死ねは飽きた。←ww
本日3回目の登場、こんばんは。(さすがにこんばんはになった。もう23時なので。←w)
ゆうとかyuuとかううとか、主に犬飼ユウです、てへへ、にゃはは。
すげー暗い。
すげー、暗闇の中。
現在僕は、ビジネスホテルにいます。
現在僕は、大阪のとあるビジネスホテルにいて、部屋を少しだけ灯りをつけて、ノートパソコンの前に向かっています。
ベッドの上に座って、壁に背中をつけて、今この文章を書いています。
眠い。
このビジネスホテルには、午後4時ごろ帰ってきた。
帰ってきたっていうのは、昨日もここに泊まった。
本当は今日帰る予定だったのだけれど、色々予定が狂って、今日も泊まることになった。
午後4時から食料買いに行く以外、ほぼほぼ「暗闇時間」してた。
2時間ぐらいは寝てた。
それ以外はベッドに横になって、本当に両目を閉じてたり、はたまた薄めを開けながらテレビを見ていたり、はたまた持ってきたタブレットでYOUTUBEから伊集院のラジオ聴いたり。
ほぼほぼ、日常の「暗闇時間」と同じことをしている。
僕は大阪でも、暗闇の住人だ。
それが、不思議と、「嬉しくも」思える。
耐えてる時は、ただただ死ねとか殺すとか思っているだけれども。
こうして、少し頭痛が収まって、平穏な僕が戻ってくると、大阪に来ても頭痛に苦しんでいる僕が、愛おしく思えてくる。
この頭痛が、今の僕のアイデンティティーになっている。
この頭痛が、まるで彼氏に暴力振るわれている彼女みたいに、この頭痛が、今の僕の心の支えになっている。
頭痛に身もだえ苦しみ、絶望し惨めになり死ねや殺すを想うことで、奇異にも自分がひどく「尊く」感じられる。
この頭痛によって、僕は不思議な「特別感」を感じている。
痛みの真っ最中は、ただただ辛い。
痛みの真っ最中は、本気でこの病気を恨むし、ひどく悲しくなったりする。
だけどこうして、頭痛が少し収まると、「恍惚」するというか。
だれもこの痛みを知らないだろうなと思うと、とても心地いい。
自分だけが感じられている「絶望」が。
自分だけが与えられている「孤独感」が。
とても僕の心を満たしていく。
不思議だ。
不幸せだけど、幸せだ。
・・・・。
今、僕は旅行中です。(何回目かの告白。)
昨日は万博記念公園。
今日は甲子園。
甲子園と、それともう1箇所行こうと思っていたのだけれど、甲子園行っただけで、結構頭痛の痛さが限界まで達してしまい、家に帰ろうか少し迷った結果、もう1泊することになった。
2日も家を離れるなんて、いつぶりだろうか。
ねえ、いつぶり?(知らないだろうけど聞いてみた。)←ww
記憶にないかも。
てか、ひとりで旅行すら、ひどく稀だし。
あ、思い出したけど、それはここでは言えない。←ww
この話題は飛ばそう。
・・・・。
何か少し、この土地にも慣れた。←ww
何か少し、この大阪という土地にも慣れてきた。(というか半日以上、ホテルの中で過ごしてるけど。)
帰りたいは帰りたいけど。
でもぶっちゃけ、インターネットがあれば、ほぼ家と外泊中も同じだよね。
あ、そっかあ・・・・。
このインターネットが、あまり良くないのかもしれない。
でも、ないとほんとにやることないし、こうやって外泊中の想い残せないしなあ・・・。
でも、言ってみれば、やっぱり、インターネットに囚われているよなあ・・・。
・・・・。
う~ん、でも、インターネットがあればこその、このブログ的な僕が「成立」しているわけで。
インターネットがあって、この向こうに君がいることを想定することで、僕の想いは吐き出され、吐き出された結果、インターネット内に想いで固められた僕が作られていくわけで。
一番気持ちいいのは、やっぱり、インターネットがない世界だと僕は思う。
(そうするとインターネット内の僕が存在しないことになってしまうが。)
僕が、インターネットがない世界の方が、「射精」できる。
インターネットがあると、それはどこか、「嘘の射精」になってしまうような気がして。
インターネットがないと、僕の想いは、『孤独な空間』に宙ぶらりんになっている。
どこにもぶつけられない。
