11月9日「犬飼ユウ、メンヘラとかを語る。」

あうあう・・・。

頭が痛い。

当たり前だけど、「音楽ライヴ」に参加すると、俺、かなりグレートな頭痛持ちだから、あたり前のようにライヴ終わりは、頭がめっちゃ痛くなる。

やっぱり「ライブ」って、「健常者向けコンテンツ」やな・・・。

まあまあ楽しかったけど、ライヴ終わりの今は、「頭の痛さ」が勝ってしまう。

ファック!!

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色々な人の、「顔」を見れるのは、本当、勉強になる。

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「幸せ」とは、何か。(また~~?←ww)

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僕は、もしかしたら、それほど「幸せ」を、望んでいないのかもしれない・・・。

というか、「みんな」にとって、幸せとは、何だろうか。

どちらかというと僕は、どこか、「すべてがつまらなく」、感じてしまう。(お、中学生か?←www)

ぶっちゃけ、「旅とか女とかイベント」とか、実際のところ、「わざと自分を楽しませようとしている」部分もある。

別に、すべて、「意味」ないじゃん。

心躍るのが、正直しんどい。

何かに楽しさを見いだそうとするのが、正直馬鹿らしい。

何かに「生きる意味」を見いだそうとしようとする自分が、ひどく「虚しい」。

だから、僕は・・・。

ツイッターとかで、メンヘラな女を見ると、すごく「幸せ」を感じる。←www

毎日絶望で絶望で、そしてツイッターに、「リスカ跡」とか載せてるメンヘラ女とか見ると、正直、心躍ってしまう。

絶望している人を見る方が、「共感」できる。

生きることが、それほど楽しいと言えていない人の方が、「共感」出来る。

というか、人生楽しんでいる人は、あまり興味を抱けないというか・・・。

僕にとってそれは、すべて「無価値」に見えてしまうから。

無価値なものに対して、価値を見いだしている人たちは、滑稽すぎて、悲しさすら感じる。

いいよな、そういうことで、「踊れて」。

何も生み出すことないまま、自分が「何も無い者」だと気づかないまま、何も知らないまま生き、そして死んでいく人たちを、ほんと虚しく僕は見ている。

自分がいわば、こういう精神状態の時、楽しませてくれるのは、「メンヘラ女」だけで。

絶望こそが、「真」のような気がして。

楽しく生きている人は、こういう時の僕の目からは、まるで「色彩」がない。

こういう、少し鬱っぽくなっている感じの僕の時の目からは、楽しく生きている人は、もはや「存在」していない。

少し鬱っぽくなっている時の僕の瞳には、「メンヘラ」の人しか、ちゃんと生きていない。

苦しんでいる人の方が、何かちゃんと、生きている気がする。←www

苦しんでいる人の方が、ちゃんと、「動いている」気がする。

言ってみるとさ、楽しさってあんまり、「物語性(≒ストーリー性)」がないんだよね。

苦しんでいる人の方が、ストーリー性を感じてしまう。

楽しく生きている人は、結果として、「薄く」なってしまう。

苦しんでいる人の方が、それを振り返った時、「濃く」なる。

だから、以前このブログでも言ったと思うけど、幸せと不幸せに、それほど「差」はない気がして。

今、不幸せだからと言って、それが不幸せとは、(未来があるなら未来的には)限らない。

今が幸せだからと言って、それが幸せとは、(未来的には)限らない。

結局、僕たちは、何も残らないのだから。(←この考えが、僕の思考の根底にある。どうせ100年後、今生きている人ほとんどは死んでいる。すべて消えていく。すべて忘れ去られていく。)

何も残せない者同士が、今という時間軸にみんな、集結している。(一応、以前にこのブログで、唯一僕たちが死んでも残せるものとして「子供」をあげたけれど、子供を残せたとしても、僕たちの意思は残せない。僕たちの意思という僕たちの存在を、死んだら、誰も残せない。)

