4月25日「それでも無である僕。自分にとって本当の本質さ。」

「それでも無である僕。自分にとって本当の本質さ。」

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4月25日日曜日。時刻は午後2時。

昨日かその前、僕にとって本質的に「部活」が最も優先すべきものであると述べたけれど、それもまあ、「無の次」にやりたいことであって、本当の自分にとっての「根源」みたいなところは、僕は「無」だと思っている。

その無について、好きなところでもあるし、また嫌いなところでもあり。

どうなりたいとか、無を避けたいとか無から逃れたいとはそれほど思ってないけど、現状の、ちょっと無に近づきすぎている状態は、少し距離を置きたいなと思っている。

それを本質的に解決できるのが、「部活」ではないかと思っていて、だから部活を重視している。

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結局、自分が何をしたいのか・何をやりたいのか・どんな景色を見たいのか、それは、あって、無いような気がしてならない。

何もしなくていい自分の現状に対して特に不満を持っていないし、また特に何か、今を変えてやりたいこともない。

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「変化」は望んでいるのは確かなのだけれど、それは微々たる、いや年月をかけて少しずつ起こしていく変化であって、日常の8割ほどは満足している自分なのかもしれない。

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だから、ある意味、僕は、「無」な状態の自分をまずは「愛したい」と思うし、またそれを「(他者から)理解されたい」と思っているのだと思う。

無を理解って・・・(笑)。

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とりあえず、今日も疲れている。

特に何も、してないのだけれど。

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