それゆえにその想いは、僕の中で何でも「反復」してゆく。
インターネットがないと、吐き出すことのできない僕の想いは僕の中で弾み、何度も僕にぶつかってゆく。
僕という存在が、溢れたい想いに飲み込まれてゆく。
吐き出す場所が無いと、想いがどんどん僕の中で大きくなってゆく。
その、自分の想いに飲み込まれてゆく「感覚」が、僕はたまらなく好きだ。
インターネットがあると、まるで誰かに操られるかのように、しょぼい自分の想いしか吐き出されていない。
僕は、もっと想っていたのに。
僕は、もっと大きくて壮大なことを想っていたのに。←ワナビーっぽいww。ワナビーって言葉、初めて使ったかも。にゃはは。
このブログの文章も同じだ。
本当は、もっと面白かったことを伝えたい。
本当は、もっと濃密であったことを君に伝えたい。
実際、僕はそう感じたのに。
それを初めて想った時、僕はとても気持ち良く「射精」出来たのに。
それが、こうやって実際に形にすると。
それが、こうやって僕のできる限りで何とか伝えようとすると。
全然、伝えられてない。
僕の、本当の「射精体験」を。
僕の、最初の想い体験を。
もっと、全宇宙的に。
もっと、莫大なる自己肯定的に。
僕は想ったのに。
その想いを形にすると、まるで「泡沫」になっていく・まるで「嘘の射精」になっていく。
違う。
まるで違う想い。
まるで別物のような想い。
自分の最初の想いは・自分の本当の想いは、もっと「自由」なのに。
それはまるで、寝る時に見る「夢」に似てる。
そうなんだ。
自分が感じるファーストな想いって、夢に似ているんだ。
不明瞭で、実態を隠しているようで。
だから、解釈に幅があって。
こうやって、文章という形で自分の想いをアウトプットすると、どうしても「違う」気がする。
自分の想いじゃない。
自分の想いとは少し違う・だいぶ違う。
すごく自分が「限定」されていく。
すごく自分が誰かに「固定」されてゆく。
勝手な「僕像」が、このブログで作られてゆく。
偽りの僕の想いから、違う僕がこのブログで浮き上がっていく。
一部の僕が、このブログでは全体の僕になってゆく。
それが少し、気持ち悪い。
一部しか、自分の気持ち・想いを吐き出せれないのが、とても虚しいし、悲しい。
想いを吐き出したかったのに、吐き出したらそれはまた満たされない想いが増えてゆく。
永遠に終わらない。
永遠に、嘘に嘘を覆いかぶせてゆくようで。
終わらない。
インターネットがない世界では、僕の想いは僕の中で「完結」しているのに。
それはまるで夢のように。
・・・・。
自分ひとりだけで抱える想いっていうのは、つまり「夢」なのか?
それは結構、「現実」だと捉えていたけれど。
それは結構、「実際・実存」だと捉えていたけれど。
僕内での僕の想いの方が、『嘘』なのか。
僕はすごく、僕自身が創り出した夢に支配されているのか?
アウトプットした方のが、本当に近いのか?
あまり、自分の中の自分だけの想いを、信用しない方がいいのかな。
僕の内側の想いは、僕を気持ち良くさせるために脳が創り出しているだけなのかも。
そこに、あまり「重き」を置かない方がいいのかも。
形として・アウトプットとして吐き出された想いの方を繰り返し「検証」した方が、本当の想い・真実の想いに近づけるのかも。
想い。
本当の想い。
真実の想い。
自分の内側だけの想い。
アウトプットされていない想い。
形になっていない想い。
想いって、やっぱおもしれーな。
自分自身を知る最大のヒントである自分の想い。
僕を知る最大のヒントである僕の想い。
どこにある想いを大切にするか。
自分から吐き出して、形になったものか。
吐き出されておらず、自分の心内・脳内を漂っているものを信じてみるか。
もしくはどちらも信じたり信じなかったりするか。
あ~~おちんぽ大好き~~~。
あ~~。
あ~~。
終わり。
ということで、旅行2日目のビジネスホテルでの日記はこれで終わり予定です。
おつかれさま。
本当はもう少し吐き出したかったけど。
ほんと、吐き出せる量が少なくてごめんね。
それでは。
おやすみ。
にゃはは。