7月3日「部活の勧誘活動を主にnoteでしていて、20代前後の投稿者のnoteを読んでいて感じたこと。」

今、その部活の勧誘活動をしていて、その勧誘する場所は主にnoteなんだけど、そのnoteを見ていて思ったことを書いていく。

僕は今、32才である。

そんで、大体、若い人は10代から、また高齢の方もnoteに投稿している。

その中で目に付くというか、僕が気になるのはやはり20代前後の人だ。

何故その位の人が気になるのか。

それはよく分からないけれど、以前にこのブログでも述べたけれど、その年齢の頃の自分が僕はスキで、また20代前後の人間、特に現代日本人は何なのかを考えるのが僕は好きらしい。

それで、20代前後のnoteを見ていて感じたこと。

まあ、noteというものをやるからには、「何者」かを探している人が多い。

この「何者」ってかなり『厄介』であり、また「興味深い」所なんだけど。

32の僕が思うに、20代前後なんて何者になんてなれるわけないし、なったところでそれは今後、自分にとってプラスなのかマイナスなのか分からない所である。(というかそもそも、何者なんていうことを考えること自体、少し「違う」、どこか『縛られている』気すらする。と言っても僕もまた縛られているし、また32になっても未だそこに縛られて行動している分が大いに、というかめちゃくちゃある。)

20代前後の「何者」なんて、ハッキリ言って無理だと今になって感じる。

また、少数の20代前後の「何者(≒有名人。インフルエンサー)」なんて、「何者」を背負うには『若すぎる』し、また背負った所で「これから」が「長すぎる」とも思う。

もう少し詳しく「何者論」を論じたいけれど、深く論じれるほど僕の頭の力は残っていない。←www

ただ、今の僕が言えるのは、僕は若い頃に、自分を何者かに定義せずに「良かった」ということだ。

ただ、若い時の自分に言えることは、もっと何者かを探ってくれということだ。←wwwww

探って探って、迷って迷って、20代を苦しんで欲しい。←www

今になって思うのは、やっぱり苦しんだ方がいいなと思う。

それはまあ、10年後の僕から見たら、今の僕もそうなのかもしれない、というかそうだ。←www

まあ、苦しめと言えるのは、こうやって年を取ったからこそ言えるのだけれど。

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何者になれないけれど、何者を必死に探ることで、何者かに近づいたり、またとてつもなく離れたりする。

そうして探して探して、疲れて探さなくなって、そしてまた探して。

その繰り返しであり、20代前後のそれは、その「はじまり」だなと、20代前後のnoteをみて僕は感じる。

つまり、20代前後のnoteは大体こそばゆい。

だからこそ良いのだけれど、だからこそ悲しい。←ここ、重要。

やっぱ年齢というのはなによりだし、若いというのは何よりだと思う。

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