9月29日その2「犬飼ユウ、繋がりを求めなさい。」

こんなクソブログ書いている場合じゃねえ・・・・。←www

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9月29日日曜日。時刻は午後7時半前。

ふう・・・。

それな・・・。

こんな、クソブログ書いている場合じゃねえ。

どういうことかっていうと、やっぱり、「家にいちゃいけない」なって。

外に、出来るだけいなくてはいけない。

他者が誰かいる場所。

出来れば、僕を僕と認識してくれる場所へ、行った方がいい。(ただ人が多い場所に行くのではなく、僕と「会話」する相手がいる場所へ行った方がいいということ。)

寂しい・・・。

寂しいのは寂しいのだけれど、それをただ、こうやって、ひとりで呟いていても、「何の意味がない」。

それなら、「行動」しなよってこと。

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・・・・・。

まだ全然、足りていない。

僕はまだ、全然、「会話」が足りていない。

隣に人がいる状況を、当たり前のようにしていかなくてはいけない。

ひとりでこうやってただ居座っていても、どちらかというと僕は、自分自身に「否定」されてしまう。

それが嫌なのなら、『誰かに救ってもらわなきゃ』。←←←←←

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いい、言葉だ。

我ながら、すごく、身に染みる言葉を発したな。

そうだ。

僕は、自分では、自分を救えないんだ。

おお・・・。

すごい、発見した。

当たり前と言えば、当たり前のことだけど。

ん?

いや、この事実に、僕は気づいていなかったのかも。

僕は、僕では救えない。

自分というのは、自分でどうにかするもんだと思っていた。

それも、「真」なのだけれど。

救われる方向に向かうのは、自分がやらなくてはいけないのだから。

だけど、それで実際に救う・それで実際に「治療」するのは、僕ではなく、『他者』なんだ。

僕は、僕では救えない。

すごく当たり前のようなことだけど、僕は今日の今まで、それに気づけていなかった。

もっと、言え。

もっとその「気づき」を、自分自身に染み渡らせろ。

自分自身では、自分を救えない。

自分ひとりでは、自分を救えない。

僕を救えるのは、僕以外の他者なんだ。

だから僕は、「他者」を求めなきゃいけないんだ。

僕では、無理だから。

僕ひとりでは、僕を救うことが出来ないから。

誰かを、求めなきゃ。

誰かを、必要としなきゃ。

誰かに、学ばなきゃ。

誰かの中で、泣かなきゃ。

誰かの中で、自分の想いを預けなきゃ。

こんな、クソブログを書いていてはダメだ。(←ww。僕記録として、書かないといけないんだけども。このブログは言えば、僕が道に迷わないようにするための、「印」みたいなものだから。)

ていうかさ、愚痴るけど、やっぱ、「疲れる」よね。

きっついはマジで、一番それが、やっぱり。

は~あ、ため息出ちゃうぜ。

やっぱり僕の最大の不幸は、この悪魔的な頭痛なんだよな。

これが無かったら別に、僕のこんなに「強がんない」よ。

この頭痛があるから、僕はこのブログで、「虚勢」を張っているんだよ。

僕は割と、「普通の子」なのに。

この頭痛のせいで、「キチガイさ」をある意味、演じているんだよ。

超絶かわいそう、犬飼ユウ君。←ww

よしよし、よしよし。←ww

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満たされたい。←ww

この頭痛を忘れさせてくれるよな、「幸福な時間」を僕は過ごしたい。

不幸とは、幸福でしか埋められない。

不幸が多い人ほど、幸福を求める。

必要とする、幸福が多い。

不幸で「削られた」分だけ、幸福で「修復」したい。

それだけ。

僕が求めているのは、それだけ。

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僕が救われるためには、「繋がり」を求めないといけない。

ひとりでいる自分でいるのではなく、誰かと共にいる時間を、増やしていかなければいけない。

寂しい。

ひとりというのはやはり、寂しいんだ。

誰かを求めなきゃ、いけないんだ。

誰かと会話することで、繋がりを感じていかなきゃいけないんだ。

ここにいても、しょうがない。

ここにいても、僕は僕に「否定」されるだけだ。

楽しまなきゃ。

誰かから見られる自分を、求めなきゃ。

喋る。

会話する。

当たり前のことだけど、僕にはそれが、欠けていた。

対他者との会話データが、僕には圧倒的に足りない。(←ロボットらしい・・・。←ww)

他者のデータを聞きつつ、それを鏡にして、自分自身を僕は見たい。

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・・・・・。

こんな、感じです。