10月28日その1「犬飼ユウ、午前4時に語る。」

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まあ、ね・・・。

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10月28日月曜日。時刻は午前4時半。←wwww

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ふう・・・。

久しぶり、というべきか。

何か色々、ごめんね。←ww

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ごめんねというか・・・。

そのごめんねはこのブログを読んでいる人たちへというよりも、やはり、僕自身に・・・。

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・・・。

ふう・・・。

何か、3・4日ぐらい前にも、「ふりだしに戻った」と述べたけれど、ここ2・3日でまた、「ふりだしに戻った」気がする。

ふう・・・。

やれやれ・・・。

キツイね。

こうやってまた、「自分を取り戻す作業」が、ひどく「おっくう」に感じてしまう。

どうせまた、すぐに壊されてしまうから。

生きようと思ってもまた、すべてを忘れ去ってしまうから。

生きるのに、疲れた。

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・・・。

だから、というか・・・。

こんな感じに「絶望」して、僕の20代は「暗黒」だったのだろう。(今もだけど。←ww)

僕の20代は完全に、「諦め」の状態だったのだろう。(今もだけど。)

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ふう・・・。

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さすがに、今日は会社を休もうと思う。

久しぶりに、会社を休む。

ここ最近、ちゃんと会社、行っていたので。

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また、すべて忘れてしまうから。

また、すべて失ってしまうから。

それをまた、思い出すのが「おっくう」だから。

それをまた、再構築するのが「めんどい」から。

思い出してもまた・再構築してもまた、崩されてしまうから。

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と、言いつつ、今は、それほど「絶望」はしていない。

頭痛さえ「最悪な状態」を脱せれば、僕にとってそれは、最悪ではないから。

仕事休んで、今の自分をゆっくりと確認していければ、僕はそこそこ、幸せだ。←ww

ここ最近、何が起こっていたのか。

まず、10月12日から3連休。

あそこぐらいから、僕は全然、進んでいないよね。

あそこぐらいから、「停滞」している。

あそこぐらいから、やりたいことをやれていない。

まず、10月12日の「台風」によって、一度、心が崩壊した。←ww

心が崩壊っていうのは、言い過ぎかもしれないけれど。

10月12日の台風によって、僕はまた、僕を忘れてしまった。

10月12日の台風によって、僕はまた、僕を失ってしまった。

やっぱり、「ルーティーン」が、今の僕を支えているのだなと、実感するね。

今日何々をやったから、明日の僕は何々を想う。

繋がっているんだ。

昨日の想いを受け継いで、今日の僕は存在している。

昨日の僕が「白紙」になってしまうと、今日の僕もまた白紙であり、また一から、自分再構築する「手間」がかかる。

白紙になって、再構築が出来ないまま、また白紙になって・・・。

それをここ最近、繰り返してしまったのだと思う。

だから、全然、休めている感覚がない。

人より何倍も、休むことが、僕には必要なんだ。

ここ2日間だって、ほぼ家にいて、ベッドに横たわっていたけれど。

ほぼ、寝ていて。

ほぼ、起きていなくて。

頭痛のせいで、「強制睡眠」させられていて。

心が、休めていない。

身体(≒頭)は強制休暇していたのだけれども。

心はいまやっと、「正常」を取り戻そうとしている。

身体(≒頭)は休めていても、心は全然休めていない。

だから、今日、会社を休む。

心を休めるために、僕は今日、会社を休む。

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10月12日の「台風」で、一度僕は、僕の「いつもの」を出来なくて。

そして、先週の原因不明の「精神不安定」で、また僕は僕を忘れて。

そして、先週金曜に発症してしまった「風邪」による、頭痛の痛み増大で、また僕は、僕を忘れてしまって。

はあ・・・。

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今、今の僕を僕が、「最悪」ではないと思えるのは、言ってしまえば、『慣れた』、ということだろうか。(あー。ちょっとここから、良いこと言うかも、良いことかどうか、それは分からないけれど。)

これがおそらく、「最悪の20代」とは違うところだな。

いいのか悪いのか、それがどちらなのかは分からないけど、いい意味で言うと、30を過ぎた僕は、「最悪に慣れた」。

20代というのは、最悪に慣れていないから、最悪に毎回、「絶望」してしまっていたんだ。

10代の時の想っていた、生きることへの『理想』を捨てきれないまま、僕の20代は絶望を繰り返してしまっていたんだ。

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いい意味で、理想を再定義させられた。

いい意味で、理想をねじ曲げれた。

自分が生きたいように、自分は生きられない。

それを、20代に、嫌というほど、「体感」したのだ。

だから、20代の方が、全然死にやすかったのかもしれない。

20代の絶望している「みなさん」、そういうことです。

相変わらず、最悪は日々、訪れているけれど。

それを「無視」出来る、寛容さが30代になって出来てしまったというか。

それを「許容」出来る、図太さが30代になって出来てしまったというか。

だから、極めてすごく悪質な勧めだと思うけれど、もし死にたいのなら・・・、ってことですね。←www

だって、どんどん、「醜さ」は増してしまうから。

僕と同じように、生も死もさほど価値は変わらないと思っている方は、美しいうちに消えるのも、それは一つの「選択」だと、僕は思うよ。(あくまで、自己判断で。)

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ふう・・・。

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・・・・・。

まだ、溜まっているのがあると思うので、一旦休憩してから、また出していこうと思う。

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・・・・・。

ふう・・・。

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・・・・・。

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