あうあう・・・。
頭が痛い。
当たり前だけど、「音楽ライヴ」に参加すると、俺、かなりグレートな頭痛持ちだから、あたり前のようにライヴ終わりは、頭がめっちゃ痛くなる。
やっぱり「ライブ」って、「健常者向けコンテンツ」やな・・・。
まあまあ楽しかったけど、ライヴ終わりの今は、「頭の痛さ」が勝ってしまう。
ファック!!
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色々な人の、「顔」を見れるのは、本当、勉強になる。
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「幸せ」とは、何か。(また~~?←ww)
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僕は、もしかしたら、それほど「幸せ」を、望んでいないのかもしれない・・・。
というか、「みんな」にとって、幸せとは、何だろうか。
どちらかというと僕は、どこか、「すべてがつまらなく」、感じてしまう。(お、中学生か?←www)
ぶっちゃけ、「旅とか女とかイベント」とか、実際のところ、「わざと自分を楽しませようとしている」部分もある。
別に、すべて、「意味」ないじゃん。
心躍るのが、正直しんどい。
何かに楽しさを見いだそうとするのが、正直馬鹿らしい。
何かに「生きる意味」を見いだそうとしようとする自分が、ひどく「虚しい」。
だから、僕は・・・。
ツイッターとかで、メンヘラな女を見ると、すごく「幸せ」を感じる。←www
毎日絶望で絶望で、そしてツイッターに、「リスカ跡」とか載せてるメンヘラ女とか見ると、正直、心躍ってしまう。
絶望している人を見る方が、「共感」できる。
生きることが、それほど楽しいと言えていない人の方が、「共感」出来る。
というか、人生楽しんでいる人は、あまり興味を抱けないというか・・・。
僕にとってそれは、すべて「無価値」に見えてしまうから。
無価値なものに対して、価値を見いだしている人たちは、滑稽すぎて、悲しさすら感じる。
いいよな、そういうことで、「踊れて」。
何も生み出すことないまま、自分が「何も無い者」だと気づかないまま、何も知らないまま生き、そして死んでいく人たちを、ほんと虚しく僕は見ている。
自分がいわば、こういう精神状態の時、楽しませてくれるのは、「メンヘラ女」だけで。
絶望こそが、「真」のような気がして。
楽しく生きている人は、こういう時の僕の目からは、まるで「色彩」がない。
こういう、少し鬱っぽくなっている感じの僕の時の目からは、楽しく生きている人は、もはや「存在」していない。
少し鬱っぽくなっている時の僕の瞳には、「メンヘラ」の人しか、ちゃんと生きていない。
苦しんでいる人の方が、何かちゃんと、生きている気がする。←www
苦しんでいる人の方が、ちゃんと、「動いている」気がする。
言ってみるとさ、楽しさってあんまり、「物語性(≒ストーリー性)」がないんだよね。
苦しんでいる人の方が、ストーリー性を感じてしまう。
楽しく生きている人は、結果として、「薄く」なってしまう。
苦しんでいる人の方が、それを振り返った時、「濃く」なる。
だから、以前このブログでも言ったと思うけど、幸せと不幸せに、それほど「差」はない気がして。
今、不幸せだからと言って、それが不幸せとは、(未来があるなら未来的には)限らない。
今が幸せだからと言って、それが幸せとは、(未来的には)限らない。
結局、僕たちは、何も残らないのだから。(←この考えが、僕の思考の根底にある。どうせ100年後、今生きている人ほとんどは死んでいる。すべて消えていく。すべて忘れ去られていく。)
何も残せない者同士が、今という時間軸にみんな、集結している。(一応、以前にこのブログで、唯一僕たちが死んでも残せるものとして「子供」をあげたけれど、子供を残せたとしても、僕たちの意思は残せない。僕たちの意思という僕たちの存在を、死んだら、誰も残せない。)
そこに、あまり幸せとか、不幸せとか、なくて。
みな、100年後はほぼ、いない。
だから、今という時間軸で、比べても、どうせ消えるよっていう・・・。
だからある意味、「死」というのは、めちゃくちゃ「優しい」よね。
幸不幸関係なく、みんなに与えていくから。
今の境遇に関係なく、みんなに分け与えていくから。
幸せな人には不幸せを与え。
不幸せな人には救いを与えてゆく。
死で、すべてが「チャラ」になってゆく。
死を目前にして、それまでの価値観がすべて「ゼロ」になってゆく。
僕はそこに、すごく「気持ちよさ」を感じてしまう。
死はある意味、すべてをまるで「浄化」するようだから。
それまで、積み上げてきたものが、何だったんだって、なるくらい。
じゃあ、それなら、今まで何とか「生きよう」としていたのが、何だってなるくらい。
今の僕は、「暇」だから。
