「占いについての、自分の見解。」
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12月5日土曜日。時刻は午後7時半。
たぶん、この件については述べていないと思うので、述べておく。
結論から言うと、「半分信じて半分信じていない状態」。
もう少し正確に言うと、「理論上は信じているが、どうしようもない」というのが僕の考えである。
僕がこの世の中で一番信じているのは「数字」である。(詳しく説明すると長くなるが、僕はこの世で一番美しいものも「数字」であると思っている。数字こそが唯一人が・・・、何だろう・・「依れるもの」であり、それ以外の「虚構」にすぎないと思っている。まあ、数字自体も虚構なるものなのだが、数字は虚構として成立している、と述べるのが正解か。←ww。ちなみに数字の次に信頼出来るのは「言葉」だけれど、みなさんも知っているように言葉なんて嘘なるもの、でしょ。だから消去法で数字しか僕たちは頼れない、感じ。今度詳しく「数字とは何か」について自分の見解を述べようと思う。)
占いというのはいわば、「数字の寄せ集め」、つまり「データ」であるとたぶん僕は思っている。
つまり例えば漫画のテニスの王子様で例えるとあのメガネのキャラみたいな。←ww。
野球で例えると、日本シリーズで第1戦勝った方が有利とか、そういう過去に基づいて今回を推論する感じ。
占いとはデータ。
占いとは今までの歴史でかき集めた、統計学であると僕は思っていて、だからそれは「正しい」と思う。
しかし、結局データはデータである。
結局僕たちは誰も、「未来」なんて見えやしない。(まあ、そこが面白いところなんだけど。)
だから、僕は一応「石井ゆかり」さんの占いが好きで毎週見ているのだけれど、占いを見たところで見ていないところで、僕たちの人生は変えられないと思う。
どうあがいても、そのようになってしまうというのが僕の未来に対する見解である。
占いで未来は読めない。
何となく、こんな感じでは?というのはデータで分かるのだけれど、いざその未来が今にやってきて即時的に「対応」は、占いを見ていようが見ていないが、どちらにせよ出来ないのだ。
じゃあ、何故占いはいいかというと、何か「安心」するから。
それはある程度未来に対するデータがあることで、こんな風になりますよと言われたら、それに対しての心の余裕というか、未来にに対して「向かい合う」、もしくは未来が「在る」ことを、感じさせてくれる。
アニメとかドラマで例えるなら、時間の最後に「次回予告」がある感じ。
「次回予告」って、いいよね。
また、「次回予告」ってもしかしたら、実際の来週の本編より、ドキドキワクワクさせられる気がする。
そうなんだよねえ~~。←ww。
そこが、すごくポイントだと僕は思う。
「次回予告」によって、来週のアニメやドラマを想像させてくれるというか、『楽しみを未来に感じさせてくれる。』
それが「数字」の最大長所であったり、また占いの長所であったりする。
次回予告を見ても見なくても、来週の本編はやってくる。
しかしあることで、何か来週までの一週間が満たされるような・・。
それが、ポイントなんよ。
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