自分が今やっている「部活の勧誘」について。
ポイントとなるべき所は、「それが面白いか否か」もしくは、面白いとしたら「どこが面白いか」、だと思っている。
今僕は、新しいアウトプットをしていない。
今やっている活動というのは、そのアウトプットをみなさんやってみませんか?という、僕自身がアウトプットするのではなく、みんなにアウトプットしませんかという「提案」だ。
それを何故僕がやろうと思ったかについては、それを媒介とすることで、「人と繋がれるのではないか」と思ったから。
僕は特に、何も望んでいない。
望むとすれば、社会に混じっていたい、人とコミュニケーションしていたい、そういう欲望だ。
ただ、人とコミュニケーションする時は「話題」が必要になる。
そこで残念なのは、僕は特に何にも興味がないことだ。
たくさん興味があると言えばあるのだけれど、結局どれも最後は「どうでもいい」と思ってしまうような、結局僕は、「無」を、一番欲していて、コミュニケーションしたいと言っても、緩く、薄く、少し距離を置いてのコミュニケーションを望んでいるのかもしれない。
直接人と会って会話をしても、会話が途切れてしまう。
それは結局、人に対する「関心が薄い」もしくは、直接会ってのコミュニケーションをあまり重要視していない、のではないか。
人を知りたいけれど、直接会ってのコミュニケーションって最初の方はお互いを探るというか、また、コミュニケーションしたいと言ってもまずは自分ひとりの自分を大切にしていたり、要はコミュ障であり、会話下手であり、こうやってこの文章を見てわかるように、伝える力が僕は圧倒的に劣っているのだ。
そこで、今の活動になる。
今の活動は「部活」という話題で、人と接する機会を得ている気がする。
そして本題に戻る。←ww
その部活が、面白いかどうか。
変なことをいうが、、その部活を勧誘していて僕自身、これの何が面白いの?と思ってしまう。←www
まだその部活の面白さを信じ切れていない。
もしくは、その部活の面白さに限界もある。
その部活は「文字媒体」の部活にしようと思っているから、文字媒体って結構、「つまらない」から。
映像媒体や絵の媒体と違って、文字媒体はやはりつまらない。
どう面白いのか。
何が面白いのか。
ある程度、その部活の面白さは知っている。
しかしそれが、それほどめちゃくちゃ面白いモノであるかと聞かれたら、う~んと思ってしまう。
ちょっとだけ面白い。
そのちょっとの中に、もしかしてとても「濃いもの」が眠っているのではないかと思って、今勧誘している。
少し幸福なことに、この活動を始めたばかりで、勧誘している時まれに、その活動面白いですねと言ってもらえるところだ。
まだこの部活の活動の全貌が、僕でさえ見えていないのに、面白いですねと言ってもらえるのはすごく嬉しいし、この部活はやっぱいり面白いのでは、と少し希望が見えてくる。
この部活の何が面白いのか。
それさえ僕自身全貌が掴めないまま、とりあえず勧誘を続けていこうと思う。
そこに僕がいる気がするから。
僕がようやく、人とコミュニケーション出来る場所を見つけられたから。
よく分からないけどもう少しだけ。
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