「カワイイ」とは何かについて。
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3月3日火曜日。時刻は午後8時半。
カワイイって何だろうって、今日仕事中に考えていて。←www
思ったのは、それは、「壁」がない、もしくは薄い、ということかなと。
結局さ、基本的に僕たちは「コミュニケーション」したいわけ。
だけどさ、「知らない人」は「こわい」わけ。
基本、コミュニケーションしたい。
基本、誰かと繋がっていたい。
だけど、知らない人に対しては繋がれない。
知らないから。
こわいから。
自分を脅かすのではと思ってしまうから。
コミュニケーションしたいけど、知らなくてこわいから、出来ない。
コミュニケーションしたい欲求は、知らない人に対してでは満たされたい。
僕たちは基本、コミュニケーション欲求を満たしたい。
そんな中、カワイイという存在は自然にその壁が取り払われていくんだ。
だから、言ってみれば、可愛い人は大変だ。
色々な人からその壁を通り抜けてウザいながらも近づいてくるから。
こっちがそれほどコミュニケーション望んでいないのに、多くの人がコミュニケーションしたい欲を満たそうと近づいてくる。
大人と子供の違いは何かなあと思って。
子供の頃って僕たちは、友達が多くいたじゃない。
そして知らない人でも割とすぐに遊んでいれば友達になれた。
今は、気軽に知らない人を友達になれないよね。
「知る」のが結構難しい。
もしくは、「知られる」・「知ってもらう」というのがすごく難しい。
自分がコミュニケーションしたいのなら、自分を「紹介」しなければいけない。(もちろん、望んでいない人に対していくら繋がりたいと思っても出来ない。あくまで)
「自己表現」がすごく重要。
知らない人と僕たちはコミュニケーションしたいとは思わない。
正確に言えば、知らない人とコミュニケーション出来ない。
知らないから。
基本的に僕たちの情報すべては僕たちの「顔」に宿っている。
それで、顔がいい人に対しては僕たちは基本、あまり警戒しない。
コミュニケーションの壁を、あまり感じない。
顔がいいというだけで、すでに「安心」出来て、「こわさ」がないからだ。
カワイイというのはつまり、「こわさ」がない感じ。
そこは、顔がよくない人は見習わなければいけない。
顔がよくなくて、こわさを与えてしまっているなら、顔以外の部分で「警戒」を解いていかないといけない。
顔以外で、喋ったり、自己表現したりして、こわくない自分を伝えないと、コミュニケーション出来ない。
以前にも書いたけど、そのこわさを取るためには「共通の話題」であったりして、お互いの共通の部分を見出したり。
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てなことを、今日の仕事中に思った。
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