8月13日その3「裸の自分。何者。(大阪・兵庫旅行2日目)」

死ねは飽きた。←ww

本日3回目の登場、こんばんは。(さすがにこんばんはになった。もう23時なので。←w)

ゆうとかyuuとかううとか、主に犬飼ユウです、てへへ、にゃはは。

すげー暗い。

すげー、暗闇の中。

現在僕は、ビジネスホテルにいます。

現在僕は、大阪のとあるビジネスホテルにいて、部屋を少しだけ灯りをつけて、ノートパソコンの前に向かっています。

ベッドの上に座って、壁に背中をつけて、今この文章を書いています。

眠い。

このビジネスホテルには、午後4時ごろ帰ってきた。

帰ってきたっていうのは、昨日もここに泊まった。

本当は今日帰る予定だったのだけれど、色々予定が狂って、今日も泊まることになった。

午後4時から食料買いに行く以外、ほぼほぼ「暗闇時間」してた。

2時間ぐらいは寝てた。

それ以外はベッドに横になって、本当に両目を閉じてたり、はたまた薄めを開けながらテレビを見ていたり、はたまた持ってきたタブレットYOUTUBEから伊集院のラジオ聴いたり。

ほぼほぼ、日常の「暗闇時間」と同じことをしている。

僕は大阪でも、暗闇の住人だ。

それが、不思議と、「嬉しくも」思える。

耐えてる時は、ただただ死ねとか殺すとか思っているだけれども。

こうして、少し頭痛が収まって、平穏な僕が戻ってくると、大阪に来ても頭痛に苦しんでいる僕が、愛おしく思えてくる。

この頭痛が、今の僕のアイデンティティーになっている。

この頭痛が、まるで彼氏に暴力振るわれている彼女みたいに、この頭痛が、今の僕の心の支えになっている。

頭痛に身もだえ苦しみ、絶望し惨めになり死ねや殺すを想うことで、奇異にも自分がひどく「尊く」感じられる。

この頭痛によって、僕は不思議な「特別感」を感じている。

痛みの真っ最中は、ただただ辛い。

痛みの真っ最中は、本気でこの病気を恨むし、ひどく悲しくなったりする。

だけどこうして、頭痛が少し収まると、「恍惚」するというか。

だれもこの痛みを知らないだろうなと思うと、とても心地いい。

自分だけが感じられている「絶望」が。

自分だけが与えられている「孤独感」が。

とても僕の心を満たしていく。

不思議だ。

不幸せだけど、幸せだ。

・・・・。

今、僕は旅行中です。(何回目かの告白。)

昨日は万博記念公園

今日は甲子園。

甲子園と、それともう1箇所行こうと思っていたのだけれど、甲子園行っただけで、結構頭痛の痛さが限界まで達してしまい、家に帰ろうか少し迷った結果、もう1泊することになった。

2日も家を離れるなんて、いつぶりだろうか。

ねえ、いつぶり?(知らないだろうけど聞いてみた。)←ww

記憶にないかも。

てか、ひとりで旅行すら、ひどく稀だし。

あ、思い出したけど、それはここでは言えない。←ww

この話題は飛ばそう。

・・・・。

何か少し、この土地にも慣れた。←ww

何か少し、この大阪という土地にも慣れてきた。(というか半日以上、ホテルの中で過ごしてるけど。)

帰りたいは帰りたいけど。

でもぶっちゃけ、インターネットがあれば、ほぼ家と外泊中も同じだよね。

あ、そっかあ・・・・。

このインターネットが、あまり良くないのかもしれない。

でも、ないとほんとにやることないし、こうやって外泊中の想い残せないしなあ・・・。

でも、言ってみれば、やっぱり、インターネットに囚われているよなあ・・・。

・・・・。

う~ん、でも、インターネットがあればこその、このブログ的な僕が「成立」しているわけで。

インターネットがあって、この向こうに君がいることを想定することで、僕の想いは吐き出され、吐き出された結果、インターネット内に想いで固められた僕が作られていくわけで。

一番気持ちいいのは、やっぱり、インターネットがない世界だと僕は思う。

(そうするとインターネット内の僕が存在しないことになってしまうが。)

