10月23日その4「自分の救い方(静の行動編)。」

はわわ~~。

10月23日水曜日。時刻は午後8時過ぎ。

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「救い方」、について、語ろうか。

救い方。

それは、自分自身の、救い方。

これまでこのブログの中で、僕自身を殺さないために、僕自身を救うために、僕は「旅と女」を今、求めていると書いたけれど。

それは僕の行動の中の、あかまで「動の動き」だ。

動の動き。

・・・。

「行動」とは、動だけではない。

動と同じくして、「静の動き」が必要になる。

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二つを並行してやっていくというか、ドラクエとかFFとか、ゲームのRPGの世界もそうでしょ。

「武器」だけでは、世界は救えない。

「攻撃力」だけでは、モンスターはやっつけられない。

「防具」が必要。

「守備力」が必要。

静と動。

攻と守。

世界を救うには・自分自身を守るには、二つの「行動」が必要。

攻めて、守る。

守って、攻める。

攻めとは、世界を広げること。

それによって、自分を知る。

守りとは、今の自分を保つこと。

一度世界と「遮断」して、世界唯一である、自分という存在を「保護」すること。

攻めと守り。

動の行動と静の行動。

僕は、この二つを実践している。(まあ、生きている人、みんなそうなのだけれど。)

動に関しての今のメインは、「旅と女」。(これ以外もたくさんあるけど、そこ語り始めたら長くなるので今は割愛。)

静とは。

具体的に、静の行動とは、何か。

それはまあ、簡単に言えば、『休むこと』。(←それなー)

最大にして最強の静の行動。

ゲームのRPGで言えば、「宿に泊まる」感じか。

防具よりなにより、寝る。

いわば、「暗闇に還る」。

孤独に還る。

ひとりに還る。

それが、静の行動の中で最強の行動。

気持ち良く眠ることが出来れば、それだけでまあまあ幸せ。

だから、安心できる自分の部屋というのが、生きるうえで一番必要。

最強の静の行動を可能にするのが、自宅だから。

逆に言えば、自分の家に居場所がない人は、『死にやすい』。

自分を休めることが出来ないのだから。

基本的な静の行動が出来ないのだから。

世界で一番の静の行動が不可能なのだから。

自分の家に居場所がない人が、一番死にやすい。

ゲームオーバーになりやすい。

だから、僕が生きる上で、一番重要視しているのがそこであり。

自分の家の自分の部屋が、今の俺を一番『救っている』。

この空間が、一番、俺を「肯定」してくれている。

一番「否定」から、遠ざけてくれている。

だから、何より、そこを掴め。

まずは「誰にも否定されない住む場所」を確保して。

そこからは実際、『自由』なのだから。

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だからこそ僕は、東京にある大学に行きたかった。

東京にある大学に行きたかったというより、名古屋を離れたかった。

地元を離れたかった。

親から離れたかった。

名古屋や地元や親にめちゃくちゃ嫌な思い出があったりとか、したわけではない。(でもどちらかというと、嫌かな。)

あの頃の僕にとって、そこは居場所ではなかったから。

18才ぐらいの僕にとって、地元はどこか、『気持ち悪かった』から。

うん。

その気持ち悪さの正体は、よく、分からない。

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何か、う~~ん、『狭すぎる世界』に、僕は怯えていたのだろう。

止まることがない日常の繰り返しに、ただただ「吐き気」を感じていたのだろう。

(失笑)。

(温まい眼差し。)←www

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・・・・・。

僕は、何がしたいのか。

僕は、何を求めているのか。

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(自分自身を回想中。自分の過去を振り返り中。)

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居場所。

居場所とは、何だろう。

自分が否定されない場所とは、どこなのだろう。

それまでの自分が、嫌だったから?

