9月27日その2「世界の紐解き方・世の中についての考え方~僕はこうして思考している~」

「世界の紐解き方・世の中についての考え方~僕はこうして思考している~」

それについて、書いていく。

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9月27日日曜日。時刻は午後0時。

その前に今日の自分について述べておくと、やはり昨日「パーソナルトレーニング」やったせいで身体がだいぶ疲れていて、9時半頃起きたのけれどそこから基本的にだいぶベッドで横になってYOUTUBE見ている時間が長い。

ふむ。

すごく時間もったいなく使っているかもしれないけれど、疲れてるから、しょうがないな。

・・・。

さて、冒頭のタイトルについて。

この件は、以前このブログ内で述べたことがあるだろうか?

たぶん述べていないことだと思う。

もしかしたら1回ぐらい述べていたかもしれない。

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さて。

みなさんは、何かを想ったり何かを思考したりする時、その「最小単位」を何にしているだろうか。

僕の場合、振り返ればそれは、『数字』であると思う。

というか・・・。

基本的に何かを考えたり何かを想ったりする時、それは大抵「イメージ」つまり「絵」であると思う。

想像上の、というものは、頭の中に浮かぶ「イメージ」であると思う。

頭空っぽの0の状態から何かを想う時、それは0からイメージが生まれていく。

0→イメージ。

ただ、これだけではどうしようもない。

何故なら、イメージはイメージだけではどうしようもないからだ。

例えば、私はこんなこと思ったよと言えば、それはそのイメージを「言葉」で表現したことになる。

この表現パターンが、おそらく何かを想った時に一番多い伝え方だと思う。

0→イメージ→それを言語化

もしくは漫画家やイラストレーターであれば、その頭に浮かんだイメージをそのまま絵で描いたり説明出来たりする。

0→イメージ→イラスト化、漫画化。

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さて。

さて何だが、頭の中に思ったこと感じたイメージを何らかの形で僕たちは表現するのだが・・・。

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・・・・・。(僕は何を話したかったんだっけ。←ww)

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・・・・・。

何が言いたいかというと、その言語化や漫画化、イラスト化される前の、頭の中の想い。

つまり、「0→イメージ」の中は、基本「数字」であると僕は思う。(そうであるから、それを言語化、イラスト化されたものもまた数字であると言えるのだが。)

「0→イメージ」≒「想い」の最小単位はだから、言語ではなく「数字」である。

というか、頭の中に浮かぶそのイメージを構成させているのは「数字」であると僕は思う。

だから、言語化前の想いとは数字。(数字の前のものがあるのだが、人が認識として捉えることが出来るのはその曖昧なものを数字化することによってだと思う。)

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分かりにくいな。

つまり、さっきからイメージと言っているが、イメージというのは数字化して初めて成立しているのだ。

基本的に想いというものの初めは、「0」であると思う。(0もまた数字)

何も考えていない、何も頭に浮かんでいない状態を「0」と定義する。

そこから何かを想う、何かイメージが浮かんでいる時、それは僕たちはそのイメージを「数字」で積み上げている、と言っていいのかもしれない。

何か言いたいかというと、何かを想った時それを僕たちは「言葉」で認識しているように見えて、それよりもまず、僕たちは「数字」で、物事の認識を終えていると僕は思う。

つまり、言葉の最小単位は「数字」である。

その方が、効率がいいからだ。

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今回の話、だいぶ適当というか、だいぶ的外れかもしれない。

でも、数字でまずは物事を捉えた方が分かりやすいし、自分の思考というのも、理解しやすいと思う。

言葉というのは結構「危険」であると僕は思う。

言葉というのは、結構嘘っぽくて、また攻撃性が強かったりする。

なので、自分のとって優しい思考を考えた場合、言葉を用いて思考するよりも、数字を原初として思考した方が、柔軟な思考が出来ると思う。

つまり、頭の中に言葉を大量に入れるよりも、数字を入れて、思考を漂わせた方が、自分にとって楽だよということです。

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そんな感じのお話でした。

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