているようで、それがとても、『気持ち悪かった』。

俺の存在を、激しく「侵されている」ようで。

俺のことは、俺を中心にして考えたい。

親の近くにいると、それが激しく「邪魔される」ようで、生きることに少し、「ぎこちなさ」を感じていた。

だから、東京での大学生活は、とても楽しかった。

人生で初めて、自分を「解放」出来た気がして。

人生で初めて、親がいない世界を、冒険出来ている気がして。

人生で初めて、親が自分の頭の中を干渉していないような気がして。

僕は、僕でありたい。

僕は、僕中心でありたい。

ひどく「思考寄り」に生きている僕は、僕の「頭の中」を、とても配慮して生きている。

自分の頭の中を気にしていきると、どうしても親という存在が大きく、自分を邪魔してくる。

これがおそらく、僕がこんにちまで抱いている、「気持ち悪さ」の正体だろう。

俺の思考を、邪魔されたくない。

俺は、俺中心で思考を組み立て、判断し、そして行動していきたい。

「無駄に」邪魔な他の存在は、俺の頭の中にいらない。

無駄に大きくなってしまっている存在は、俺の想いを邪魔するだけだ。

邪魔をしないでくれ。

ひとりにしてくれ

ひとりで思考、させてくれ。

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これが、僕が親に対して抱いている「気持ち悪さ」の、一番大きな部分。

まだある。

親に抱いている「気持ち悪さ」は、これだけではない。

何故邪魔なのか。

何故親を邪魔に感じているのか。

それは、「親の考え」が、僕とは少し、違うからだ。

でも、うちの親は割と、「ふつう」だと思う。

多分僕が、少し「ズレている」のだと思う。

僕は全体的に、「一般」からは少しズレていると思う。

「親の考え方」の、どういうところが嫌いなのか・邪魔なのか。

(書いててすごく、『罪悪感』を感じる。これだから、嫌なんだよ・・・。←笑いたいけど、ほんま笑えん・・・。)

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うわー、これ、書きたくねえわ・・・。

・・・・・。

・・・・・。

・・・・・。

でも書いちゃう(笑)。

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・・・・・。

「親の考え方」の中で、おそらく、僕が毛嫌いしているところは、「こういうもんだっ」ということを前提にして、生きていることだ。(書きたくねーー。何故なら、どちらかというとそれは、親の方が正しいから。親の方が社会的な人間としては、優れているから。俺が劣っているから。俺の方が、ダメだから。)

へこむ。←www

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・・・・・。

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つまり僕は、「常識」というものを、普段からあまり所持していない。

「〇〇はこういうものだから、こういう風に対処するもんなんだ」っていうものを、僕はあまり、重要視していない。

むしろそれを、「軽蔑」している。

自分の考えを持たないで、他人から「拝借」した考えを、自分の頭の中の「フィルター」に通せもせず、さもそれを「我が物顔」のように使っているのを見ると、「吐き気がする」。

まるで、「ロボット」みたいで。(アンドロイド犬飼ユウがよく言うな・・・・。←確かにwww)

だから別に、親だけが嫌いなわけではない。

そういう、慣習や常識に縛らている感じの人が、僕は好きではないんだ。

そういう人に、僕の想いを穢されたくない。

僕は僕で考え、僕を生きたい。

何もしたくない。(←働け。←www)

自分のしたいことを、ただただしていたい。

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・・・・・。

10数行前の()内に書いたが、社会的に見て、劣っているのは親ではなく、僕なんだ。

だから僕は、「反論」出来ない。

親たちの考えも否定しないし、僕が合わせるところは合わせた方が、色々、『都合がいい』。

どうなんだろ・・・。

僕の中ではやはり、親というのも、「他人」という感覚だ。

自分以外は、すべて他人。

ただ親の場合、お互いが「支え合う」関係性が強くあると言った感じか。

親もまた、僕あってのその存在だし、僕もまたそうだ。

ただそれは、「どの程度」支え合うかが、問題だよね。

他人をどれだけ支えるか。

他人をどれだけ尊重するか。

他人に対してどれだけ時間を割くか。

大切なのは自分。

優先すべきは、自分。

そこは、今のところ僕は、そんな感じだ。

お互い支え合いながら、しかしなお、自分を大切にして生きないといけない。

自分の想いを尊重して、僕は生きなければいけない。

・・・・・。

・・・・・。

・・・・・。

こんな感じかな。←www

親に対する「気持ち悪さ」は、まだある。

ただちょっと書くのに疲れたので、今回はこの辺で。

やっぱこういうのか書くの、精神的に辛いわ。

だから、避けているっていうのもあるけど。

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・・・・・。

・・・・・。