あ。
9月30日月曜日。時刻は午後9時前。
やっぱ、今日、頭の調子、悪いな。
悪いから、その1みたいな感じの、「白紙」な精神状態になっているわけで。
でも、そんなに「死ね」とは思わないな。
「疲れた」とも、あんま思っていない。
・・・・。
・・・・。
・・・・。
成長、というか、僕も少しずつ、「変化」、しているのか。
まだ、全然だけど。
何か、変わっていく、「兆し」みたいなのは、薄っすらと感じている。
今月、割と、忙しい。
忙しいというか、今月、忙しくなるだろう。
「予定」が割と、多い。
予定を割と、今月、多く入れている。
というか、それを、「望んでいた」。
ここにいても、ダメだ。
自分の家の自分の部屋にいても、何も変わらない。
それを「避ける」ために、「外での予定」を色々組んできて、今月その予定を「消化」していく感じ。
埋めていく。
ひとりの時間を、埋めていく。
誰かといる時間を、増やしていく。
ここにいても、自分が「アンドロイド」ということに、気づかない。
僕という人間がいかに「人間性」が薄いか、自分の部屋にいては、気づきにくい。
外に出て、他者といて、他者と比較することで、僕は僕の「醜さ」に気づいていく。
まずは、それを、知りたい。
いかに自分が、「劣っているか」を、ふつうの人と出会うことで、感じていきたい。
犬飼ユウは天才であるが故に、超絶劣っている。←wwww
人と少し、離れている。
人と少し、距離を置いている。
近づいていく。
人に、近づいていく。
人から学ぶ。
人から教えてもらう。
人から吸収する。
・・・・。
・・・・。
・・・・。
今日、仕事に行ったのだが。
なんだろ・・・。
自分でも上手く表現しにくいが、ある程度、今の仕事を出来ていることは、「幸せ」だと思う。
というか今の僕にとって、働くことが「外に出ることのきっかけ」になっている。
これが、働くということの中で一番いいことなのではないか?と、今日感じた。
お金をもらえるというのを、仕事の一番の意義だと思っていたが、それと同価値ぐらいに、「外に出る機会」を、今の仕事が僕に対して与えてくれているのが、僕にとって、大きな意味を持っている気がする。
行きたくなくても、行く。
働きたくなくても、働く。
頭が超絶、痛いのに。
日々、自分が「健常者」ではないことに、劣等感を感じるのに。
それでも、(社会に)「参加」しなければいけない。
だからこそ、非健常者だからこそ、(社会に)参加しなければいけないのでは?と、今日、働いている時、感じていた。(←何かすごく、いいこと言ってない?←www)
たぶん、かなりいいこと、言っている件。←www
僕が、今の仕事を「クソ」だと思っていても、辞められない理由がそこにある気がする。
「ひとりの時間」というのが、僕にとって、一番の『毒』なんだ。
何故なら、(自分を)否定してしまうから。
働いている時も他者と比較して否定されることもあるが、「肯定」もされる。
というか、お金をもらっている時点で、「肯定」があるんだ。
なるほど。
むしろ、お金をもらっているだけで、「肯定」なんだ。
ひとりの時間・自分の部屋で籠っているだけの時間は、「与えられない」。
与えられるのが、「薄い」。
みなが働いて、自分も働いているという事実が、僕に「肯定」を与えている。
僕は、働きたいのではなく、「みなと同じようにしていたい」のか?
うん。
その意識がおそらく、強いのかも。
「同じでありたい」。
共感したい。
共有したい。
共有した上で、自分を「異端」に配置したい。
全体の空気を感じ取った上で、その全体から、『離れたい』。
なるほど。
ひとりでは、ひとりは成立しないということか。
僕の好きなひとりというのは、全体を知った上での、ひとりなんだ。(なるほどね。)
ひとりでは、ひとりではない。(←!!!!!!)
以前、このブログ内で似たようなこと述べたかもしれないけど、全体を知らない上でのひとりはひとりではなく、『無』なんだ。
無がいわゆる、「孤独」なんだ。
繋がっていない状態。
属していない状態。
社会との関係性が途絶えた状態。
それを、僕は恐れているんだ。
今の仕事の「意義」が、少しだけ見えてきた。
仕事をしている時間は「クソな時間」だが、同時にそれは、「共有された時間」なんだ。
実際にさ、こうやって、このブログ、あるじゃん。
よく、毎日こうやって、吐き出したい言葉が犬飼ユウって毎日毎日よく出るよなって、読者の人たちは思いませんか?
