8月16日その2「戦争であったり、歴史や宗教についての僕の現状の意見。」

「戦争」とかの感想について、僕の今の意見書いておく。

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8月16日日曜日。時刻は午後9時過ぎ。

僕はどちらかというと、「全体」で物事を考えたい。

僕はどちらかというと、「はじめから最後まで(現在まで)」で物事を考えたい。

僕はどちらかというと、「人類の歴史のはじまりから今現在まで」を持って、物事を考えたい。

そういう価値観で、物事に対して意見を持ちたいと思っている。

あまり「現代」に縛られず。

この長い歴史の中でもって、世の中や社会について考えを持っていたい。(もちろんそうはいっても、どちらかというと現代の方がよりその情報に重きを置くけれど。)

テレビとかネットとか、今第2次世界大戦の日本の終戦が8月15日だから、戦争に対して色々意見を述べられているのを目にするけれど、その辺りで述べられている意見というのは基本「第2次世界大戦」を経験しての「戦争は~~だ」の話だと思う。

また、戦争に限らず僕が感じているのは、今という現代がすごく情報化社会である。

1900年頃から確か「映像」というものが生まれたり。

また第2次世界大戦以後、ネットとかが生まれて、今まで紙媒体だけだったりテレビのマスだけだった情報から、一気に僕たちに届く情報が増えていたり。

それで、僕が感じるのは、その情報がより届いてきた時代・・・。(ごめんな、いつものように文章おかしくて)

何が言いたいかというと、僕たちに届く情報として可視化されているのが、ここ「100年」ぐらいしかないということ。

そこで『途切れている』のが、僕には少し「気持ち悪く」感じる。

この100年位以前、1900年以前の情報が、僕たちには圧倒的に不足しているということだ。

1900年以降の情報はおそらく、「文字」でしか残っていない。

またその文字というのも、一般の人の伝えるものはおそらくほとんど残っていない。

1900年以前の「生きた情報」や「一般人の日常」が、今の僕たちにはほとんど届いていないのだ。

だから、多くの人の場合「生きるとは」を考える時に、この100年(1900~2020)の情報を元にして語ることが多い。

多くの人の場合、過去とは大抵1900年以降、もっというと、分かりやすく言うと第2次世界大戦以降だと思う。

第2次世界大戦の「映像」を見ながら、ああ昔「戦争」というのがあって、今まで日本は何とか成長してこれたんだとか。

まあ、例えばもっというと、30歳の人この30~40年ぐらいの情報を元にして考えていて、20歳の人はこの20~30年を元にして考えていると思うが。

いずれにせよほとんどの人は、この100年で世界(歴史)が途切れている。

戦争とは「第2次世界大戦」のようなものであったり、ベトナム戦争のようなものであったり、中東の争いのようなものであったり・・・とか。

基本的に現代の戦争とか・・・・。

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何が言いたいかと言うと、人類史上、本当に幾度も人は「戦争」をしているんだよね。

確かに今の現代の人にとっては、第2次世界大戦が衝撃であり、またそれが生きた情報なのだけれど、もうちょっと、広く観たいよなと思った。

変に語彙不足な僕が述べると誤解を招きそうだけど、戦争を良い・悪いで述べるのではなくて、この歴史上、結構それは「日常」であったんだよね。

それにちょっと、ゾッとするよね。

昔の人は、古代・中世・近代の人は、戦争をどう捉えていたんだろうと僕は気になる。

一般的に言ってこんなにも酷く、醜く、絶対にあってはならない戦争というものが、昔は(まあそれもだいぶ広い範囲で物事を言っているけれど)日常であり、もっと悲惨なものだった。(例えば医療技術も今より全然ないし、一旦戦いで傷を負った人はどうなってしまうのだろうと思ってしまう。また医療もそんなに発達していないし。)

僕はどちらかというと、今という現代に固執して、また今現在にあまり「居場所」を置いていなくて、この人類史上の歴史の中を広く漂いたいと思っている。←www

そうすると、今テレビとかネットとかで多く戦争が語られているけど、それは僕にとって「足りない」と感じてしまう。

第2次世界大戦だけを切り取っても、もうそれほど僕に「学び」はないというか。

そこだけを重ねても足りないし、またそこだけを深く掘っても新しい「思慮」は僕には出てこない。

偉そうでごめんなさい。

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まあ、いずれにせよ、今の「平和」な時代というのがとてつもなく奇跡みたいなものだけど。

結局のところ「僕たち」が何を求めているのか、それは僕たちにとっても「分からない」と思うがおそらく僕たちはまた「繰り返してしまう」だろうと僕は思っている。

何故なら人類歴史は、それを繰り返してきたのだから。

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話少し逸れるけれど、過去の全ての人物、僕たちが歴史で学ぶ多くの歴史登場人物はすべて、「現代」を生きてたんだなあと思うと、何だか面白いなと思った。

彼らは古代であったり中世であったり近代を生きてはいない。

彼らが生きていた時、その時が「最新」であり、その時が「現代」であったと思うと、僕たちというのもまた、未来の人間にとって「浅はかな歴史登場人物」だと思う。

みんなが現代を生きていると同時に、みんなが過去の登場人物になっていく。

それはすごく、「ユニーク」だなと思う。

またこれもまた少し話が逸れるけれど、以前僕は人類歴史とは「食糧と宗教」だと述べた。

その宗教について補足すると、宗教とは「すべて」だなと思った。

それは「愛」という言葉であったり。

僕たちは愛をどこで学ぶだろうか。

それはおそらく、「好きな作品」であろう。

漫画だったり映画だったり音楽だったり。

宗教とはそういう、「観念」であったり「言葉」であったり、要するに僕たちが今生きてる時で言うと、「すべて」を教えてきたんだなと思う。

そう考えると本当に、キリストやブッダイスラムの教祖の人は、すげーなと思うし、ちょっと思うのは「あり得ない」と思ってしまう。

まさに「天才」の述べるしかないし、ひょっとしたら今流行りの「転生者」なのかもしれない。

基本的に人を尊敬しない僕だけど、キリストであったりブッダであったりイスラムの教祖は尊敬せざるを得ないというか、興味を惹かざるを得ない。

人類史上、おそらく一番影響を与え、またその言葉が信じられてきた人がキリストであったりブッダであったりイスラムの教祖であったりするから。

ウォルトディズニーとか、小さく感じられるレベルで、宗教家は凄すぎるなと思う。

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そんな感じです。

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