10月5日その2「僕が夜ふかしを避ける理由。」

おはよう。

10月5日土曜日。時刻は午後11時半。

えてて、てへてへ、すこしぺろっ。

その1を書き終えてから今の今まで、『寝ちゃった』。

寝ちゃったって、それは別に、悪いことじゃないのに。

ふふふ。

いや、少し悪いかな。

ここからちゃんと、本番の寝るが、寝れなくなってしまうかもしれないから。

僕はそれを一番、避けているところはある。

『夜ふかしは絶対、したくない』

『深夜寝ようと思っても、寝れなくて意識があり続けるのが、一番の最悪』

『深夜、起きていなければいけないのが、僕にとって、一番最悪』。

深夜起きていることを、僕は限りなく果てしなく避けている。

それはおそらく、経験から避けようとしているのだろう。

この頭痛がある中で、深夜起きなきゃいけない状況は、マジで「地獄」だから。

深夜って言うのは僕にとって、マジで「こわい」。

何故それほど、僕は「深夜」を怖がっているのだろうか。

それはおそらく、深夜というのが、僕にとって、「分からないもの」だからではないだろうか。

これが昼間だったら、意識が「外」、つまり「社会・世間」に向かい、それほど精神的にこわくならない。

深夜ってやっぱり、「内」にいってしまう。

まるで世界が止まっているようだから、実際に(近くの)多くの人が活動を停止して、時が停止している。

だから時の流れを知るために、変化を、どうしても「内」に求めようとする。

かなり僕の感覚的な話になってしまうが、昼間に比べて深夜は、外(≒社会・世間)に動きが無い分、内(≒心。精神)に動きを求めてしまう。

生きるとは何らかの、時が進んでいる「証拠」が必要だ。

僕たちとは何らかの、自分の生の証明を、絶えず絶え間なく1秒たりとも赦すことなく、必要としている。

昼間はそれを、外に多くの部分、任せている・任せられている。

夜は、深夜は、それが自分に還ってくる。

夜は深夜は、生きていることを、外に任せるのではなく、自分自身で証明することが、昼間より多く必要なのだ。(今回の話、やっぱり伝わりづらいよね。ごめんな。かなり感覚的な話。)

だから夜は深夜は、『自分によく会う』というか。

必要以上に、自分と会話しなくちゃならなくなって、その『自分の相手をするのが、非常に疲れる』。

特にまた、外に出て暇つぶしもあまり出来ないから。

夜は深夜は、家の中に籠っていなければいけないから。(てか寝たいし。)

過剰に過熱気味に、夜は自分と会い続ける。

そんなに、自分と接近することは、必要ではないから。

無駄に「自己問答」しても、「答えのない問い」ばかり投げつけられるだけだから。

それはかなり、精神を疲弊してしまうから。

疲弊してしまって、さらに悲惨なことに、それは何の実りあることを自分に提供しないから。

無駄に精神歪んでしまうだけだから。

それはかなり、自分の「成長」を妨げることだから。

だから僕は、夜ふかしすることを避けてる。

だから僕は、深夜起きていることを、出来るだけ避けている。

自己問答なんか、中学生までのキッズがすればいい。

20代30代が、するべきことではない。

大人は、昼間や夕方悩め。

深夜に、大人は悩むな。

それは非常に、「非効率」なことだから。

それはおそらく、学生時代にみんな痛感しただろう。

いつまでも、夜にくよくよしても、結局は「解決」出来ないことを。

答えのない問いに対して、馬鹿みたいに大人が遊んでいてはダメだ。

それは学生の時までに終わらせろ。

いつまでも同じクソみたいな繰り返しをやっているんじゃねえ。

学べ。

成長しろ。

大人になれ。

夜がどういうものか、いい加減気づけ。

夜は深夜は、自分に答えをくれないことを、答えはその時間は解決できないことを、いい加減、気づけ。

・・・・。

・・・・。

・・・・・。

そういう思いがあるから、僕は夜ふかしすることを避けている。

20代前半で、僕はかなり夜ふかししたから。(というか、頭痛のせいで、起きなくちゃいけない状況が続いたんだけどね。)

だからなるべく今は、それを避けている。

と言っても今日のように、また、仮眠をしてしまって、寝る時間が狂わされることは結構あって。(でも、このブログを開始して以来、それはあんまりなかったよね。割とほぼ毎日、ちゃんと12時頃には寝れる日常を送れてた。)

軽く死ねだよね。

軽く死ね。

だけど、仮眠する前と比べて、やっぱ頭痛が少し収まって、こうやって文章を書けているから、割と幸せといえば、幸せだよ。

・・・・。

・・・・。

・・・・・。

やっぱり僕は、書きたいよね。

うん。

今の僕にとって、このブログを書くことが、このブログを書けることが、一番の「生きがい」だ。

一番の、「生を実感できる瞬間」だ。

このブログがあるから、僕はまだ、生きていられる、大げさではなく。

唯一の、僕が僕を実感できる場所、それが、このブログだ。

自分の「足跡」を残せるのが、射精とはまた違って、心地いい。

変に「罪悪感」がないぶん、射精より気持ちいいものなのかもしれない。

僕にとって一番、「クールな行為」。

それが、このブログを書くことなのかもしれない。

それにしてもやはりというか、先ほど仮眠をして気づいたのだけれど、やっぱり、『目を覚ました時の感覚』っていうのは、僕たちにとって、かなり特別なものだよね。

そこ、僕、かなり気になっていて。

そこ、僕、かなり興味を抱いていて。

たぶんおそらく、僕たちにとって、目を覚ました時・起床した時って、一番「不可解」で、一番「原始な」瞬間なんだよ。

起きた時って、僕たち、心が、かなり『素』じゃん。

それまでを一度「リセット」して。

昨日までを一度リセットして。

そして起きた時、まるでコンピューターゲームを続きから「再開」するように、これまでのデータを一瞬にして「リロード」してくる。

起床した瞬間ってさ、かなり「奇跡的な行為」を、僕たちはみな、しているんだよ。

僕は、言ってみれば、眠りから覚めて起きた時が、一番「恍惚」な時であり、また、残酷なことに、目を覚ました時が、一番「絶望」なんだよね。←www

この話すると、また長くなるけれど。

うん、今日はこの話はしない。

疲れた。

・・・・。

・・・・・。

・・・・・。

やっぱり、繰り返し言うけど、ブログを書けて嬉しいね。

先程のその1の時は、頭痛がかなり激しくて、俺もう終わりだなと思っていたけど。

仮眠してしまって休めば、またこうやって文章を書くことが出来る。

よかった、書けて。

嬉しい。

・・・・。

・・・・・。

風呂入ってから、たぶんその3も書く。

それじゃ。

・・・・・。

・・・・・。

・・・・・。