2月21日その2「アウトプット論。」

アウトプットについて語る。

2月21日金曜日。時刻は午後9時前。

アウトプット(自己表現)ってほんと、何なんだろうな。

僕は、誰かに伝えたくてやっているんだけど・・・。

でも変な話、伝えただけでもう「満足」なんだよね。

その「反応」を期待して作るのだけれど。

反応を待たずして、相手に伝えるだけで、すでにアウトプットは完成しているというか。

そしてまた、その吐き出されたものはもう「自分では無くなっている」んだよね。

これは別に、作り物の話に限らないんだけど。

僕たちって今その瞬間の自分にすごく無頓着で。

僕たちって全然、日々全く、同じ自分ではないんだよね。

分かりやすい例えだと、最近不倫が話題の俳優の東出さんとか。

不倫中はその不倫をしているのが当たり前で、別にそれが「普通」で「日常」だったけど。

こうやって不倫がバレてしまって、批判された後だと、その不倫していた日々がまるで「全然自分とは違う自分」のように感じている。

僕たちはいつも、自分を生きているはずなのに。

振り返れば全く過去の自分は理解出来ない生き物であったりとか。

それなー。

その瞬間瞬間の僕たちって、自分でも全く理解できないような生き物なんだよね。

僕たちはすごく、「無意識」に生きているし、すごく「曖昧」に生きてるんだよ。

昨日の自分は、まるで違う自分というか。

その感覚が、アウトプットでも似ているんだよな。

自分が作ったものなのに、吐き出された自分は全く自分から離れていて、もうあまり興味を失っているというか。

むしろ、そうやって「遠ざかる」ために、僕たちはその瞬間全く異なる自分を動かしたいり、もしくはアウトプットしたり。

不思議なんだよなあ、そこらへん。

アウトプットした時点でそれはもう、自分ではない。

昨日の自分はすでに、自分では無くなっている。

ここら辺、面白いよね。

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