「最近の思ったこと色々」
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12月29日火曜日。時刻は午前11時。
「年末年始、はじまる」。
嬉しい。
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「結局人が集まるとか、人が成功するとかって、「俗の力」が大きいのではという話。」
俗というと、それをマイナスで捉えているけれど。
でも俗って結局、人間の本質な訳で。
結局人が依るのは俗だと思う。
つまり、きれいごとではないよねっていう話。
しかし俗は人の本質的な部分だから、汚いというのではなく、そうあるのが正しいという話。
例えばの話、「福山雅治」というアーティストがいて、彼は長年未婚であったが、結婚した途端女性人気がなくなったというか、うん、以前よりは絶大ではなくなった。
それはやはり、世の中の福山雅治に恋していた女性が冷めてしまったということだろう。
可能性がほぼないにせよ、福山雅治が結婚していなかったら自分が彼と結ばれるという「俗なる思い」があって、それがあってそれまでの福山雅治の人気があった。
しかし結婚してしまいその俗なる願いが叶わなくなって、彼を以前よりは熱中して見ることはなくなった。
だから、どちらかというと福山雅治の人間的本質的美しさに惹かれたとかではなく、それぞれの女性ファンの頭の中の彼と自分との「俗なる妄想」が、今までの彼の人気を保っていたのだ。
僕は、一般的に言われる美しさというのをあまり信じていない。(ここら辺、説明下手で申し訳ないけど、もうちょっと僕に説明能力があれば・・・。)
結局僕たちはみんな、「俗」であると思う。
例えば、ツイッターとか見てると、多くの人が自分は美しい言説を言っている、と自己主張することが多い。
しかしそれらも結局、自分を守るための言説であり、結局僕たちはみんな自分第一であるのだ。
だから、自分にとってはそれは美しいかもしれないけれど、他人から見ればそれは美しくないことが多い。
俗の主張、みたいな。
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と、ここまで俗というのをマイナス的に捉えているけど、それはそうではなくて。
その俗なる人間に本質を踏まえたうえで、「人の流れ」を見ると、それは美しく思える。(説明足りないぞ。)
俗である自分たちに気づくことで、哀れな自分たちがある意味「愛おしく」見える感じ。
出来の悪い子供とか、アホっぽいペットが可愛いように。
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「ホモサピエンス全史?で述べてたけど、人は「フィクション」を信じる力があったことでここまで進化できたっていうのが、すごく腑におちてよかった」
だいぶ前に録画したNHKBSのドキュメンタリー番組の冒頭で、上記のようなことを述べていて、やっぱり「虚構」こそが人を人たらしめたのだと改めて認識出来て、安心した。
やっぱ、そこなんだ。
また、会社という組織もまた国家も、そういう「フィクション」によって存在しうるという説明も、納得出来た。
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「通勤の車の時間が今の僕を形成したのではないか、という仮説。」
ここまで書いて疲れたので、これはまた今度書くかも。
でもこの仮説は最近すごく感じていて、あの車の中の毎日の、一人の時間が今の僕を形成したのではないかと強く思う。(このことは以前にも少し述べたけれど。)
車の中の時間って、何か不思議なんだよな、エアポケットに入ったような。
そこら辺、いずれ詳しく述べようかなと。
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