嫌・・・、というより・・・・。

分からなかったから。

ずっと地元にいてしまうと、自分がどんどん分からなくなってしまっていたから。

その想いが、「反抗期」の時に目覚めて。

だから、僕は、中学2年生ぐらいに反抗期を迎えた後。

その後、高校3年生になるまで、反抗期が終わった『フリ』をしていた。

うん。

反抗期に感じた想いは、間違っていなかった。

でも、その想いを大学生になるまでは「実現」出来ないと思ったから。

だから、中学2年から大学生になるまで、僕は自分を『隠していた』。

死なないために。

自分を、殺さないために。

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同じ「空間」に居続けたら、自分を殺す。

ずっと地元にい続けていたら、僕は僕でなくなってしまう。

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僕は何を、したいのか。

僕は何を、求めているのか・・・・。

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すごく、僕の感覚的な話をすれば、『思考を解放させていたい』。

心を風通しよくさせておきたい。

ずっと思考を、展開させていたい。

同じ場所にずっといると、『心が濁る』。

価値観が停滞する。

想いが凝り固まってしまう。

つまらない人間になってしまう。

柔軟性のない人間になってしまう。

固定概念にずっと縛られた人間になってしまう。

つまらない他人の人生にあれこれ言って、自分の人生は何も無い、愚かで醜い人間になってしまう。

僕は、それを一番、避けているのかもしれない。

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僕は、僕で考えたい。

気楽に気長に、生きるを謳歌したい。

『狭い』ということが、割と「最悪」なのだ。

「つまらない繰り返しの日常」というのが、めちゃくちゃ「嫌い」なのだ。

ある意味僕は、「ずっと子供」なのかもしれない。

でも、そういう自分が、一番好きだから。

そういう自分を殺さないために、僕は生きているのかもしれない。

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何か、だいぶ話が逸れてしまった気が・・・。

自分を守るために・自分を救うために、まずは自分を否定されない家を・部屋を確保すること。

これが、最大にして最強の「静の行動」。

そのために、僕たちは働いたり。

安心できる家に帰るために、嫌々ながらも、家の外に出て、働いている。

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安心出来る家を確保したら、次の「静なる行動」は、その家の自分の部屋を、自分の「好きなもので埋める」こと。

自分の部屋という空間に、自分の「アイデンティティー」を詰め込む。

好き。

その気持ちは僕たちに、最高にして唯一の「幸福」を与える。

僕たちが僕たちであるために。

私たちが私たちであるために。

自分は何に興味を持っているか

自分は何が好きなのか。

自分は何に触れていると、心をドキドキさせることが出来るのか。

自分は何に触れていると、少年少女に戻ることが出来るのか。

ドキドキ。

ワクワク。

好き。

大好き。

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「幼い時の記憶」というのが、重要だと思う。

幼い時に感じた「新世界との接触の時に感じた果てしない自由さ」が、大人になった僕たちに未だ生きることを要求しているから。

あの時に還りたくて、未だ生きているような。

幼い時に感じた、未知なるものとの接触で感じた、「世界とは何か」・「自分とは何か」という感覚が、まだ僕たちを今に生かしているから。

自分は、何が好きなのか。

自分は、何に興味を持っているか・持っていたのか。

何を知りたいのか。

何に触れたいのか。

誰と会いたいのか。

そういう意志を、自分の部屋に詰め込む。

好きなミュージシャンのCDを置いたり(今だとCDじゃなくて、スマフォとかPCの中にあるか)。

好きなぬいぐるみを置いたり、好きな漫画を置いたり。

好きな人が出ているDVDを置いたり。好きな服を置いたり。好きなポスターを貼ったり。

自分の「好き」を自分の部屋に敷き詰めていくことで、自分を構成・形成させていく。

安心させていく。

好きなものを自分の部屋に置くことで、何か好きなものがある自分を愛していく。

「好き」がないと、始まらない。

もう世の中に興味があるものが見つけられなくなったら、それはもう、死ぬしかない。

それぐらい、「好き」という感情は僕たちは生きていく上で重要。

何かを愛すことで、僕たちは自分を愛すことが出来るから。

愛すべき対象の中に、僕たちは自己を見いだせる。

自分の部屋に自分の好きなものを置くことで、自分自身を「可視化・拡大化」する感じ。

自分の部屋に自分の好きなものを置くことで、自分の脳を、「可視化・拡大化」する感じ。

自分の部屋に自分の好きなものを置くことで、自分の愛を、「可視化・拡大化」する感じ。

僕たちは、僕たちをあまり理解していないのだから。

自分を理解することで、僕たちは自分を認めていく。

愛すべき対象を見つけ、近くに置くことで、僕たちは自己を容認していく。

愛は連鎖する。←www

否定もまた、連鎖する。

否定から逃れるために、出来るだけ愛を連鎖していく。

だからまずは、安心すべき居場所を作ることが、一番の自分の救い方。

動の行動を起こすためには、まずは静の行動が必要。

静の行動を起こすために、僕たちは仕方なく働いたりしている。

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ちょっともう少し詳しくというか、「静の行動」のさらなる具体的な実践を書くと。