僕が、インターネットがない世界の方が、「射精」できる。

インターネットがあると、それはどこか、「嘘の射精」になってしまうような気がして。

インターネットがないと、僕の想いは、『孤独な空間』に宙ぶらりんになっている。

どこにもぶつけられない。

それゆえにその想いは、僕の中で何でも「反復」してゆく。

インターネットがないと、吐き出すことのできない僕の想いは僕の中で弾み、何度も僕にぶつかってゆく。

僕という存在が、溢れたい想いに飲み込まれてゆく。

吐き出す場所が無いと、想いがどんどん僕の中で大きくなってゆく。

その、自分の想いに飲み込まれてゆく「感覚」が、僕はたまらなく好きだ。

インターネットがあると、まるで誰かに操られるかのように、しょぼい自分の想いしか吐き出されていない。

僕は、もっと想っていたのに。

僕は、もっと大きくて壮大なことを想っていたのに。←ワナビーっぽいww。ワナビーって言葉、初めて使ったかも。にゃはは。

このブログの文章も同じだ。

本当は、もっと面白かったことを伝えたい。

本当は、もっと濃密であったことを君に伝えたい。

実際、僕はそう感じたのに。

それを初めて想った時、僕はとても気持ち良く「射精」出来たのに。

それが、こうやって実際に形にすると。

それが、こうやって僕のできる限りで何とか伝えようとすると。

全然、伝えられてない。

僕の、本当の「射精体験」を。

僕の、最初の想い体験を。

もっと、全宇宙的に。

もっと、莫大なる自己肯定的に。

僕は想ったのに。

その想いを形にすると、まるで「泡沫」になっていく・まるで「嘘の射精」になっていく。

違う。

まるで違う想い。

まるで別物のような想い。

自分の最初の想いは・自分の本当の想いは、もっと「自由」なのに。

それはまるで、寝る時に見る「夢」に似てる。

そうなんだ。

自分が感じるファーストな想いって、夢に似ているんだ。

不明瞭で、実態を隠しているようで。

だから、解釈に幅があって。

こうやって、文章という形で自分の想いをアウトプットすると、どうしても「違う」気がする。

自分の想いじゃない。

自分の想いとは少し違う・だいぶ違う。

すごく自分が「限定」されていく。

すごく自分が誰かに「固定」されてゆく。

勝手な「僕像」が、このブログで作られてゆく。

偽りの僕の想いから、違う僕がこのブログで浮き上がっていく。

一部の僕が、このブログでは全体の僕になってゆく。

それが少し、気持ち悪い。

一部しか、自分の気持ち・想いを吐き出せれないのが、とても虚しいし、悲しい。

想いを吐き出したかったのに、吐き出したらそれはまた満たされない想いが増えてゆく。

永遠に終わらない。

永遠に、嘘に嘘を覆いかぶせてゆくようで。

終わらない。

インターネットがない世界では、僕の想いは僕の中で「完結」しているのに。

それはまるで夢のように。

・・・・。

自分ひとりだけで抱える想いっていうのは、つまり「夢」なのか?

それは結構、「現実」だと捉えていたけれど。

それは結構、「実際・実存」だと捉えていたけれど。

僕内での僕の想いの方が、『嘘』なのか。

僕はすごく、僕自身が創り出した夢に支配されているのか?

アウトプットした方のが、本当に近いのか?

あまり、自分の中の自分だけの想いを、信用しない方がいいのかな。

僕の内側の想いは、僕を気持ち良くさせるために脳が創り出しているだけなのかも。

そこに、あまり「重き」を置かない方がいいのかも。

形として・アウトプットとして吐き出された想いの方を繰り返し「検証」した方が、本当の想い・真実の想いに近づけるのかも。

想い。

本当の想い。

真実の想い。

自分の内側だけの想い。

アウトプットされていない想い。

形になっていない想い。

想いって、やっぱおもしれーな。

自分自身を知る最大のヒントである自分の想い。

僕を知る最大のヒントである僕の想い。

どこにある想いを大切にするか。

自分から吐き出して、形になったものか。

吐き出されておらず、自分の心内・脳内を漂っているものを信じてみるか。

もしくはどちらも信じたり信じなかったりするか。

あ~~おちんぽ大好き~~~。

あ~~。

あ~~。

終わり。

ということで、旅行2日目のビジネスホテルでの日記はこれで終わり予定です。

おつかれさま。

本当はもう少し吐き出したかったけど。

ほんと、吐き出せる量が少なくてごめんね。

それでは。

おやすみ。

にゃはは。