犬飼ユウ、喋りすぎじゃねって。
犬飼ユウ、よくそんな毎日、書くことあるよねって。
僕自身もそこに、疑問を抱いていて。
何で、こんなにも書くことあるのかなって。
たぶん、働いていないと、こういう風に毎日毎日、出ないんじゃないかって。
ずっと自分の家の自分の部屋にいて、こもりっきりだったら、ブログに吐き出すこと、ないんじゃないかって。
僕が今働いていて、社会に最低限「属している」ことで、こうやって、吐き出す想いもあるんじゃないかって。
想いっていわば、『比較』なのだから。
誰かの想いと自分の想いが違うことで、想いは浮かび上がってくる。
「誰か」がいるから、僕たちは「思考」する。
他者がいるから、僕たちは想う。
僕という存在は、「フィルター」に過ぎないのかもしれない。
僕はただ、社会から吸い取ったものを、吐き出しているに過ぎないのかもしれない。
自分ひとりで、自分は「存在」しない。
他者の中で、僕たちは生きている・・・・。(犬飼ユウ、やっぱ天才やなあ・・・。←ww)
・・・・。
・・・・。
・・・・。
あ~あ
明日からまた、忙しくなりそう。
明日から色々、「予定」を入れている。
ワクワクもするし、不安も多い。
「対人」のスキルは、対人をしている時しか上がらない。
「コミュニケーションスキル」は、コミュニケーションしている時に気づき、改善していくしかない。
ひとりの時にどう対策しようにも、意味がないというか・・・。
「誰か」があって、コミュニケーション能力の上達は進んで行く気がする。
だからやっぱり、出会わなきゃ。
出会って、空気を感じ取り、会話をしていかなきゃ。
足りない。
犬飼ユウは、それが圧倒的に足りない。
だから、増やしていく。
天才に足りないものを、天使たちから学び行く。←www
というか、どうなんだろ・・・。
僕の場合の話だけど、若い子と話した方が、素直に学べる。
若い子って、何でいいんだろ?←wwwwwwwwww
僕の現状、女子大生ぐらいの年齢の女の子と喋っている方が、楽しい。←www
24歳とかになってくると、やっぱ、世の中を知っちゃうというか、世の中に染まっちゃうというか。
めっちゃ炎上しそうなことを書くけど、『目が違う』よね、何か。←wwww
うん。
確実に。
あっ、そっか。
やっぱ、目だわ。
女子大生ぐらいの女の子って、やっぱ、「瞳」が美しいんだ。
何かすごい、「キラキラ」してね?←www
何かさ、すごく、彼女たちの瞳って、『永遠』を感じるんだよね。
僕もまた、自分が20歳頃の自分が、一番好きだったから。
だから、女子大生ぐらいの子に、僕は惹かれるのかも。
あの時の自分が知りたくて。
あの時の自分が恋しくて。
20歳ぐらいの女性に、僕は惹かれているのかもしれない。
これ、もしかしたら、すごく「真理なこと」を言うかもしれないけどさ、『自分がこれから何をしたらいいのか分からないとか言っている20歳ぐらいの女性って、すごく、「久遠」じゃね?』
夢に向かって頑張っている20歳の女性より、分からないと言っている20歳の女性の方が、僕は惹かれているのかも。
未来が定まっていないからこそ、そこに「永遠」を感じるというか。
『何者でも無い美しさ』が、そこにあるというか。
ああ、そうだ・・・。
僕が惹かれているのは、そういう部分なんだ。
「何も無い女性」に、僕は惹かれているんだ。
何も無くても、とても満たされている女性に、僕は惹かれ、そして、「嫉妬」しているんだ。
僕にはもう2度と、その時期は訪れないから。
何者でも無い時期は、僕は終わってしまったから。
ああ。
ああ。
ああ・・・・・。
儚(はかな)しい・・・。←儚い+悲しい。僕の大好きな言葉。僕が追い求めている言葉
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・・・・。
そこに、惹かれているんだ。
そこを、僕は美しいと思っているんだ。
なるほどね・・・。
おもしれーな、やっぱ、出会う事って。
こういう「発見」が、あるから。
ふう・・・。
楽しい。←wwwwww