自分の部屋というのが、一番安心出来る訳じゃん。

家の外は、自分を否定するもので溢れているのだから。

だから、自分の部屋の中でより自分を安心させるためには、『物理的に』、自分を外部から遮断した方がいい。

これの具体策を言うと、僕たちはおそらく、普段からやっているのだけれど。

それの一番の具体策は、『布団に籠ること』。

つまり、身体を完全に、外から遮断する。(物理的に)。

僕たちの「肌」を、社会や世の中から「分断」する。

精神を作るには、まずは物理的に。(←それなー。)

僕たちの精神は、主に物理的要因から成り立っている。

世の中や社会から否定を感じているのであれば、ずっと布団に籠っていればいい。(ちょっと暴論かな。)

自分の身体を、世の中から距離を置く。

隠す。

自分の身体を、世の中と一線をかす。(一線をかすっていう言葉って、この使い方であっているっけ?)

まあこれは、普通な僕たちでも、割と日常的にやっているのだけれど。

布団は僕たちを温めるために使われる面が大きいが、それと同時に、世界と遮断する面もかなり大きい。

僕たちはもともと、「ひとり」であり、これからも永遠に「ひとり」なのだから。

世界とは僕たちでしかない。

この世界を作っているのは、僕たちひとりひとりでしかない。

僕たちは、自分でしか、この世界を作れない。

君がまだ生きているのは、君自身がまだ、生きたいと思っているからでしかない。

それ以外は、ない。

この世界は、君以外は、『いない』。(←暴論だけど真理。)

ひとりに戻るために、僕たちは布団で身を隠す。(まるで生まれる前の母のお腹の中にいるように。)

僕たちは常に、ひとりとひとりじゃないを繰り返している。

動の行動(≒ひとりじゃないを知る)を起こすには、静の行動(≒ひとりである)が必要。

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・・・・・。

布団で身を隠す以外の身体的・物理的に世の中・社会と遮断して本来のひとりになる実践方法は、まだたくさんあるけど。

僕がしている方法としては、『アイマスク』をして、眠るとか。

他には、これは部屋以外の場所でも出来るのだけれど、「防音イヤーマフ」をしたりとか。

他には、家の外で世の中・社会から遮断する方法としては、ヘッドフォンをして、好きな音楽を聴くとか。

目と、耳な。(←それなー)

そこが、情報が入りやすいから。

そこから、世の中や社会は僕たちに攻撃してきやすいから。

そこを、防ぐ。

そこを、遮断する。

完全にひとりになるために。

完全にひとりに還るために。

ひとりになることで、自分を「リセット」する。

ひとりに戻ることで、自分が本来、何をしたかったのかを思い出せる。

静と動。

攻撃と防御。

静の行動と動の行動。

その2つを駆使して、僕たちは生きる。

その2つを駆使して、僕たちは生きるかどうか、迷い続ける。

答えは無い。

それは変わらない。

だけど、一つの答えに滞らないようにする。

一つの正解に、縛られないようにする。

日々、変わっていくから。

同じ日はない。

同じ君は、一秒たりともここにいない。

自分が変わり続けているように。

世界もまた、変わり続けている。

世界が変わり続けているように。

僕たちもまた、変わり続けている。

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疲れた。

射精するか。←www

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まだまだ、書きたいことはあるけれど。(てか、昨日の本田翼さんのイベントについて感想書けや。)

てか、このその4、めっちゃ書いたな。

5000文字(笑)。

疲れた。

射精したい。←ww

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ふう・・・。

・・・・・。

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書けたら、その5を書く。

てか、本田翼さんのイベントに行った時の写真、先にあげようか・・・・。

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とりあえず、風呂入った後、FANZA使って射精すると思う(射精報告)。

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んじゃ、とりあえずおやすみ~~。

あったかくして、ねろよ~~(CV上田晋也)←ww

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おやすみっ!

・・・・・。

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