3月12日「最近スティーブジョブスに興味が湧いている。(今さら?←ww)」

「最近スティーブジョブスに興味が湧いている。(今さら?←ww)」

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3月12日金曜日。時刻は午後9時。

きっかけはヤマザキマリのスティーブジョブスの自伝漫画であったり、またそれに次ぐ「スティーブス」というこれまたスティーブジョブスの自伝を描いた漫画であったり。

そもそも、「インターネット」とかも、彼らから始まっていて。

僕の性癖というのは、「俯瞰」することであり、この僕たちが日常的に使っているこのインターネットすら、当たり前のものではなく、主にマックとウィンドウズによって作られたものだと。

当たり前にあるものも、結構最近の歴史であると。

僕は、物事の中心とか中央にいるのではなく、物事から少し離れていたい人だ(≒俯瞰が性癖)

だから、ジョブスを知るというよりは、この今の現代世界を創ったジョブスに興味があるというか・・。

基本的にインターネットが好きだけど、それは当たり前の世界ではなく、彼らによって作られたものだ。

僕たちはその「箱の中」にいるにすぎない。

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だからある意味、インターネットに残るすべてのものが、すごく「アホっぽい」というか、「虚無的」に感じられる。

いわば他人(ジョブスとかビルゲイツとか)によって生み出された「遊び場(公園とか)」であり、その空間というのはある意味、自分たちのものではない。(と言っても、ジョブスとかビルゲイツのものでもないけれど)

現実的な自分の部屋と違って、誰しもがそこにいるというようなインターネットの世界は、それはやはりシリアルエクスペリエんつレイン?が表現したような、一種の怖さを感じる場所だと感じる。(それ(インターネットの世界)が生み出されたのもつい最近の出来事。ジョブスやビルゲイツがパーソナルコンピューターを生み出してのち。)

「インターネットの世界」が気になって、それを形成したジョブスとかが気になる。

僕たちはここ(インターネットの世界)に、何を求めているのだろうか。

何か僕たちはこの世界(インターネットの世界)を、勘違いしている気がする。

インターネットに出会ったのは、中学1年か2年の頃だった。

確か親にノートパソコンを買ってもらったような気がする。

だから、まあまあ子供の頃からインターネットの世界が当たり前だった。(綿矢りさの「インストール」という小説が発表されたのもこの頃)

インターネットがある世界を当たり前になってしまっている自分は、インターネットを見落としている気がする。

当たり前ではないから、インターネットは。

「造られた」、そしてまだ「過程の中」のものだから、インターネットは。

だから、これはある程度把握しているけど、インターネットの中に「すべて」を求めてはダメだと思う。(かと言ってもう、僕的に、インターネット以外に僕が一番あるところはないのかもしれないと思う。というか、このブログな。)

ティーブジョブスに興味が湧いてきたというのは、そういう、インターネットを当たり前に思いたくない自分がいるからだと思う。

ティーブジョブスに興味が湧くことで、彼のヒストリーなどを眺めることで、インターネット以前であったり、スマフォ以前の世界をもう一度認識したい思いが強いんだと思う。

ああ、もうあまりスティーブジョブスになんてあんまみんな話してないけど。

ティーブジョブスについて、僕は今、結構知りたい。

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