時間と金をもてあましているから、何か生きる楽しみを見いだそうと、旅とか女とかイベントとかに参加して、何か「生きる意味」を見いだそうとしていて。
しかしそれも、死の前では、意味をなさなくなってゆく。
ある程度、これからも生きるであろうという「未来」が僕にはあるから、旅とか女とかイベントとかに参加しているわけで。
僕がこの先生きる気力もなく、すぐ死ぬというのなら、それらに価値は、一切なくなってゆく。
強いよね、死は。
すべてのものを、「無価値」にしてしまうから。
散々、何かに対して意味や価値を持たせようとしていたことが、一瞬にして消えていく。
何もしたくない。
何も見たくない。
何も求めたくない。
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こういう感じの精神状況になってしまうと、ぶっちゃけもう、すべてのものが、「醜く」みえてしまう。
だから、というか・・・。
メンヘラな人っておそらく、健常な人より、「美に敏感」なんだよね。
もしくは、醜いものに敏感。
精神不安定な人はおそらく、普通な人より、「美しいもの」を求めてしまう。
それは、ふつうの人がふつうと見えているものを、「醜く」見えてしまうから。
美に対する、眼が厳しくなる。
というか、普通のものが、大変醜く見えてしまう。
ふつうのものが、自分を「攻撃」するもののように、見えてしまう。
ふつうのものに対して、「敵意」を感じてしまう。
だから、すごく、「救われたい」と思っている。
美しいものに、救われたいと思ってしまう。
そしてさらに、醜く見えるもの中で、自分こそが一番、醜く感じてしまうから、だから「自傷」したり、「リストカット」してしまう。
精神が不安定になると、世界が「暗転」していく。
それまで「正」としていたものが、「負」に見えてしまう。
それまで自分を守ってくれていた「勇者」だった人が、自分を殺す「悪魔」のように見えてしまう。
精神が安定していた時と、言っていることが逆になってしまう。
それまで自分が信頼していたものが、全く信用出来なくなってしまう。
何を信じればいいのか、本当に分からなくなってしまう。
まるでそんな、自分の精神不安を安定させるために、バランスを取るために、「自傷」してしまう。
混乱状態・発狂状態・精神不安定状態。
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ある意味これは、「死の傍にある価値観」だよね。
もしくは、生と死を極度に短い期間の中で、行ったり来たりしている状態。
僕もまた、それに近くて。
だから、メンヘラな人を見ると、にやけてしまう。←ww
同じような感覚を「共有」出来ているよなって、嬉しく思ってしまう。
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何の話、していたっけ。
今、僕が少し、ライヴ終わりで頭が痛くて、少し鬱っぽいっていうことか。
うん。
そうだね。
かなり疲れている。
でも、行ってよかったよ。
頭痛が少し収まったら、もう少し冷静になって、振り返ることが出来るだろう。
今はただただ、頭が痛い。
それだけ。
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犬飼、ユウ・・・。
犬飼、ユウ・・・。
犬飼、ユウ・・・。
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一旦、休憩。
眠い。
もう、寝ちゃうかも・・・。
11月9日土曜日。時刻は午後11時。
甲本ヒロトを、とても間近で見られたのは、よかった。
初めて、生で見れた。
というか、56歳なのか・・・。
Bzの稲葉が、55歳か・・・。
矢沢永吉、70歳か(笑)。
ちょっと、「ロック」というのが、今の若い世代とは、違うよね。
今って、いや僕もだけど、それほど「ロック」に興味を抱いていないよね。
それほどロックを過剰に崇拝していない。
僕より年齢が上の人はおそらく、ロックをある程度、「心の拠り所」にしているのだろうね。
僕の場合はどちらかというと、「インターネットを心の拠り所」にしている人間だから。
それほど、ロックに、心寄せていない。
それほどロックに魂を傾けていない。
それほどロックに、「居場所」を求めていない。
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なるほどね。
インターネットが、心の拠り所、か・・・。
そう考えると、インターネットって、何?って話になってくるけど・・・。
その話は、また今度。
じゃあ、この辺で。
ばいちゃっ。←www
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・・・。