「家(部屋)について。時間と空間に関わる話。」
はあ・・・・。
寒い・・・。
・・・・。
10月17日日曜日。時刻は午後5時。
半年ぐらい前に、このブログ内で僕理論の「時間と空間」について幾度も述べたのだけれど、何かさっき、ふと家(部屋)とは何かを考えていて、こうしてまたブログを書くことで言語化しておこうかなと。
「想う」、つまり自分が何を思うか、その「思考の動き」を僕は結構敏感に注目・観察していて、その中でその思考の動き・思考回路を作るものは「時間と空間」であり、その空間の中でおそらく僕たちが一番時間を割いているであろう家の中であったり、自分の部屋であったり、だからこそ、自分の家や部屋がどういった空間であるかが、自分の思考形成において重要になってくる、という話。
だからこそ僕が20代後半、働き始めて数年たって、ある程度社会との関わりの中で自分人格形成をしていく中で、一番無意識にやっていった行動は「部屋の整理」であったり、部屋に「本棚」を作りそこに買ってみたい本を置いていく、というものだった。
自分の思考を形成させているのは自分が多く身を置いている(時間をかけている)空間であり、それは自分の家や部屋。
空間こそ、人の思考を作り人を作る。
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例えば、何か最近よく思い出すのは、僕は大学に行ったとき、それは東京にある大学で、はじめての一人暮らしだったのだけれど、その時今の一軒家の実家ではなく、マンション的なところに住んでいたのだけれど、そのマンションがすごく苦痛だったというか、おそらく僕にはマンション的な空間で生活するのは難しいのでは、とその時感じた。
まあ、その後すぐに病気関連で実家に帰っていったのだけれど。
何だろうな、説明しづらいのだけれど。
空間的に、僕は想像してしまうというか・・・。
例えば上に住んでいる人とか、自分を遠くから俯瞰して、全くの他人が上の階や隣の部屋や下の階にいることを想像してしまって、気持ち悪くなるというか、自分の思考を阻害される感じ。
どうなんだろう・・・、上に人が同じように生活してるの想像したら、寝にくくね?
まあそれ言ったら、旅行とかでホテルとか旅館もそうだといけるど、旅行とかだとあんま気にならんよね、あんま経験ないけど。
マンションとかだと、生活を感じるからなのか・・・。
またもっと大きな話をすると、都市的空間、例えば今だと僕は名古屋という都市に属しているが、例えば東京だと東京という都市空間に属していて、その都市空間だとさ、例えばテレビの中の人もおそらく多く生活していたりするじゃん、もしくはアド街とかで都市ごとに生活している人が特集されている人いるじゃん。
ああいうのを、東京に住んでいる場合僕は多く想像してしまって、その気持ち悪さがあって、東京で生活するの難しいかなと感じていた。
(実家に帰った理由は病気なのだけれど。病気関係なく僕は東京で生活するのは難しかったと思う。)
繊細、とも違うと思う。
想像してしまうというか、広い範囲で自分を捉えようとして、そうするとその広い範囲で雑多な人が多くいて、うるさいというか、想像してしまって、自分の思考パーソナル空間を阻害される感じ。
・・・・・。
・・・・・。
久々に、今日書いてるな。
季節的に節目なのか、寒くなると吐き出しやすくなるのか・・・・。
暑いと、出にくいのか。
好きじゃないけどな、今日の寒さは。
嫌だけどな。
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・・・・。
はあ・・・。
・・・・。