そこに、あまり幸せとか、不幸せとか、なくて。

みな、100年後はほぼ、いない。

だから、今という時間軸で、比べても、どうせ消えるよっていう・・・。

だからある意味、「死」というのは、めちゃくちゃ「優しい」よね。

幸不幸関係なく、みんなに与えていくから。

今の境遇に関係なく、みんなに分け与えていくから。

幸せな人には不幸せを与え。

不幸せな人には救いを与えてゆく。

死で、すべてが「チャラ」になってゆく。

死を目前にして、それまでの価値観がすべて「ゼロ」になってゆく。

僕はそこに、すごく「気持ちよさ」を感じてしまう。

死はある意味、すべてをまるで「浄化」するようだから。

それまで、積み上げてきたものが、何だったんだって、なるくらい。

じゃあ、それなら、今まで何とか「生きよう」としていたのが、何だってなるくらい。

今の僕は、「暇」だから。

時間と金をもてあましているから、何か生きる楽しみを見いだそうと、旅とか女とかイベントとかに参加して、何か「生きる意味」を見いだそうとしていて。

しかしそれも、死の前では、意味をなさなくなってゆく。

ある程度、これからも生きるであろうという「未来」が僕にはあるから、旅とか女とかイベントとかに参加しているわけで。

僕がこの先生きる気力もなく、すぐ死ぬというのなら、それらに価値は、一切なくなってゆく。

強いよね、死は。

すべてのものを、「無価値」にしてしまうから。

散々、何かに対して意味や価値を持たせようとしていたことが、一瞬にして消えていく。

何もしたくない。

何も見たくない。

何も求めたくない。

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こういう感じの精神状況になってしまうと、ぶっちゃけもう、すべてのものが、「醜く」みえてしまう。

だから、というか・・・。

メンヘラな人っておそらく、健常な人より、「美に敏感」なんだよね。

もしくは、醜いものに敏感。

精神不安定な人はおそらく、普通な人より、「美しいもの」を求めてしまう。

それは、ふつうの人がふつうと見えているものを、「醜く」見えてしまうから。

美に対する、眼が厳しくなる。

というか、普通のものが、大変醜く見えてしまう。

ふつうのものが、自分を「攻撃」するもののように、見えてしまう。

ふつうのものに対して、「敵意」を感じてしまう。

だから、すごく、「救われたい」と思っている。

美しいものに、救われたいと思ってしまう。

そしてさらに、醜く見えるもの中で、自分こそが一番、醜く感じてしまうから、だから「自傷」したり、「リストカット」してしまう。

精神が不安定になると、世界が「暗転」していく。

それまで「正」としていたものが、「負」に見えてしまう。

それまで自分を守ってくれていた「勇者」だった人が、自分を殺す「悪魔」のように見えてしまう。

精神が安定していた時と、言っていることが逆になってしまう。

それまで自分が信頼していたものが、全く信用出来なくなってしまう。

何を信じればいいのか、本当に分からなくなってしまう。

まるでそんな、自分の精神不安を安定させるために、バランスを取るために、「自傷」してしまう。

混乱状態・発狂状態・精神不安定状態。

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ある意味これは、「死の傍にある価値観」だよね。

もしくは、生と死を極度に短い期間の中で、行ったり来たりしている状態。

僕もまた、それに近くて。

だから、メンヘラな人を見ると、にやけてしまう。←ww

同じような感覚を「共有」出来ているよなって、嬉しく思ってしまう。

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何の話、していたっけ。

今、僕が少し、ライヴ終わりで頭が痛くて、少し鬱っぽいっていうことか。

うん。

そうだね。

かなり疲れている。

でも、行ってよかったよ。

頭痛が少し収まったら、もう少し冷静になって、振り返ることが出来るだろう。

今はただただ、頭が痛い。

それだけ。

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犬飼、ユウ・・・。

犬飼、ユウ・・・。

犬飼、ユウ・・・。

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一旦、休憩。

眠い。

もう、寝ちゃうかも・・・。

11月9日土曜日。時刻は午後11時。

甲本ヒロトを、とても間近で見られたのは、よかった。

初めて、生で見れた。

というか、56歳なのか・・・。

Bzの稲葉が、55歳か・・・。

矢沢永吉、70歳か(笑)。

ちょっと、「ロック」というのが、今の若い世代とは、違うよね。

今って、いや僕もだけど、それほど「ロック」に興味を抱いていないよね。

それほどロックを過剰に崇拝していない。

僕より年齢が上の人はおそらく、ロックをある程度、「心の拠り所」にしているのだろうね。

僕の場合はどちらかというと、「インターネットを心の拠り所」にしている人間だから。

それほど、ロックに、心寄せていない。

それほどロックに魂を傾けていない。

それほどロックに、「居場所」を求めていない。

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なるほどね。

インターネットが、心の拠り所、か・・・。

そう考えると、インターネットって、何?って話になってくるけど・・・。

その話は、また今度。

じゃあ、この辺で。

ばいちゃっ。←www

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・・・。