2月4日「日々徒然。コロナで感じた働くということ。」

おはおは。

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2月4日木曜日。時刻は午前8時。

水曜、仕事があって会社に行かなくちゃならなくて、だから今週は木曜が休みです。

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最近、というか昨日思ったこと。

「どの業界でも、永遠に繁栄というのはないなと、ようやく昨日自分の会社の実態?を知ることで痛感した」

別にすぐに、影響が出る事実ではないけれど。

だけど、結局今回のコロナで分かるように、いい意味でも悪い意味でも世界が繋がっちゃっているというか、日本だけでなく「他国の動向」で、商売にも大きな変化を起こしているなと。

それは僕が働く業界でも変わらない。

というか、例えば、飲食業界でもそうだ。

その扱う食材が国内だけでまかなっている所なんて少なくて、海外から原材料を輸入してやってたり。

今のままがずっと続くなんてないんだなっていうのを、今回のコロナで改めて感じる。

現在日本で例えば緊急事態宣言でたりテレワーク推奨したりするように、外国でも色々制限を設けることで製品の生産も制限されて、それで例えば「品薄」状況になったり。

今当たり前に自分の前に届く商品やプロダクトが当たり前に届く状況が、当たり前ではなかったんだなと、改めてしみじみと感じた。

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その上で思うのは、やっぱ「商売」って難しいな、大変だなという思いと、あまり深入りするのも、自分の人生にとってプラスではないなと。

おそらく僕たちの前の世代の人は多く仕事に自分のアイデンティティーを求めたり、会社で働くことが自分の「居場所」としていたのだけれど、それって結構辛いよなと思った。

何故ならその評価(≒ちゃんと儲かる。またちゃんと成績を上げる)というのが、自分の力どうこうはまあまあ少なくて、「外的要因(≒海外の情勢とか。)」に大きく作用されたりするから。

自分の力ではどうにも出来ないことがあるっていうのを、今回のコロナしかし、働くことでその働くということについてすごく感じている。

「評価」。

その問いが結構重要で。

働けば働くほど、その働くとは現環境、つまり外的要因に多く支えられているなあと、すごく感じている。

また、その働くということや会社から唯一逃れられる・対抗出来るものと言えばやはり「お金」であり、こうしてコロナによって社会や世界が不安定になるなか、お金のありがたさやその安定さ(自分の心を安定させてくれるという意味)を改めて感じている。

ある意味、お金ぐらいしか自分の心を安定させてくれるものはないというか。

今の現代資本主義社会に大きく加わるのならば、それだけが唯一、自分を守り、また今の自分が自分であるような気がする。(だからある意味、一番自己肯定感与えてくれるのって、お金ではないかと思っている。)

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まあ、だから、ある意味今回のコロナがいいきっかけになったというか、自分の会社もまだ今は何とかやれているけれど、それでもやはり景気が良くないことに変わりなく、だからあんまり会社に「依る」のも考え物だよなあと改めて思った。(精神的にすごく疲れるし、また世界情勢など外的要因に多く縛られていて、自分の力でどうにか出来ることではないことが多い。)

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でも、それがまあ、「社会」であり「世界」であり、そういうことを学べるのが働くことであり会社だよなあと思った。

その辺りの自分個人と、会社に属している時の公?の自分の「切り離し?」というか、「切り替え」を上手くやっていきたいなと思った。

公の自分はあくまで「仮の自分」であり、やはり一番大切にすべきなのは「個の自分」、働いていない時の自分である、と。

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そんな感じで、今日は個人番号取りに市役所に行く予定。

疲れた。←ww

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