忘れないうちに仕事についてのメモまとめ。
2月11日火曜日。時刻は午前11時半。
僕は基本的に今の仕事が「嫌い」であり、しかし、それによる「恩恵」があるから、必ずしも「嫌い」ではない。←wwww
そこら辺のことを、もう少しちゃんと自分でも説明したいと思ってこの文章を書いている。
ここら辺の基本的なことについては、noteの方でだいぶ語ったと思う。
それで、今日は火曜日で祝日で、ちょっと気付いたことがあるので書いていく。
今の僕において、土日の状態が続く状態、それは基本的に、避けなければいけない状態だと思う。
まず、ここね。
なんだダメかって言うと、土日の僕は誰ともコミュニケーションを取っていないから。
現状の僕にとって、僕というのは平日の働いている時にしかいない。
(笑)。
一人だとやはり、ダメなんだよね。
何か、一人だと僕というのが「暴走」してしまうから。
『混ざる』、というのを、最近の僕はすごく意識している。
自分というのは、どこまでもどこまでも「複雑」であるべき存在であるべきだと思う。←ww
それは別に、自分という存在が「小難しい」存在になればいいと言っているのではなくて。
状況、より一般的に言うと対シチュエーションや、対他人において僕たちは僕たちを変えていく。
コップの中に、透明な水だけがある自分という状況は、自分にとってそれは「嘘」であり「危険」であると僕は思う。
僕たちは、『濁るべき』なんだ。
濁った上で、「綺麗な自分」が見つかるというか。
色々な人との関係性を構築した中で、一人きりの自分がある。
こっちの方が、僕は『心地よく』感じる。
一人ぼっちでいると、まるでそれはすごく自分を満たしていて、ストレスフリーで、自由なような気がするけど、僕の場合、それは危ない。
よく分からない水を勝手に「綺麗な水」と自分ひとりだけで判断して飲んでしまっているからだ。
今の僕は、そういうものを望んでいない。
バランス、ね。←www
簡単に言うと、僕たちは僕たちという一人の存在を、自分ひとりの「脳」、「意識」、「脳内PC」だけで「処理」しない方がいいということ。
出来るだけ多くの脳内PC(=他人)で、自分を処理した方が「正確」になっていくような気がする。
また、ただ単純に他の脳内PCが多ければいいという話でもない。
より自分を分かってくれる、より自分を見てくれる相手を、そりゃあ求めた方がいい。
それが「家族」であったり、また「恋人」であったりする。
そんな感じで、これからの僕はやはり「コミュニケーション」というのを求めていかなければいけない。
しかし、僕というのはコミュニケーションに難があって。←ww
どういうコミュニケーションを僕は求めているか。
そこもまた、大きな「論点」なのだけれど。←wwww
それでもやはり、「繋がっていくこと」を僕は確かに求めているのだ。←www
続く。←ww