「一番の敵というか、僕たちが怖がっていたのは「社会」なんだなと、今日改めて思ったし、そこら辺が僕たちが「働く理由」なのかもしれない。昨日の話の続きみたいな」
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1月19日火曜日。時刻は午後7時。
昨日の話の続き。
「社会」だなと、今日働いて改めて思った。
また、こうした気づきを僕は、勤務中にメモしておいて、こうして家に帰って来てからメモみてこれ書いている。
だから、働くことで「自己肯定感」が得られるんだ。
社会の中で働くことで、自分が認められたような気がして、(社会)に自分の居場所があるような気がして、だから働くんだ。
最大の僕たちの恐怖であり「社会」に唯一対抗出来るのが、自分もまたその社会側に加わる、社会参加することでまるで大波のように感じていた社会に対する怖さを払拭できる。
社会=多くの人で成り立っているもの。多くの人が働くことで成り立っているもの。水道とか電気とか「インフラ」が一番分かりやすいのかもしれない。
社会。
自分の頭の中のもやもや、何か働いていない時に自分を否定してくるようなものの存在はそれだったんだなって、今日改めて気付けた。
へえ・・・・。
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色々、難しいね。
また、それと同時に分かるのは、それ故に、働く年齢でないもの、まだ社会に参加出来ていないものとして、「学生」という存在の特異さを改めて感じる。
だから、学生というのは「イキる」というか、自分の存在が空っぽなのにどうしようもないから、わざとはしゃいだり無神経なことをしたりミュータントに振舞ったりするのか。
つまり、自分が社会的に存在していないから、めちゃくちゃ不安で、怖くて、自分の存在を知って欲しくて、イキるのかあ・・・。
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認められたいんだな、人とは違うアピールをして。
彼らにとってみれば世界とは周りの友達とか仮想空間(ネット)ぐらいしかなくて、それ以外を知らないから、そこを居場所とするしかないから、虚無な自分に耐えられなくて暴走ぎみになるんだなあ・・・。
そう考えるとやっぱり、「社会」って強いし、ラスボスだなと思う。
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話変わって。
今の部活の運営を僕は出来るだけ「企業的」・「会社運営的」にやろうとしてるけど、それは何故かについて再考する。
まあ、簡潔に言うとそうした方が安定的に継続出来そうだからだと思う。
個人、つまり僕を前面に出すとさ、そりゃあ、意識が強くなるじゃん。
例えば馬鹿にされたら猛烈に怒ったり、感情をあらわに出してしまうじゃん。
でも、それってあまり意味ないよねというか、他人をあまり気にかけてないよねって。
「会社」というものを見ると、例えば自分が働いて自分に非がなくても謝罪しないといけなかったり、めちゃムカつくお客であっても丁寧に扱わなければいけない。
それが会社の利益であり、また自分が社会的に利益になるから。
自分を出す必要はない。
会社の中では、自分の「ロール」だけをこなせばよく、自分を出す必要はない。
「歯車的役割」を受けいれて、かと言って何だろう・・・、だからといって別に「機械」になるわけではなく、例えばお客に変なクレームを受けてお客がいるところだと謝罪とかするけど、お客が帰ったら同僚とそのお客を茶化したり。あいつないよねって言い合ったり。
お客相手には自分の会社の信用を落とさないようちゃんと振舞って、別に「個」は捨ててない。
ある意味「演技」というか、上手く「表」と「裏」を使い分けることで、会社を社会的に存続させることで、自身も社会的に存続させる。
だから、それはネットでも同じで、自分を出すのはしんどいというか、必ず「暴走」してしまうから、出来るだけ「会社的に」しておいた方が冷静でいられる?(と言ってもあくまで形式上で、時に我が出て暴走してしまうと思うけど。)
我を出しても、意味がないというか、社会的にはそこはいらない、のではないか、と思う。
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