自分理解のための、「他人(ひと)」(今日はよく書くな。←www)
・・・。
・・・。
1月5日日曜日。時刻は午後7時前。
他人は必要。
それは、自分理解のため。
自分という存在は、自分ひとりでは成立しない。(あくまで、僕はそう思うということ)
自分という存在は、他人から見られる自分によって成立していく。
他人から見られる自分というのは、自分が思う自分とは違っている。
その「差」を埋めるために、僕たちはそれでも新たな「他人(ひと)」を求めていく。
どんどん他人を求めても、その求めに終わりはない。
何故ならどんなに求めても、自分が思う自分とは「差」や「開き」があるから。
つまり生きるというのは、その「差」を埋めるための「永遠の他人探し」、ともとれる。
自分を分かりたいから、他人に会いたい。
自分を発見したいから、他人と会話したい。
やっぱり全部、自分中心主義で。(あくまで僕の場合)
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そうするとやっぱり、自分をもっと知りたい人ほど、知ってもらえる他人が多い?
つまりあまり人と会っていない人は、あまり自分を知りたくない?
自分に興味がなくなったら、死を選んでしまうわけで。
あくまで自分を楽しませたいから、まだ生きているわけで。
より自分の「面白さ」を発見した人が、より多くの人に見てもらえる?
自分のどこが面白いのか。
もしくは、自分は世界をどう面白いと思っているのか。
そこの「気づき」が、他人(ひと)を呼ぶのでは?
(笑)。
(笑)。
(笑)。
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・・・・。
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へえ・・・。
はあ・・・。
ほお・・・・。
とりあえず今日で、長期休み終わるぞ。
え~~、マジで。
嫌や~~。
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