5月2日「羨ましいの原理。」

だいぶ伝わりづらいけど思っていること書く。

・・・。

5月2日土曜日。

GW初日。

時刻は午後8時。

「羨ましい」、という感覚について。

これは結構、面白い感覚で。

誰かに対して自分では出来ていないことをやっている人に対して羨ましい、と思うのだけれど、その羨ましいという気持ちの構造は、いささか複雑である。←www

羨ましい、という感情において、そこに実はその羨ましいと思う他者はいないのである。←ww

というか、その羨ましい他者を自分が「見る」ことで初めて他者は存在し、また羨ましい、という気持ちも生まれる。

自分が呑まれているのは、その他者の存在というよりは、他者を羨む心の「残像」の問題である。

つまり自分はあまり、他者を羨ましく思っていない。

他者を羨ましく思う自分を、ある意味羨ましく思っているのだ。←www

他者に出会わなければ、羨ましいという感情さえ出てこない。

また、羨ましい他者を現実に自分がなりたいとも思っていない。

自分の一部が、羨ましい他者になりたいと思っているのであって、あくまで自分はあまり変えたくはない。

羨ましいと思っても、自分がその他者になりたいわけではない。

どちらかというと、羨ましいと思いたいだけが強いと思う。

本当にその人のようになりたいと思ったら、羨ましいと思わずとも、勝手に身体がそう行動している。

羨ましいと思う人は、今にそこそこ満足していて、あまり変わりたくないのだ。

羨ましさを越えたら、羨ましさは消えている。

新しい自分に向かっている時は、他人なんて気にする余裕はなく、頭の中は自分だけだ。

だから、羨ましいと思っている人はただ、羨ましいと思いたいだけだ。

変わりたい人は変わろうとしている。

羨ましいと思う人は、変わらない幸せを楽しんでいる。

そんな感じだ。

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